2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧
簡易な電話装置を自前でつくる。「木工」好きで父の薦めで工業技術専門学校に入学していた ▶(2)からの続き 19世紀後半、産業革命がノルウェーにも押し寄せて来ていました。この頃ノルウェーは経済不況下にあり多くの労働者が職を失っていたため、父は少年…
はじめに:”怒れる若者”のシンボルのこと 映画『理由なき反抗』『エデンの東』『ジャイアンツ』で瞬く間にスターダムにのしあがり、1950年代の”文化的イコン”となったジェームズ・ディーン。ジェームズ・ディーンとは、アメリカの”怒れる若者”のシンボルであ…
弟の死。ファシズムから逃れカザルサで田舎の人々と深くかかわる ▶(2)からの続き:高まる映画熱の一方で、ロベルト・ロンギの講義に熱中したパゾリーニの心の内で、イタリア現代絵画(モランディ、カルロ・カッラ、デ・ピシスなど)への関心も着実に”根を…
はじめに:「モダン・ホラー」という水脈を”発見”、”認識”したスティーヴン・キング スティーヴン・キングが第一人者となって開拓してきた「モダン・ホラー」の世界は、今やアメリカだけでなく、世界中に浸透し、各国の大衆に感染しているといえます。「モダ…
はじめに:自身に「謎(エニグマ)」をかけた20世紀美術最大の”巨匠” 自身が望んだように20世紀現代美術のなかでも最も「謎(エニグマ)」に包まれたアーティストとなったフランシス・ベイコン。その物議を醸してきた作品群にはベイコン自身がかけたヴェール…
はじめに:転生する「ダライ・ラマ」ーマインド・ツリーは一個人だけのものではない チベットの国家的、精神的指導者であるダライ・ラマ14世については、各々知ってられるとおもいますが、その幼年期や少年期についてはなかなか知る機会はないかと思います。…
19歳の時、ゴッホの芸術観から”啓示”をもたらされる。少年シーレ、「自画像」に向う ▶(2)からの続き:ココシュカがゴッホに魂を貫かれてから3年後。シーレも19歳の時、ウィーンで開かれた大規模な「国際美術展、ウィーン1909年」で、シーレもゴッホの作…
美術アカデミーへの不満と深まる鬱屈、17歳の時、クリムトに素描を見せる ▶(1)からの続き:念願のウィーン美術アカデミーに入学したシーレでしたが、シーレはキャンバスに向うのではなく、ここでも旧弊な壁に向うことになります。シュトラッホ先生の師で…
18歳の時、「マティス」を”発見”する。セザンヌの影響のこと ▶(2)からの続き:18歳の時(1905年)、デュシャン(以降、デュシャン、あるいはM.デュシャンと表記)は、サロン・ドートンヌで「マティス」を”発見”します。赤や青でべったり塗りわけた鮮烈な…
10歳の頃、カンザスシティのプールバーで小遣い稼ぎする ▶(1)からの続き:デニスが大好きだった農場から引き剥がされた先は、カンザス州とミズーリ州にまたがる「ハート・オブ・アメリカーHeart of America/アメリカの地理的中心地」と呼ばれるカンザス…
はじめに:エゴン・シーレがもっていた扉のような「鏡」のこと ゴッホが亡くなった1890年、ウィーン近郊のドナウ河畔に彗星のごとく降ってきた一個の孤独な魂ーエゴン・シーレ。その魂は、地球上の奇跡の花や庭の香り、鳥の啼き声を聴いた時、鳥の目に<自分…
幾つもの湖を越えて探検に出、自転車競争し、ゴム鉄砲を撃ち合い、カーニヴァルをみる少年時代 ▶(1)からの続き:少年ディランを迎えいれた新たな町ヒビングは、世界一の露天掘り鉄鋼床がある鉱業都市でした。実際の住処は、ヒビングを走る鉄道線路を越え…
はじめに:デニス・ホッパーは、”アンディ・ウォーホル”より、マルチプルだ 2010年春、前立腺癌の転移で74歳で死去した60'sカウンターカルチャーのヒーロー、デニス・ホッパー。しかしD.ホッパーをアルコールとドラッグ浸けで反体制的の破滅型シンボルと見立…
「カチュチャス」という頭脳明晰にして悪戯好きのグループに属す ▶(2)からの続き:フリーダが後に、すでにメキシコを代表する画家にして有名な漁色家で激しい性格のディエゴ・リベラとカップルになったのも、フリーダに絵の才能(の芽)と関心があったこ…
12歳の時、みすぼらしい団地アパートへ引っ越す。5度の引っ越し。診療室と子供部屋は同じだった ▶(1)からの続き:ウィキペディアなどでムンクの生涯のはじまりを「父は医師で.....名家の生まれであった」と要約してしまうと、ムンクの魂も同じように「要…
長兄のガストン(ジャック・ヴィヨン)が、マルセルの素描の「師」だった ▶(1)からの続き:マルセルは7年間通うリセ・コルネイユで(10歳〜17歳まで)、兄たちと同じく、ルーアンの美術学校でも教えていたフィリップ・ザシャリーからいわゆる正統的な素…