トーマス・エジソンの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- <子守唄代わり>にいろんな本を読み聴かせた元小学校教師の母の「読書習慣」。小学校を辞めさせ一緒に「百科事典」を読む。9歳、高校教本『自然・実験哲学概論』を読み化学実験に取り憑か


はじめに:フェイスブックの「いいね!—I like it!」は、まさにエジソンが生んだ電話の挨拶語「Hello ! 」に相当する

世紀の「発明家」エジソンは、ご存知のように子供向け偉人伝のなかでもつねにトップバッターの一人として登場し、最初の特許申請をおこなった投票記録機(21歳)や株価表示器(22歳の時)、電気・白熱電燈、蓄音機、キネスコープ、アルカリ蓄電池などなど、その発明品の数々、業績の凄さにはあらためて瞠目させられます。立志伝中の人物として皆さんも子供時代に野口英世ヘレン・ケラーにまじって偉人伝を読んだ記憶があるのではないでしょうか。ところがその後、理系に踏み出して行ったひとはまだしも、文系に向ったひとはトーマス・エジソンのことについて学んだり、聞いたりする機会はほとんどめぐってこないままだったのではないでしょうか。わたしも今回、おそらく40年余ぶりにエジソンの名が記憶に呼び覚まされた口なので偉そうなことは何も言えません。
とにかく幼少期から奇行に近い<好奇心>に満ち溢れ、世界初の「発明工場」といわれる研究所を建設し、生涯で1000点を超す発明(品)を生み出し、発明を「事業化」していったエジソンの「マインド・ツリー(心の樹)」は、知れば知るほどすこぶる興味深いものがあります。たとえば、聴力をほとんど失ってしまったことにもめげず(耳の不自由さこそが蓄音機や電話機の完成に取り憑かれた原因と自ら語っている)、14歳の時に自ら「The Weekly Herald」という新聞を編集し、電車内において販売し売り子スタッフを雇って売りさばいていたこと、その際にどんな「情報」が好まれるか「マーケットリーサーチ」も試み、後に「マーケットリーサーチ」の先駆者としてのエジソン、さらには「ブランディング」の魁(さきがけ)としてのエジソンの顔をもつことなど(「エジソン蓄音機」「エジソン・フィルム」など商品のネーミングすべてにエジソンの名を冠していた)、「常識」という理性を超えたその発想力、実行力はまさに驚異的です(最も、エジソンはゼロからの発明というより、日本人の様に「改良」「応用力」に秀でており、このことからもエジソンの伝記は私たち日本人にとって多いに意味あるものになります)。子供用の偉人伝で事足れりとし、伝えない教えないということは”犯罪的”であり、ならば青年・大人こそエジソンの「伝記」を今あらためて読んでおくべきであるとおもうのです。
今日では気楽に挨拶言葉としてもちいられる「ハローーHello」という言葉も、じつは電話の開発競争をしていた時に、エジソンが生み出した言葉で、屋外でもこの「Hello」を使えばフランクに見ず知らずのひとに語りかけることができる空気がアメリカに醸成されていったという話一つとっても理系人間だけにエジソンをもっていかれるのは明らかに損失なのですエジソンは文学や日常生活のことは、20歳年下の2番目の愛妻マイナに手引きされたが)。アップルのスティーブン・ジョブスやフェイスブックマーク・ザッカーバーグの伝記本を読まれた方は、エジソンの伝記本(例えば、浜田和幸著『快人エジソンー奇才は21世紀に甦る』など)を読まない手はありません。フェイスブックの「いいね!—I like it!」は、まさにエジソンの「Hello ! 」に相当する効果と機能を発揮しはじめています。
快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る (日経ビジネス人文庫)
エジソン—20世紀を発明した男
エジソン—20世紀を発明した男



