SFの父・ジュール・ヴェルヌの「Mind Tree」(3)- 地下水脈でつながったニーチェ



フランス・ナントの故郷ジュール・ヴェルヌミュージアム
動力で動く巨大エレファント

19世紀半ばのパリ-イマジネーションが点火する

ヴェルヌは図書館に日参し、気になった航海・地理・科学関係の書籍に読みふけります。後の『月世界旅行』に登場する弾道学(Ballistics)をみても分かるように極めて論理的な記述であり、実際に20世紀初期の宇宙科学者のツィオルコフスキーやヘルマン・オーベルトもヴェルヌの著作から多くを学んでいました。ヴェルヌの文章の高い論理性は、彼が幼い頃から反抗していた論理的に物事を考えすぎる父親のDNAなのかもしれません。
そうした論理性はヴェルヌのイマジネーションを妨げるものではなく、イマジネーションをさらに点火させるものになりました。幼い頃に母方の祖父たちから聞いていた海の彼方の物語の記憶も蘇っていたことでしょう。冒険家のジャック・アラゴーと交際するようになり様々な実際的な知識を得たりもします。インスピレーションがスパークし続けます。そしてひっそりと冒険小説を書きつづけます。ヴェルヌが暮らしていたのは、19世紀半ばのパリです。さまざまな発明があちこちでなされ新たな文明が溶鉱炉の中で準備されようとしていました。それから10余年。ヴェルヌの「マインド・ツリー」は確かな年輪を刻んでいました。樹勢がつきはじめようとしていた時に、SFの開祖ジュール・ヴェルヌが誕生する契機となった「シンクロニシティー」が起こりました。

シンクロニシティ・ポイント

シンクロニシティ・ポイント-35歳の時に起こる(1863年)✦ 出版人・編集者ジュール・エッツェルとの出会い。エッツェルはそれまでビクトル・ユゴープルードンらの著書を出版し、社会体制への疑問から社会主義に関心を寄せていた大物人物。蒸気機関輪転機、写真術、電気通信の機械文明の時代の到来を察知したエッツェルは、古い先制政治の打倒のためには、次の世を担う子供たちに知識や夢を与える児童図書が重要になると考え、児童図書の出版の道へ舵を切り始めていた時だった。ヴェルヌの科学技的事実を小説に取り込んだ子供たちをもわくわくさせる冒険小説はまさにエッツェルが望んでいたもの。2人の出会いで生まれたのが「驚くべき旅行記」シリーズだった。同時にこの頃、「巨人号」という巨大な熱気球船を本当に飛ばそうとしていたナダールとも知り合い意気投合する(エッツェルが紹介したとも言われるが)。ナダールは当時発明されたばかりの写真でも名を知られ、風刺画家であり発明家だった。ヴェルヌはナダールが実際に飛ばした熱気球船をベースにして風船旅行記に仕立てあげる。空想は科学によってしっかりと骨組みされ、科学は空想によって未来を夢みさせた。

海底二万里』『八十日間世界一周』と大きな樹冠をつけていくヴェルヌ

エッツェルと執筆契約をしてからは、ヴェルヌの「樹」は一気に勢いよく伸びはじめます。36歳の時、『地底旅行』(1864)『月世界旅行』(1865)『ハトラス船長の旅と冒険』(1866)、さらに『海底二万里』(1870)『月世界探検』(1870)など6年間で長編8篇を書きあげました。途中、仕事部屋代わりにしようと小さな帆船(漁船)を一隻購入します。『ハトラス船長の旅と冒険』や『海底二万里』などは、漁船の中に一人閉じこもって書かれました。書籍が大いに売れ収入が増すと、大きな船に乗り換えていきました。最後は10人乗りの蒸気船になります。その船に乗りジブラルタルやアルジェへ、北海やバルト海ノルウェーやアイルラドへ、別の年には妻子と一緒にミラノ、ヴェニスへと巡航しています。ローマではローマ法王と謁見。読者はうなぎ上りに増え、世界各地に翻訳されます。「ル・タン」紙にヴェルヌの小説の中で最も読まれることになる『八十日間世界一周』が連載。傑作『神秘の島』は、ヴェルヌが少年時代に愛読していた『ロビンソン・クルーソー』が下敷きになっていて、無人島に近代的産業の萌芽が生み出される様子を描いています。またバルザック的な人物描写をしたり後期浪漫派の筆致で廃墟の美を語るなど、自身の”根っ子”の記憶を根力とし、ヴェルヌの大樹は雄々しく繁茂していきます。

