ジェイムズ・キャメロンの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- 幼少期、<物に触れている>ことが大好きだった 

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はじめに

独自に3D技術までも開発し製作した映画『アバター』で世界の度肝を抜き、前作『タイタニック』、そして『ターミネイター』や『エイリアン2』『アビス』などで、驚異的な特殊効果を駆使した映画監督ジェイムズ・キャメロン。キャメロンとハリウッドとのかかわりは、映画監督ロジャー・コーマンの映画工房で、ミニチュア模型の製作チームの一番下っ端に採用されました。実際に応募したのは撮影カメラマンとしてでした。キャメロンは最初から映画監督を夢見ていたわけではなかったのです。ではどうして映画『タイタニック』や『アバター』をフィルム・メイクするようになったのでしょう。
その秘密は、キャメロンの「マインド・ツリー(心の樹)」の中にあります。『アバター』に描かれた聖なる樹の麓に歩みでるように、キャメロン少年の「心の樹」の根元に向ってみましょう。キャメロンが深海に沈むタイタニック号に潜水艇を送り込み、サーチライトで船内を照らし出したように、キャメロンの幼少・少年期に向って、キャメロンの内界に生える「心の樹」を照らし出してみます。そこにひっそりと浮かぶ「心の樹」がなければ、その後のキャメロンのどの映画も存在しません。

電気技師の父と芸術を愛する母のもとに生まれる

ジェイムズ・キャメロンは、1954年8月16日、カナダ東部の五大湖の北岸に広がるオンタリオ州のカプスケーシングに生まれています。カプスケーシングは北極圏から内陸に切れ込んでいる大きなハドソン湾五大湖スペリオル湖ヒューロン湖のちょうど中間地にあり、人口わずか8千人程の小さな町です。1910年代に農業実験地となり、大陸横断鉄道の駅ができ、第一次世界大戦の間には巨大な捕虜収容所がありました。それ以外には、凍えるような大自然があるばかりでしたが、1920年代初頭カプスケーシング川から落ちるスプルース瀑布に、電力会社とその水力を利用する製紙会社が目をつけ、スプルース・フォールズ電力と製紙工場ができ雇用をうみ、町がひらけてきました。
キャメロンの父フィリップ・キャメロンはまさにそのカプスケーシングの産業の申し子で、そこの製紙工場で電気技師として働いていました。父フィリップは躾(しつけ)に厳格で、仕事に誇りを持ち、またその仕事柄、一糸乱れず統率がとれた仕事運びができる人物でした。母シャーリーは主婦であり芸術面への感性が高い女性でした。息子ジェイムズが描いた絵を地元のギャラリーで展示したり、つねに息子ジェイムズを応援していました。と同時にエネルギッシュで激しい性格の面も持ち合わせているそうです。キャメロンの映画の中の女性キャラクターはしばしば母シャーリーのように精神的に自立する女性として描かれています。またキャメロン自身もつねにそうした女性に惹かれ、その結果、2010年のアカデミー賞作品賞でキャメロンの『アバター』を押さえ受賞した映画『ハート・ロッカー』の監督は妻のキャサリン・ビグローだったことはよく知られています(キャサリン・ビグローもその美貌と裏腹にハード・アタッカーです)。
そして映画製作のすべての面においてキャメロンは将軍のように統率し、信頼されたチームは軍隊的な的確さで動き続けることもよく知られたことのようです。まさにキャメロンは、父フィリップ、母シャーリーそれぞれの資質と性格を引き継いでいるといってよいでしょう。そしてキャメロン自身の魂が、カプスケーシング川にかかるスプルース瀑布のように飛び込んできて、2人を貫くようにして誕生したのです。

幼少期、<物に触れている>ことが大好きだった

まずキャメロンの幼少期です。細かなことは分かりませんが、どうも<物に触れている>ことが大好きだったようです。幼児なら当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、幼児は自分の手を前にして眺めて自分と手の関係を感じ取ってからは、<物をつかむ>みはじめます。この<物をつかむ>ということは、手で頭につねに信号を送るので、類人猿からホモ・サピエンスが誕生するのにも、この「手」こそが主人公になっているほどです(映画『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーンのごとく)。興味深いことに、すでにこの行為に、”両親の手つき”とでもいうべきがあらわれているように感じられます。電気技師はその手ですべてを測り、芸術家はやさしく「世界」を掌で感じ、触れます。キャメロンは間違いなく<手でものを考える>タイプの人間になっていきました。

