サン-テグジュペリの「Mind Tree」(3)-「心で見なければ、物事はちゃんと見えてこない。大切なものは目には見えない」


莫大な借金をして手に入れた最新鋭のシムーン

▶(2)から続く:サン=テグジュペリパイロットを降ろされても大空への冒険を続けました。最新鋭のエアロダイナミック・ボディーで空に弾丸のように突入していくシムーン機を、莫大な借金をして手に入れました。そしてシンボリックな意味においても、また現実的にも、「飛ぶことと書くことはまったく一つ」となっていくきます。パリ〜サイゴン間の長距離飛行記録更新飛行に挑戦中のリビア砂漠への不時着と遭難(35歳)、そしてニューヨーク〜南アメリカ最南端フエゴ島間の長距離飛行挑戦中の南米グアテマラの飛行場からの離陸失敗(38歳)の体験(意識不明、10カ所の骨折、悪化した右腕切断を勧められる)は、それが成功しようが、失敗に終わろうが、サン=テグジュペリに「空の世界」の充足感と地球上で誰も味わったことのない体験と智慧を彼に与えました。けれども飛行記録更新の賞金を逃したことから、シムーン機の借金が経済的負債となってしまいました。妻コンスエロは家賃を払えずマンションから追い立てられます。ところが人生とは面白いものです。飛行機乗りにして著名作家の遭難は、メディアの格好の餌食となり、逆に冒険の失敗と遭難によって脚光を浴びることになったのです。缶詰にされて書かされた遭難記事は大当たり。かなりの原稿料を手にします。そして予期せぬかたちで新聞社の特派員となってスペイン内乱を取材したり、政治社会的問題や国際情勢への関心もつのり、ルポライターとしての才能も開花します。
予想がつかない運命を彼にもたらしたのは、サン=テグジュペリの信条の「たゆまぬ行動」でした。サン=テグジュペリの「マインド・ツリー」には、枝葉が折れ傷ついても、とにかく前進し冒険する、その信念と行動が新たな枝葉を生じさせる、そんな旺盛な樹勢が流れているのです。

「人間の土地」の発見

アンドレ・ジッドからそれまでに書いてきたルポルタージュやエッセイをまとめて推敲し1冊の本にしたらどうかアドバイスされたのはグアテマラ離陸事故の療養中の時でした。ドラマチックな構成を求められる小説は自身の資質に向いていないと感じていたサン=テグジュペリに天啓をもたらしました。自身の実体験のエピソードとエピソードを共鳴させる新たな方法を編み出したのです。『人間の土地』というタイトルで出版された書籍は高い評価を獲ることになります。近代資本主義社会を成立させている均質で直線的時間に抗う、近代小説の形式を否定したもだったにも拘らず、本書はアカデミー・フランセーズからその年の年間最優秀小説に選ばれました。
「空の世界」を住処としていたサン=テグジュペリは、連続的で均質的な時間ではなく、”一瞬一瞬”に価値を感じ取っていました。ピーク・モメントの時間です。と同時に、『人間の土地』では直線的時間とは真逆の「円環の時間」を初めて描き出しました。それは古のヨーロッパから流れている農耕の時間への深い関心と記憶がとらえたものでした。その時間は、サン=テグジュペリが幼少の頃に(あの古城の畑の世界)親しんだ土地を耕し、季節の移り変わりとともに生きる時間の流れだったのです。サン=テグジュペリは「農民たちは半ばしか死なない、彼らの生涯はそれぞれが鞘(サヤ)のように弾けて種子を次にゆだねる」と感受しています。『星の王子様』には一瞬に咲く可憐な花がよく描かれますが、その花も循環する時間があってこそなのです。可憐な花は、星を構成する「大地」とつながり、悠久の「大地」があってはじめて存在することができるんですから。
「空の世界」の住人サン=テグジュペリは「地上の世界」を再発見しました。上へ上へと、遥か大空へと伸びていったサン=テグジュペリの「マインド・ツリー(心の樹)」は、ここで初めて自身の身体をも生み出した”土壌”への意識に向かったのです。「空の世界」を究極まで体験しえたサン=テグジュペリならではの「大地感覚」は、その”意識の流れ”を持ち込んだ構成力とともに非情に高く評価されました。『風と砂と星々』のタイトルで翻訳された米国でも大評判になり、チャールズ・リンドバーグ(大西洋横断無着陸単独飛行の成功者)もサン=テグジュペリを自宅に招き歓迎します。そして後に回想録『翼よ、あれがパリの灯だ』を纏めることになります。

