フリーダ・カーロの「Mind Tree」(3)- ”反逆的姿勢”、悪戯好き、豊富な読書、洒落や隠語もいち早く吸収。フリーダはメヒコの「ビートたけし」か

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「カチュチャス」という頭脳明晰にして悪戯好きのグループに属す

▶(2)からの続き:フリーダが後に、すでにメキシコを代表する画家にして有名な漁色家で激しい性格のディエゴ・リベラカップルになったのも、フリーダに絵の才能(の芽)と関心があったこと以上に、当時の同年代のメキシコ人女性の中でも指を数える人数にはいるほど知的好奇心と行動力に溢れ、またエキセントリックで絶えずスリルに興じる資質あってのことだったのです。ティーンエイジャーの頃のフリーダの様子をもう少しおってみましょう。
予科高等学校で、フリーダが属していたグループ「カチュチャス」のお気にいりの溜まり場は、学校近くのイベロ・アメリカ図書館でした。そこの図書館員は、討論し、時に喧嘩をしつつ、絵も描けば、レポートも書き、ディープな本まで次々と読みこんでいく「カチュチャス」のメンバーを気にいっていて皆に個室のように自由に使わせてくれたといいます。悪戯をしていない時の彼らはつねに読書していたといいます。仲間たちは誰かが良い本を見つけだすと、誰が一番早く読み終えるかを競い合っていました。また、ドストエフスキーユーゴージュール・ヴェルヌH.G.ウェルズを読んで得た知識や情報を自分なりに組み立てて「仮想紀行」を物語るのも仲間うちの知的な遊びだったといいます。メンバーの多くは後にメキシコの傑出した知識人となっていきます。メキシコで最も尊敬される知識人で政治ジャーナリストになったアレハンドロ・ゴメス=アリアスや、後にフリーダとリベラの弁護士を務めることになる歴史家で作家でもあったマヌエル・ゴンザレス=ラミーレスもいました。「カチュチャス」の存在は、頭脳と悪戯好きの両面でキャンパスを震撼させていたのです。

高校時代のボーイフレンド、若きカリスマ雄弁家の3歳年上のアレハンドロ

アレハンドロ・ゴメス=アリアスは、「カチュチャス」のリーダーでフリーダより3歳年上でした。そして高等学校の2年目に、フリーダはアレハンドロのボーイフレンドになります(18歳の時のフリーダが被った大事故の時、一緒にバスに乗車していた人物で、手術後、フリーダと手紙をやり取りする男性です。自伝的映画「フリーダ」にもその様子が描かれています)。世の中をもっと知りたいという激烈な衝動に動かされていたフリーダにとって、会話が一つの芸術になったようなアレハンドロの雄弁術とカリスマ性は憧れの的でした。加えてスポーツマンでハンサムでした。このアレハンドロですら、3歳下のフリーダは自分よりはるかにすすんでいると感じていたのです。
とにかく有名な自画像の載った画集や伝記的映画からフリーダに触れていると、大事故の影響やリベラの存在からフリーダの性格や能力が推し量りずらくなります。当初は大事故で寝床につきながら描いた自画像であり、世界的な画家ディエゴ・リベラの妻であり(美女と野獣とよく言われた)、リベラが認めた絵画である、といった風潮のもとで語られていましたが、フリーダ本人が少女時代に帯びていた能力は、すでにそらおそろしいものがあったのです。はじめてのアレハンドロへの手紙で(15歳の時、まだ恋人同士ではない)、不運を被ったアレハンドロに「友達として忠告できることは、私たちが耐え忍ぶべくこの世に生まれた以上、父なる神が試練として送り給うたこの苦痛に負けない強い意志力を持っていただきたい、ということです.....苦痛を感受するのに充分な恩寵の力を、神があなたにお授けくださるよう、神様にお祈りいたします」と書き送っています。このメッセージは3年後に自らにふりかかる自己の不運への、「鏡」に映しだされて自らに送り返される力強いメッセージのように感じざるをえません。「苦痛」「試練」「意思力」「恩寵」といった言葉は、大事故以降のフリーダの人生をシンボライズする言葉なのですから。

