C.S.ルイスの「Mind Tree」（2）- 詩集は売れず、戦友の未亡人と同居

16歳の時、駅の売店で、大人のためのファンタジー『ファンタスティック』を偶然手にとる

▶（１）の続き：16歳の時、ジャックは兄につづきロンドンから30マイル南方にあるグレート・ブッカム村でカークパトリック氏の個人教授を受けるようになります。オックスフォード大学の入学試験をパスするためでした。66歳のカークパトリック氏はジャックのただならない潜在能力に気づき、カリキュラム以外に知的訓練と様々な知の方法論を授けます。
そしてこの頃、ジャックはある重要な本と出会っています。ジョージ・マクドナルドの『ファンタスティス』という大人のためのファンタジーでした。ブッカム村の駅の売店の小さな書棚にあるのを偶然、ジャックが手にしたものでした。この本との出会いは決定的でした。
ジャックはマクドナルドの驚く程の柔軟な想像力に心底魅了され、『ファンタスティス』を何度も繰り返し読みました。子供のためのフェアリー・テールの『北風のうしろの国』『お姫さまとゴブリンの物語』なども読みました。ジョージ・マクドナルドは、フェアリー・テイルや誌、エッセイーを書いた19世紀でもっとも独創的な英国の思想家です。ただ、まだこの頃は多くの偉人たちや他の大勢の人々と同様、確たる将来への焦点は見いだしていません。
個人教授を受け出して２年半がたち（18歳頃）、オックスフォード大学の奨学生試験を受ける学力が身に付きはじめていました。なんとなく将来は詩人になれればいいな、という夢をもちはじめていたようです。それは当時の多くの青年の夢であってとくに珍しいものではありませんでした。同時にその夢のままでは、生計はたてられないだろうとおもい、まずは大学に職をえることが肝要だろうと考えていたようです。しかし当時オックスフォード大学でも、兵役にとられた多くの生徒たちがフランス戦線に向かっていました。通常１万５千人はいるキャンパスは、当時わずか315人しか残っていなかったのです。フランス戦線はさらに悲惨さを増し、戦死か長引く塹壕暮らしか、病院送りか三つに一つといわれていました。そんななかジャックはこの時期、言語への感覚が鋭くなり、文章が断然うまくなっていきます。少年の頃から関心があった神話や伝説への興味、とりわけ北欧神話への想いは断ち切れていませんでした。そしてジャックは見事、難関の試験をパスします。

◉青年期：Topics◉大学での最初の試験（学位取得第一次試験）は落第している。亡くなった母はすぐれた数学者だったにもかかわらず、ジャックは数学が大の苦手で試験でも数学が鬼門に。ジャックは勉強を続けながら学徒兵訓練部隊に参加。軍事教練がおこなわれ学業も中断される。大学キャンパスは負傷兵たちのキャンプに。ジャックは臨時兵舎になっている他のカレッジに移って訓練を受け待機。

戦友の未亡人とその娘と三人での暮らし

訓練部隊では偶然同室になったエドワード・ムーアと親しくなり、もし戦場でどちらかが亡くなったら両親の面倒をみるように約束を交わしました。軽歩兵隊の少尉として、「サバイバル・ペルソナ」をつけたルイスはフランスに侵攻してくる対ドイツ前線に向かいました。そこはまさに戦場でした。多くの戦友は命を落とし、悪臭を放つ塹壕の中で眠る日々。流れ弾があたりジャックは負傷（その時、近くにいた軍曹は即死）、インドランドに送還されました。病床に伏し半年後、ドイツは降伏し第一次大戦は終焉しました。しかし誓いを交わしたエドワードは亡くなっていました。ジャックは戦友エドワードの母ジェイニー（当時46歳。夫と別れていた）を見舞いました。ジャックは亡き母の面影を感じたはずです。また息子を亡くした彼女もジャックに愛情を注いでくれました。戦友エドワードとの約束を守るため、ジャックはジェイニーと12歳の娘の面倒をみるようになり３人で暮らすようになりました。このことは誰にも隠していました。そんななか２人の鉾はどんどん深まっていきます。ロマンチックな関係もいくらかあったようです。関係が悪化していた父はまだしも兄ともこのことで疎遠になっていきます。その時、ジャックはまだ19歳。未亡人との関係を気にする父からの仕送りが頼りの状態でした。ジャックはその後も経済的につねに困窮しています。ただそれ以上にジェイニーとの鉾は強いものとなっていきました。しかし傍目からみれば、幹も育っていない１本の樹のすぐ傍らにすでに大きない本の樹と、小さな木が寄り添うといった風変わりな光景だったことは間違いないでしょう。