幼い頃の「絵」の記憶が、蘇ってくる

『星の王子様』は、サン=テグジュペリがいつもポケットをいっぱいにした文章の切れ端や絵の中から誕生しました。そのポケットの中に「髪をぼさぼさにしたスカーフを風になびかせた少年」の絵がありました。サン=テグジュペリの出版を引き受けていたカーティス=ヒッチコックが、ある日サン=テグジュペリに、その少年を主人公にした童話を書いたらどうか、と提案したのです。自分が「童話を書く」ことに可能性と魅力を見いだすまである程度時間がかかりましたが、サン=テグジュペリはここでも動きはじめました。「絵」を描くことをはじめたのです。そして6歳の時、原始林について書かれた本の中にあったすばらしい「絵」の記憶のことと相まってつむがれていきました。そしてその絵のことにつづいてすぐに例の有名になった大人たちが帽子だという絵の話がきます。その絵は『星の王子様』の主人公が描いた第一号の絵だと紹介され、本当はウワバミ(大蛇)がゾウを飲みこんでいる絵なんだ、という説明とともにそれが第二号の絵だったとつづきます。大人たちはいつも説明しなければ何も分からないので子供はくたびれてしまうので、仕方なしに絵を描くことはやめて飛行機の操縦を覚えるようになったのでした。


もうお分かりのように、これはサン=テグジュペリ本人の幼年期のことを映しこんだものです。よく言われるように『星の王子様』は子供と大人の世界の対立、本質と常識・論理・物質主義の対立が描き込まれていますが、じつはサン=テグジュペリ本人の幼年期や人生の選択、その後に起こったことが鏡に映し出すように描かれている場面が随所にあります。例えばこんな感じです。「6年前、飛行機がサハラ砂漠でパンクするまで、親身になって話をする相手がまるきり見つからずに、ひとりきりで暮らしていました」。

『星の王子様』は、サン=テグジュペリの「心の樹」そのもの

『星の王子様』は、サン=テグジュペリの「マインド・ツリー(心の樹)」そのものといっていいでしょう。6歳の時、サン=テグジュペリは大叔母の伯爵夫人の古城で過ごしていた時で、サン=テグジュペリは畑で種を撒き野菜を育てていました。『星の王子様』にも花や樹の話があちこちにでてきます。無論、幼少時の体験や記憶をそのまま書いたわけではなく、するすると伸びていった「心の樹」を書いたのです。『人間の土地』で「大地感覚」をつぶさに描いたサン=テグジュペリにとり、6歳の頃の種撒きと野菜を育てていた感覚と記憶にいたることは必然だったはずです。しかしその「楽園」から出なくちゃいけない理由やら出来事、飛行機乗りになったことなど、自らの成長を「心の樹」として描いていきます。


「心で見なければ、物事はちゃんと見えてこない。大切なものは目には見えない」というサン=テグジュペリの思想は、『星の王子様』を描き、そして書いていった最中に、生まれ落ちたものでした。



夜間飛行 (新潮文庫)
夜間飛行 (新潮文庫)堀口 大学

おすすめ平均
stars郵便飛行事業に携わる気高き者たち
stars毅然とした美しさ。
starsフィクションにしかできないこと
stars名作。夜間飛行
stars幸福は義務の中に。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
人間の土地 (新潮文庫)
人間の土地 (新潮文庫)堀口 大学

おすすめ平均
stars死は生を際だたせる光だ
stars空へのあこがれ
stars人類の皆様へ
stars「人間の土地」の意味
stars時代を超えて勇気をくれる、サンテグジュペリの代表的名著

Amazonで詳しく見る
by G-Tools