マッドサイエンティストの登場。そしてニーチェと地下水脈でつながっていく

ところが大樹に影あり。作品『ベガンの五億フラン』の後半部に科学的悲劇やペシミズムの影が射しはじめます。工場では労働者は非人間的に虐げられ、マッドサイエンティストは科学を人間を破壊するためにもちいだします。『動く島』(1895)ではユートピアもついに分裂し破壊されます。晩年の作品『緑の光線』(1882年、ヴェルヌ55歳)にはまるで人間的感情のない科学者を登場させ『国旗に向かって(後にチェコカレル・ゼマンが『悪魔の発明』として映画化)』では人類を殲滅する兵器を発明したマッドサイエンティストが描かれます。また『永遠のアダム』では文明の頂点に達した人類が天変地異で未開の状態に陥り、再びゼロから出発し文明を築くと、再び未開の状態へ後戻りするのが人類であることを悟って愕然とする考古学者を描いています。
そしてこの頃、ヴェルヌの地下径は、地下水脈を通じて、なんとニーチェとスピリチュアルにつながっていきます。二人は直接には会っていませんが、ニーチェの多くの著作がフランス語訳されており、ヴェルヌは確実に何度も読んでいるようです。『永遠のアダム』の「永劫回帰」の観念はまさにニーチェそのもので、主人公の名前はツァラトゥストラの名前を少し入れ替えたものでした。またニーチェもかけ出しの頃、『海底二万里』を読み、ネモ船長に社会の掟に従わない新しい人間のタイプを見いだしていた可能性があるようです。また二人ともスタンダールの『パルムの僧院』を何度も読み返し刺激を受けている点など多くの照応関係が見いだされています。つまりヴェルヌは表向きは冒険小説家であったわけですが、もう一つの顔はアナーキスト的気質を多分に持ち、一徹の意志力に貫かれた「地下的な革命家」だったのです。
61歳の時、妻の生地アミアン市の最左翼派の市会議員として選出されます。最左翼派から出馬したことをあれこれ言い訳し、すぐにアミアン市立劇場の財務管理役となり、ジプシーやサーカス団、行商人たちの管理の役を担うようになり友人になります。1905年、77歳、糖尿病で苦しんでいたヴェルヌは危篤状態になり亡くなります。妻、妹、息子や孫たちに看取られました。多くの文学者、科学者、美術家、出版関係者が集った葬儀には各国の国王の弔辞も寄せられました。おそらくはヴェルヌが秘められた決意を胸にしまった「地下的な革命家」だったことを知らずに。ヴェルヌの思いは世界中の子供たちの心に夢と勇気となって伝わっていきました。ヴェルヌの「マインド・ツリー」は、すっかりあるべき場所を抜け出し、海底か南極に、それとも地下か、はたまた月面に翔んでいっているのかもしれません。
◉成年・晩年期:Topics◉ヴェルヌが43歳の時、父が死去すると、55歳の時にエッツェル、その4年後に母も亡くなります。またエッツェルの死の10日前には、金の無心に来た甥に足を撃たれその後生涯杖をつくことになります。まるでネモ船長のように極度の人間嫌いとなり、神経衰弱にも陥り、家の階上の仕事部屋に閉じこもって仕事をこなすだけになります。晩年は「沈黙と人を遠ざけること」がヴェルヌの願いになっていたようです。

ジュール・ヴェルヌの「Mind Tree」を読めば、ますますヴェルヌの世界が近づいてきます。一度ぜひ読んでみましょう。ぐんと世界が広がります>

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「平和主義者」ヴェルヌの著作は、子供向けに化粧直しされた

月世界旅行』や『海底二万里』などは、かつて英語圏では酷い翻訳がなされ、すべて子供向きの物語に化粧し直されてしまっていました。初期の映画のイメージも相まって私たちもその様に思い込んでしまっているようです。実際のヴェルヌの作品は社会・政治に対し挑発的でまったく大人の、しかも立派なサイエンティストたちをも瞠目させる内容のものでした。以下に『月世界旅行』(W.J.ミラー注/高山宏訳;ちくま文庫)の冒頭の部分を少しばかり掲載致します。

第一章 大砲クラブ  合衆国における南北戦争のあいだに、非情な影響力をもつ新しいクラブがメリーラド州の中心地ボルチモア市に創設された。かの船主と商店主と職人たちの国が、このような集まりで戦争というものに対する好みをどれほどに研ぎすましたものか、よく知られている。事務をやっていた連中が勘定台をとび越えていって、別にウエスト・ポイント士官学校で学ぶわけでもなく、すぐに大尉に、大佐に、将軍になった...

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▶『月世界旅行』の冒頭に登場するボルチモア市には、「記念碑の都」と「暴民の町」という相矛盾するような呼び方があるようです。ベーブ・ルースの誕生の地でもありニューヨーク・ヤンキースの前進のチームもこの地にありました。1990年代には全米最悪の犯罪都市のお墨付きを獲るほどになっていました。この地に生まれた映画監督ジョン・ウォーターズは、皮肉全開でボルチモアを描いています。▶映画『アイ・ラブ・ペッカー』-「映画の中に写真を読む」に詳細 http://artbirdbook.com/Noindexold.html/eigafolder/Film-Pecker.html ▶「Mind Tree」拡大 http://artbirdbook.com/Noindexold.html/MindTreefolder/Jule-verne-mindtree.html

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