自費出版の詩集は、すべて売れ残り

21歳の時（1919）、ジャックは詩集『囚われの魂』を自費出版します。しかし友人と家族以外はまったく関心をもたれることはなく、印刷した750部はほぼそっくりそのまま売れ残りました。それから８年立後、詩人への夢まだ断ち切りがたく、ジャックは万を持して詩集『ダイマー』を出版します。批評家からは黙殺、反応はまったくなくついに詩人としての夢を捨て去りました。
この時、継続的に書いていた日記も無意味だとして書くのを辞めています。ジャックの「マインド・ツリー（心の樹）」の大切な枝がこの時、一本折れてしまったのです。次の有力な枝葉が育つまでにさらに６年かかっています。とにかく６年間は出版への意欲はすっかり失せていたのです。

20代後半でメタボ体型に。服にも無頓着

その間にジャックは、24歳から３年間の間にオックスフォード大学でも名高いモードリン・カレッジのフェローへの応募と、ケンブリッジ大のトリニティー・カレッジの哲学のフェローに応募しますが相次いで失敗しています。27歳の時、ジャックに幸運が巡ってきます。再度オックスフォード大モードリン・カレッジの英語・英文学のフェローに応募した頃には、大学側が優秀な彼の存在に着目しはじめていました。何度もインタビューを受けた上で合格となります。ジャックの「心の樹」が成長期にはいっていたのです。リアルな身体の方もおそらく父の遺伝で体重がどんどん増しメタボ体型と化し、20代後半にしてすでに老成した風貌になります。また、オックスフォードのジェントルマンとは真逆で、スポーツにからっきし関心がなく（嫌ってさえいた）、衣類にもまったく無頓着で地味な服を着くずしていました。そんな姿は、ジャックが少年の頃よく描いていた服を着たぷっくり太った動物を彷彿とさせました。
そんな時期に、ジャックは文芸書『愛とアレゴリー』を構想し、書きはじめていました。この頃キャンパスで洒落者を気取っているチューターや学生はほぼホモセクシャルで、もしジャックが洒落者だったら、別の世界に踏み出していたでしょう。

J.R.R.トールキンと出会う。34歳、新たな可能性へ

28歳の時、英語英文学科の会合でJ.R.R.トールキンと初めて会います。トールキンはジャックより７歳年上で、アングロ・サクソン語の教授として同じオックスフォードのマートンで教えていました。２人とも20世紀の現代文化に背を向け、世情や時事問題にもとんと無関心で、気にいった知的世界にだけ向かう姿勢は瓜二つです。友情が芽生えるのも時間の問題でした。
34歳の時、突如新たな枝が伸ばしはじめたのです。神話とキリスト教を結び合わせた散文『天路逆程』（ジョン・バニアンの『天路歴程』を再話する構造で、人への啓蒙の旅を描いた内容）がそれで、故郷に住む心の友、アーサーを訪ねた時に２週間で書き上げたものでした。
自身の”魂”の目覚めを物語ったものでした。故郷への帰還、故郷の心の友、自身の目覚めは、かつてアーサーに示されていたジャックの「心の樹」の”核”にある「歓び」を描いたものだったのです。

ほぼ10年かけた文芸書『愛とアレゴリー』

20代後半から書き綴ってきた文芸書『愛とアレゴリー』が、37歳の時に完成します（1935年）。中世初期から16世紀後半までの恋愛文学に批評を加えたもので、C.S.ルイス（ここからジャックあらためC.S.ルイスと表記します）の最初の学芸書となりました。この本は、その後のC.S.ルイスの著書の中でも最も完成度の高い書籍となり（今日でも重要な文献になっています）、各方面から高い批評がなされました。この文芸書は、暖かく親しみある声がじかに聞こえてくるような語り口で書かれていました。後の『ナルニア国物語』でも出会うことになるあの語り口はじつはこの文芸書を書くにあたって生み出されたものだったのです。

学者としてのC.S.ルイスの名はオックスフォードでも確かなものになりました。多くの埋もれた書籍が掘り起こされ、とくにエドマンド・スペンサーの『妖精王女』（1596）はこの『愛とアレゴリー』のおかげで16世紀後半の英文学史の重要な本となっています。
すっかり辟易していた教師としての仕事に慣れてきたのもこの頃でした。ウィットとユーモアと議論に富んだ講義は、学生たちにうけはじめたのです。またその余勢で「ビールとベーオウルフを楽しむ夜」という自前のクラブをもうけたり、学年末パーティーを主宰しては自身テーブルの上に乗って古誌を吟唱したりしています。▶（３）につづく

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