J.D.サリンジャーの「マインド・ツリー」(3)-
隠遁生活の真相、東洋思想、瞑想を実践するためだった
▶(続き):サリンジャーは30歳の時のインタビューで存命中の作家を除く気にいっている作家をあげています。カフカ、フローベル、トルストイ、チェーホフ、ドストエフスキー、プルースト、オケイシー、リルケ、ロルカ、キーツ、ランボー、バーンズ、エミリ・ブロンテ、ジェイン・オースティン、ヘンリー・ジェイムス、ブレイク、コールリッジです。彼等の小説がサリンジャーのそして主人公ホールデンの”心の樹(マインド・ツリー)”の水となり養分となっていったことはいうまでもありません。
『ライ麦畑でつかまえて』は、1950年代に目標を持てない若者たちの気分を代弁しているとしてベストセラーになり、出版後3年間で日本を含め7カ国に、現在30カ国以上で翻訳されています。しかしあまりにも有名になったサリンジャーは周囲の変化に苦しめられ、1953年にニューハンプシャー州コーニッシュの片田舎に移り住みます。
その行動は世間との交流を断つというものではありません。先に記したように30歳半ばにして、その上空に伸びたサリンジャーの「樹」は霧に隠れてしまい、周囲からは完全に接触を断った隠遁生活とうつりました。しかしそれは東洋思想を実践するためのものでした。『ライ麦畑でつかまえて』が出版されて以降、スリ・ラマクリシュナの思想を自身に取り込んでいきます。人里離れた場所に住んだのはその実践のためで、”内なる眼”で自身の”魂の樹”を感じ、瞑想するためでした。
55年にはアメリカ第一禅協会に登録、同じ頃、結婚し子供ももうけますがその後も近所付き合いをせず2人で野菜をつくって生活していました。しかし12年後に離婚しましたが近くに住んで行き来がありました。息子は父が若い頃熱中したのと同じように演劇の道にすすみブロードウェイのステージに立っているそうです。53歳の時、18歳の女子大生と同棲しています。若い頃チャップリンを激しく口撃したサリンジャーも女性に対しては同じ道を歩みました。1999年、その女性が持っていたサリンジャーの手紙はサザビーズの競売にかけられています)。サリンジャーという一本の孤高の樹は、身体は亡くなっても、「内なる魂」となって永遠に立ち続けていることでしょう。
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