アメリカでは、国家プロジェクトとして「エジソン文献研究プロジェクト」が発足していて、500万ページにも及ぶ実験メモや、2万5000枚のレコード(「3分間世界一周の旅」と銘打たれたものもあるという)、6万5000枚の写真などに現在次々に光をあてられ公開されだしているようです。東日本大震災以降、話題にならない日はない「電気・電力」についても、「メンローパークの魔術師」エジソンこそ、目下、日本の緊急課題の一つ「中央発電所システム」の開発者であり、計画停電の余波も受けている路面電車や地下鉄システムの土台を築(米国での最初の電気機関車すら組み立てていたという)いたのもまたエジソンでした。渋沢栄一ら多くの日本人とも会い、武士道や日本文化に関心が深かったエジソン(よく知られているように電球の最適のフィラメントとして京都の竹を素材として利用している)、この日本の現状を、自身の未刊に終わった未来小説『不思議の国のトーマス』に描きだすことはなかったでしょう。
エジソンは次の様に語っています。「わたしの発明はすべて宇宙という『マスター・マインド』からのメッセージを受け止め、練り上げただけなのだ」と。晩年はスピリチュアルな世界とのコミュニケーションに関心を深めていきました。人間の脳(意識)から出るエネルギーを拡大する装置をつくりだし、遥か未知の領域へとすすみだそうともしていました。「1%のひらめき(と99%の努力)」という言葉の真意は、とくに赤ん坊の頭脳の中に宿る「リトル・ピープル」の知性と声のことだというのです。
「マインド・ツリー(心の樹)」とは、エジソン流に言えば、宇宙という「マスター・マインド」が、「Hello ! 」と<地球>に”コミュニケーション”して、地球上の「生命体」として生まれ出たものなのです(「Mind Tree」は、よって人間にだけあるものではない)。たとえばファーブル少年の昆虫や植物への強烈なおもいは、地球上に「マスター・マインド」がコールして生み出した別様の「生命体」との”コミュニケーション”であり、「すべての存在は結びついていることがわかるようになるだろう」というエジソンの予言の実践者だったのです。エジソンをこよなくリスペクトする映画監督スティーブン・スピルバーグも映画『未知との遭遇』『E.T.』『グレムリン』などを通してそうした思いを描いているはずです(「リトル・ピープル」としての子供が主人公になる理由)
それではエジソンの少年期の「Mind Tree」へと向ってみましょう。向こう側から「Hello ! 」と応答してくれるかもしれません。

頑強な肉体と反骨精神の塊の父は、カナダからアメリカへの亡命者

トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison;幼少期は、家庭内ではずっとミドルネームの”アルヴァ”、あるいは”アル”と呼ばれていた)は、1847年、2月11日、米国オハイオ州北部、エリー湖まで15キロ程に位置する小さな町ミランで生まれています。父サミュエル・エジソン・ジュニアは、カナダの北東部ノバスコシアノヴァ・スコシア州生まれのオランダ系カナダ人でした。カナダ・ノバスコシアで生まれ育った父が、なぜカナダ国境を越えてアメリカの地に住み着くようになったのか。その背景には、独立心と反骨精神、起業家精神に溢れるトーマス少年の”性根”、「マインド・ツリー(心の樹)」につながるものがあるので、まずはそのあたりからみてみましょう。
エジソン一族の祖先はオランダのアムステルダム出身でした。曾祖父ジョン・エジソンが一家でニュージャージーのパサイク河畔へと移住してきたのでした。イギリスよりも早く資本主義を生み出したオランダを郷里にもつこの曾祖父はどうやらマンハッタンで銀行員となり、資本をうまく利用して裕福な地主となっています。ところがアメリカの独立戦争で事情から大英帝国サイドに立って偵察兵として活動したため、米国独立を目指すジョージ・ワシントンの革命軍に捕獲され、投獄されてしまうのです。夫人の出身が名家オグデン家で、革命軍に親族がいたため嘆願が功を奏し死刑を免れています(財産没収後、英国艦隊がカナダへ移送。もし死刑になっていたらトーマス・エジソンは存在しなかった。あるいは別の生命として誕生した)トーマス・エジソンの父サミュエルがカナダ人だったのはこうした背景があったのでした(トーマスの祖父はカナダ陸軍に所属していたようです)。父サミュエルはエリー湖南岸に近いカナダ・オンタリオ州ヴィエナの政府割り当ての開拓地を得て移り住み、大工仕事から畑仕事(屋根材売買と穀物商売)、不動産など様々な仕事を起こし、トーマスの母になるナンシー・エリオット(ピルグリム・ファーザーズにまで遡る初期アメリカ移民の子孫で、スコットランドアメリカ人)と出会った頃には、小さなホテルを経営するようになっています。
ところが父もまた税金をめぐってカナダ政府と反目、反乱集団の一味としてカナダ政府から追われ、かつて一族が強制退去させられたアメリカへ亡命することになるのですエジソン家は政治闘争の敗者つづきで、トーマスは敗者復活戦でもあった)。亡命に際してサミュエルは真冬の寒さの中、暗闇にまぎれて約2週間、服も破れ血だらけでアメリカに逃亡します。命を落としてもおかしくない程の決死行は、エジソン一族に遺伝する頑強な肉体と反骨精神を証明するものでしたエジソン家は骨格が頑丈で幼少期に病死しなければ長寿の家系だった。曾祖父は104歳、祖父は102歳まで生きている。トーマス・エジソンも幼少期の一時期を除いて頑強な肉体をもち、メンロパークでの発明期間中、睡眠は30分の仮眠を何度かとるだけで、一日合計3時間程しか睡眠をとらなかったといわれている)