ツリーハウスや筏など、木でいろんなものをつくりだす。

物心(まさに物に心がなじむ)がつくころになると、弟のマイクを巻き込んでいろんなものをつくったり、試したりしはじめています。そのなかには、筏だったり木の上の小さな家(ツリーハウス。子供にとっては秘密基地です)がありました。木の上の小さな家といえば、映画『アバター』に登場する惑星の住民は巨大な聖なる樹の上で生活していました。筏もツリーハウスも木で、しかも自分の手を動かし考えてつくりだされます。ゴーカートもつくっていたようですが、おそらく木でつくられていたのではないかとおもわれます。
ここですぐに気づくのは、キャメロン兄弟が、親から与えられたおもちゃで遊んでいないということです。ちなみに奇妙な経緯でパンクの中核人物となったシド・ヴィシャスは、幼少期与えられたおもちゃを一人占めにし、また一人っ子だったこともあり他の子供たちと一緒に遊べず、他の子供たちのおもちゃも自分のものにしてしまっていました。キャメロン監督がリスペクトする映画監督のスタンリー・キューブリックはその少年期に、学校生活がうまくできないことを心配した父から、「カメラ」「読書」「チェス」のすべてを教わっています。キューブリックは、「カメラ」の延長にある撮影技術に強いこだわりをもち、少し後にキャメロン少年を夢中にさせました。大人になってあらためて気づけば、子供時代にどんなおもちゃで、どのように遊んだかは「心の樹」のいたるところにその痕跡と影響があらわれます。そして遊び方には同時に気質や性格も映しだされます。

「落下」と「破壊」への原始的な関心

木でつくった潜水艦に数匹のネズミをのせ、それを滝から真っ逆さまに「落下」させることまではやんちゃな少年ならやりそうなことですが、おおきな岩を飛ばす発射台をつくり、飛躍高度と速度をあげるためにあれこれ工夫するような遊びはそうはやらないでしょう。実際飛ばされた岩が「落下」した所には深い穴があくほどだったといいます。映画『アバター』に、空中に浮かぶ島から滝が流れ落ちていたシーンがありましたが、滝や水中(映画『アビス』は深海であり、『タイタニック』も深海に沈んでいった』し多くの乗客が「落下」していった)ばかりでなく、上空から真っ逆さまに「落下」するイメージは、『アバター』の中で怪鳥に乗って急降下するイメージとなって頻繁に見ることができます。
また『アバター』中の聖なる樹を破壊する爆撃にしても、キャメロン少年の内面には、ツリーハウスの楽しい思い出と同時に、「破壊」する快感(あるいは「破壊行為」そのもの)も同じようにあったにちがいありません。『アバター』に描かれた聖なる樹木とそれを破壊する威力、このどちらもがキャメロンなのです。もちろんキャメロンにしてみれば、そうした少年ぽい原感覚は、隠れた動機や欲望となって映像の迫真性とリアルさのなかに融合されていくことになります。
実際、キャメロン少年は、ツリーハウスを「破壊」すらしています。近所の子供たちがキャメロン兄弟のオタク的ともいえる世界に忍び込み、キャメロン製のおもちゃを幾つか盗んだ時、キャメロン兄弟は仕返しに犯人の子供の家の庭に忍び込み、ツリーハウスを支えている枝をノコギリで半ば切り、子供が乗った時に地面に落下するように細工しています。そしてツリーハウスは見事落下し子供は病院送りになったといいます。
映画『アバター』でも聖なる木の話や生命を蘇らせる森の聖なるパワーの描きっぷりばかりに意識が向くとキャメロンの原始的ともいえるもう一つのパワーがみえなくなってしまうかもしれません。キャメロンの秘密はこの両極のパワーの振子の幅にあるのですから。どうやら情報では近作の一つは原子爆弾の恐怖について描く企画があるようですが、それは核戦争への憂え(脚本力で処理される)とは別に、キャメロンの振子の極に、原子爆弾の究極の「破壊力」(の映像化)があることは間違いありません。▶(2)に続く