フリーダは質問に答えられない教師をクビにするよう校長に要求していた

3歳年上のカリスマ的雄弁家のアレハンドロも太鼓判を押したフリーダの能力。たとえば、フリーダは教科書などは一度読めば内容を覚えてしまうことができたといいます。そのため退屈な授業はさぼる権利があると考えていたといいます。質問に答えられない教師、講義の準備不足の教師に対しては、フリーダは容赦なく噛み付きます。校長に教師のクビを要求する頭のいい女学生、それもフリーダなのです。品のいい読書サークルなどでなく、”反逆的姿勢”をエンジョイする「カチュチャス」にフリーダが加入したのも当然の成り行きだったのです。フリーダが高校時代に政治活動には参加しなかったのも、政治家は狭い利己主義から行動するので軽蔑の対象となるという「カチュチャス」のポリシーからでした。
そんな講師が「カチュチャス」グループの悪戯の対象になった時は悲惨なものです。教壇の上方の窓に爆竹が仕掛けられ、導火線を室外まで引いて点火させ爆発させるのです。大学で最も尊敬を集めていた教授の講義内容が空疎だとして同じく爆発させています。窓ガラスが吹っ飛び教授に降り掛かりますが、当時の教授はそんなことをお構いなく講義を続けるほど腹がすわっていたといいます。フリーダはひどく睨まれて退学処分をくらっていますが(女性では初だとおもわれます)、自身で文部大臣に掛け合い直訴しています(校長と文部大臣とは反目していた関係で大臣はフリーダの復学を校長に命じている)。

ヘーゲルやカントなどは漫画並みの口の利き方。フリーダはメヒコの「ビートたけし」だった

また父所蔵の哲学書にも親しみつつ、スペイン語、英語、ドイツ語が読めるようになっていたフリーダにとって、カバーできる知的領域は相当のひろがりになっていました。スペイン文学やロシア文学、聖書はもちろん、メキシオ革命期の精神を代表する詩「ソソブラ」を書いた詩人ラモン・ロペス=ベラルデ、メキシコ現代文学を読んでいたかとおもえば、15世紀フィレンツェの画家パオロ・ウッチェロの伝説的生涯に感銘を受ける、といった具合です。そして学校帰りにボーイフレンドのアレハンドロに、バスの中で読むのでシュペングラーを貸して欲しいと声をかけるのです。
「カチュチャス」に属するもう一人の女子学生ハイメも哲学書を読み漁るエキセントリックな性格の女学生でした。対抗心もあってかフリーダは、ヘーゲルやカントなどは漫画並みという口の利き方をしていたようです。フリーダの別の女友達レイナとは、公園を一緒にぶらつき物売りとコインで賭けをして菓子をまきあげたり、流行の洒落言葉や隠語をいち早く仕入れたりしていました。駄洒落の名人で、臨機応変の鋭い機知で友人たちをうならせたフリーダは、若い頃は男の子風オカッパ頭で自転車をぶっ飛ばし、流行の洒落言葉や隠語にもいち早く反応し、読書量も半端でなく、芸術面や他の言語にも関心を持ち、内省的でもあり、「カチュチャス」で一生保持するほどの同士的な忠誠心と男性的なつきあいを学び、権威を覆すのが喜びで、悪戯好きで、日本で言えば、若い頃の「ビートたけし」に似ていないでしょうか。「ビートたけし」もバイク事故(?)で大怪我をしています。その後、映画に向った北野武ですが、実際に絵もうまかった。フリーダの時代に生きていたら北野武岡本太郎がメキシコで描いた巨大な壁画「明日の神話」のように、巨大壁画を描いていたにちがいありません。巨大壁画が「動き」だせば、「映画」になるのですから。

「私の夢はディエゴ・リベラの子を産むことよ」と高校生のフリーダは言い放った

予科高等学校は壁画を何人ものメキシコの芸術家に委嘱していました。フリーダの通うこの高校は、メキシコ国立大学の付属で、メキシコが誇る最高の教育機関の国立予科高等学校なのです。そんな場所で壁画制作していた画家たちは、足場の下の切れ端に火をつけられた時にはさぞ驚いたことでしょう。それも「カチュチャス」のメンバーの仕業でした。画家たちは命を守るためにピストルを持参する者もいたそうです。学校から委嘱を受けた最高の画家がディエゴ・リベラででした。フリーダが予科高等学校に入学した頃(1922年)にはすでに世界的名声を得ていました。リベラは壁画を描きながらお喋りをするのが好きで、独特のカリスマ性と蛙に似た容貌から見物人を集めていました。
フリーダにこのリベラをどうしてもからかいたい衝動が沸き起こってきます。学生の立ち入りは禁止されていた制作中に、フリーダは忍び込むとリベラの弁当箱から盗み食いしたり、大講堂の出入り口の階段に石鹸を塗って転倒させようとすらしています。また壁画に描くため美人モデルや愛人がやって来た時はちょっかいを出したり、二時間でも三時間でもリベラが絵を描くのを飽かず見ていたといいます。後にリベラと結婚する愛人ルペは、やきもちを焼いてフリーダを睨み返すほどだったといいます。そしてフリーダの神話の一つになっている言葉を、この予科高等学校時代に他の女子学生とアイスクリームを食べながら言い放つのです。「私の夢はディエゴ・リベラの子を産むことよ」と。▶(4)に続く