亡命先のアメリカの地に自分で家を建てた父。「鉄の馬車」=鉄道への関心

父サミュエルが辿り着いたのは、ヒューロン湖の南端、ミシガン州ポート・ヒューロンで、逃亡者を温かく受け入れてくれた地アメリカへの定住を決意。2年後にはエリー湖に近い小さな町・オハイオ州ミランへと辿りつきます。ミランは最盛期にはロシアのオデッサに次ぐ世界第2の穀物港になったほどで、交易と入植を促進する運河によって急成長していた町でした(トーマスが生まれる22年前には、ニューヨークに通じるエリー運河が開通していて運河建設ブームが巻き起こっていた)。サミュエル・エジソンが働きだしたのはこの運河工事の現場でした。
大工仕事ができたサミュエルは、町の片隅に丘陵の斜面に小さなレンガ造りの家を自分で建てています。カナダの木材を使った屋根材を扱う材木屋をはじめ軌道に乗せると、2年後に家族をカナダから呼び寄せました。父43歳、母37歳の時、トーマスが生まれます(トーマスが生まれた時、兄姉はすでに14、16、18歳になっていた。すぐ上の兄姉3人はトーマスが生まれる前に病死)。頭が異常に大きかったため、町医者は脳炎ではないかと疑ったほどでした。そんな頭でっかちのトーマスの最も古い記憶は、これから大草原を横断しようとする家の前に停まっていた3台の幌馬車だったといいます。
エジソン一家が父がカナダから最初に逃れてきた町ポート・ヒューロンへ移り住んだのは、トーマス7歳の時でした。ポート・ヒューロンには、ミランでは見ることのない「鉄の馬車」が走りだし、町が急速に発展しだしていました。「鉄の馬車」とは鉄道のことです。ミランの町のリーダーたちは、エリー湖の南岸を走るレイク・ショア鉄道が、運河事業を壊滅させると判断、鉄道敷設を拒否します(運河経営者は料金の引き下げを始めていた)。後に少年トーマスはこの鉄道の売り子としていろんな商売を繰り出し、アイデアを組織していくことをおもえば、鉄道の走る町への移住は大正解でした(仕事の手当も減少しだしていてエジソン家以外も多くの住民が移動しはじめ、父の兄弟の一人がすでにポート・ヒューロン近郊に住んでいた)。ただポート・ヒューロンに移り住んだ父サミュエルは、息子トーマスの様にその「鉄の馬車」から事業の”ヒラメキ”をもらうことはなく、木材を販売したり、不動産に手をつけたり、自家菜園で摂れた作物を販売したり、食料雑貨店を営んだり、大工をしたりとあまりぱっとしなかったよいいます。たんに衰退する町よりも勃興する町の方が仕事がしやすいという判断基準だったのかもしれません。

<子守唄代わり>にいろんな本を読み聴かせていた母の「読書習慣」

さて、母ナンシーは次々に子供が病死してしまった後に生まれたトーマスをたいそうかわいがったようです。幼いトーマスが眠りにつくまで、<子守唄代わり>にいろんな本を読み聴かせていたといいます。最初は『マザーグース』の絵本で、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』へ、そしてヴィクトル・ユゴーの『ノートルダムのせむし男』へと続いていきました。『ロビンソン・クルーソー』にしてもトーマスの年齢では理解が覚束ないはずなのに母が読み聴かせたのは、年齢に相応しいだろうという本を選んで読むのではなく、おそらくは母自身の「読書習慣」がまずあって、それに反応していたトーマスにもっと読んで聴かせてみようと、おもったにちがいなかったのです。最も母ナンシーは元小学校教師だったので、小学校に上がるまでの子供にとって理解が困難な本であっても、外国語をいとも容易く吸収する様に、子供には「柔軟」な頭脳があることを母は知っていたからでもあったはずです。
母ナンシーによれば、トーマスが同年代の子供と違いがでてきたのは7歳からだといいます。しかし、火が燃え広がる様子を見たくて、家の納屋に火をつけ燃やしてしまったエジソンの少年時代の有名なエピソードの一つは、それより1年前の6歳の時のことでした。運河で溺れかけたり、穀物用エレベーターの中に閉じ込められたり、一緒に川遊びをしていた友達が川で命を落としたのもこの頃で、父はあまりにも面倒をかけるトーマスを町の広場に連れて行き、素行を治すためみなの前で鞭を打ったといいます。そして小学校に上がる前頃から(8歳の時、小学校入学。12、3歳の頃だったのではという説もある)、トーマス少年は周囲の大人たちに質問責めにし、さんざんに困らせていました。ADHD(注意欠陥・多動障害)だったのではとも言われるほどその行動は際立っていたようです。ひとによっては「好奇心」とも「奇行」とも、どちらともとれるような行為が頻繁にあったようです。

トーマスに小学校を辞めさせた母は、家で刺激に満ちた授業をおこなう。一緒に「百科事典」にあたり、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』などを読む

患っていた猩紅熱(しょうこうねつ)が回復したトーマスは、8歳半1855年の時、教会が運営する私立の小学校に入学します(すぐに公立校に転入)。ところが教科書の丸暗記を強制する学校の授業方針に、トーマス少年は反発します。算数でも、1+1=2に対して、一つの泥ともう一つの泥を合わせると、二つの泥になることはない、と猛然と反論します。悪戯も過ぎていて先生にとってトーマスはあまりにも扱いにくい生徒でした。2、3カ月たったある日、教師が「頭が腐っている」と語っているのを立ち聞きし、その事を母に告げると、母は学校に出向き怒りを爆発させます。そして学校を辞めさせ、自分で教えようと宣言したのです。教員の資格のある母は、教科書を神聖化しない、教科書にとらわれることのない<教え方>があることに気づいていました(トーマスが小学校に通ったのはトータル6カ月程だったらしい)
教員の資格のある元小学校教師だった母は、早々に家で授業をスタートさせました。とにかく学校の教師よりも熱心な”授業”で、刺激に満ちたものだったといいます。最も有名なエピソードは、アヒルの卵がヒナに孵(かえ)れば、なぜ卵を温めるとヒナになるのだろうと、トーマスは小屋にはいって2日間アヒルの卵を温め続けたがヒナに孵らず、「百科事典」にあたって「3週間以上」温めつづけなくてはならないことを知ったことでした。母は<好奇心>が強い息子トーマスに、鳥の生態や花、魚、風のことなど、一緒に話し合い、分からないことは「百科事典」にあたって多くのことを学んでいきました。博識で知られるエジソンの出発点は、母と2人で学んだ「百科事典」だったのです。シェークスピアの戯曲、チャールズ・ディケンズの小説が、教科書の代わりに用いられました。歴史の授業では、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』やデイヴィッド・ヒュームの『イングランド史』、シアーの『世界史』を読んで聴かせ、またひとりで読むようにうながしてもいます。
天才エジソンの秘密 失敗ばかりの子供を成功者にする母との7つのルール (講談社プラスアルファ文庫)ローマ帝国衰亡史〈1〉五賢帝時代とローマ帝国衰亡の兆し (ちくま学芸文庫)
図説 ローマ帝国衰亡史
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高校生用の教本『自然・実験哲学概論』が契機となり、化学実験に取り憑かれる

家授業がはじまった翌年(トーマス9歳の時)、母はリチャード・グリーン・パーカー著『自然・実験哲学概論ーA school compendium of natural and experimental philosophy』という高校生レベルの科学教本をとりあげました。石鹸や花火、塩の結晶づくりや酸で鉄鋼を溶かすといった化学実験の方法が、挿絵付きで解説されていました。すでに「百科事典」にあたって花や魚、鳥のことやら様々な事柄に<好奇心>が立ち上がっていた少年トーマスにとって、様々な「化学実験」はトーマスの<好奇心>を活性化し”つなげて”いくことになったのです。「火」の燃え広がり方を知りたいため納屋に火をつけたのはこれより3年前のことだった様に、トーマス少年は「自ら」試みる<実験精神>の習癖をすでに宿していたことが、<好奇心>の爆発につながったようです。少年トーマスは、教本を繰り返し読み込み、取りあげられていたすべての「実験」をみずから試そうと、トーマスは両親を説得して家の地下の物置部屋を「化学実験室」に仕立てあげたのです。後年トーマスはこの本が契機となり、<学び>の楽しさを身につけたといっていますが、自分の小学高学年の子供に突然、そうした高校生レベルの化学実験の教本を与えても、まず興味を示さないよいうに、それまでの<学び>が下地となり養分となっているのです。
▶(2)に続く-未
・参考書籍:『エジソン—電気時代の幕を開ける』(ジーン・アデア著 大月図書 2009刊)/『エジソンの生涯』(ロナルド・クラーク著 東京図書 1980刊)/『快人エジソンー奇才は21世紀に甦る』(浜田和幸日本経済新聞社 1996刊)/『天才エジソンの秘密—母が教えた7つのルール』(ヘンリー幸田著 講談社 2006刊)/『起業家エジソン』(名和小太郎朝日新聞社 2001刊)/『エジソン不登校児だった』(若林実著 筑摩書房 1990刊)

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