C.S.ルイスの「Mind Tree」(3)- 16歳の時の「心の絵」が動き出す


パブでの会合「インクリングス」で『ナルニア国物語』が初めて語られた

ナルニア国物語』やトールキンの『指輪物語』も初めて皆に読み聴かされたパブでの男性限定の会合「インクリングス」

▶(2)の続き:1930年代の初期にオックスフォードのキャンパスで生まれた会合「インクリングス」(英国らしく男性限定の排他的クラブ)では、C.S.ルイスのものを書く動機と刺激を与えてくれるものでした。もともとはエドワード・リーンという学生が組織した週一度集まって文学上の議論を戦わせたり、未発表の原稿を持ちよって読み聞かすといった会合でした。リーンが卒業して以降は、C.S.ルイストールキンが発起人となってら会員が集まり再出発し、名称をそのまま踏襲し、キャンパス内のルイスの部屋で毎週木曜日の夜に会合がもたれるようになりました。1939年からは会合は、木曜日の午前中にバード・アンド・ベイビーとうパブで開催されるようになります。『ナルニア国物語』やトールキンの『指輪物語』もこのパブで最初にメンバーに読み聞かされました。この「インクリングス」は1940年代の終わり頃までつづいています。
皆が血気盛んな時はいいのですが、次第に読み聞かせる者が固定されたり、嫉妬心が生まれたり、男性だけの会合といえどもいつも陽気な集まりというわけにはいかなかったようです。新しい会合場所はトールキンが気にいらず、1946年頃からトールキンは次第に姿を見せなくなっています。実際の原因はルイスのキリスト教への回心が2人の関係に亀裂を生んだとも、またはトールキンは親友ルイスと2人だけのつながりを深くもとめたけれども、友だちの多いルイスがいつも2人の関係に友人たちをかかわらせようとしたためだともいわれています。

「宇宙小説」に取り組む

C.S.ルイスがファンタジーを書こうと考えるようになった契機は、トールキンとの会話だったようです。2人とも30代後半になっても相変わらずファンタジーを好んで読んでいました。そうした男性は当時も極めて少数派だったようです。しかし2人はファンタジーのなかに、自らの道徳的、宗教的関心を反映させることができるのではないかと考えたのです。当初はルイスとトールキンで作品を合作しようという話もでたようです。それは2人だけの秘密の話し合いで、ルイスは宇宙旅行トールキンはタイム・トラベルものでいくことが決まっていたようです。
この時、トールキンは『ホビット』をすでに出版していて、好評だったこともあり軌道に乗り始めていました。トールキンは「新ホビット」を書きだしました。それがその後に12年間にわたって書きつがれていくことになる『指輪物語』となっていきます。一方、ルイスが数ヶ月で書き上げたのは『沈黙の惑星を離れて』(1938)でした。いっけん本書は、ジュール・ヴェルヌH.G.ウェルズ、またルイスの同時代人のアイザック・アシモフやロバート・ハインラインらのSF(サイエンス・フィクション)を彷彿とさせますが、SFと違って科学に重きを置いていない(実際ほとんど登場しない)ため「宇宙小説」とでも呼ばれるものでした。ルイスが最も影響を受けたのはデヴィッド・リンジーの『アルクトゥルスへの旅』(1920)でした。これは”霊的次元”をテーマにしたものでした。ルイスはさらに続編『ペレランドラ』(1942)を書き上げます。こちらはミルトンの『失楽園』に触発されたもので、<宇宙の宗教>がテーマになっています。

16歳の時の「心の絵」が動き出した理由

C.S.ルイスが『ナルニア国物語』の第一巻となる『ライオンと魔女』を書きはじめたのはちょうど50歳になった頃のことでした(1948年)。ルイスによればこの本の冒頭のイメージは、なんと遡る16歳の時、少年時代の夢の中に鮮明にあらわれ記憶に焼き付けられていたものだったといいます。それはまさに「マインド・ピクチャー(心の絵)」でした。
確かに強烈な夢は、1年前だろうが30年前のものであろうが「マインド・ピクチャー」として記憶から抹消されることなく、何度も記憶の淵から沸き上がってくることは誰しもが体験しているとおもいます。
C.S.ルイスの場合、もう一つ重要な体験が重なることで、心の中の「マインド・ピクチャー」が動きだしたのです。それは第二次世界大戦前夜の1939年秋、ナチスによるロンドン空襲に備え、疎開する子供たちをルイスが何人か引き受けた時でした。

ひとりの子供が古い衣装箪笥に興味をもち「あの後ろには何があるの?」と尋ねたのです。この一つの何気ない質問が、潜在していたルイスの「マインド・ピクチャー」を刺激したのです。結果、その質問が、ルイスをつき動かし、衣装箪笥の向こう側に、イマジネーションを解き放ちました。

そこから『カスピアン王子のつのぶえ』『朝びらき丸 東の海へ』『馬と少年』『銀のいす』など、全7巻におよぶ『ナルニア国物語』が誕生したのです。『ナルニア国物語』のエッセンスは、疎開時代のエピソードだけでなく、少年時代の記憶や夢がかなり入りこんでいます。物語の舞台設定も2人がリトル・リーで一番輝いていた時代に設定してあり、「ナルニア国」を旅するピーター、エドマンド、スーザン、ルーシィは、ジャック(ルイス)と兄のウォーニーとそれぞれの分身だともいわれます。

感情を率直に表現することが苦手だったルイス

C.S.ルイス自身は、自らの内なる感情を率直に表現することはむしろ苦手だったといわれています。自伝『不意なる歓び』(1955)でも重要な部分であってさえ、自身の内側にある深い感情が描かれることはありませんでした(晩年に共に生活した女性が読むことを考慮してという部分もありますが)。ところが一転、フィクションになると、ルイスは自身の深い思いや感情、そして痛みや苦しみすら自由に書くことができたのです。キャンパスでは友人も多くいたものの、敵対する者も多く、ある時期からルイスの生活に孤独の影がさすようになっていました(兄ウォーニーとはこの頃、キャンパス外の週末はいつも一緒でした)。その塞ぎ込みがちだった心を解き放つ役割をになったのが、まさにファンタジーを書くことだったのです。

キリスト教トールキンのみた『ナルニア国物語

ナルニア国物語』は、ルイス自身の心象風景でもありました。インスピレーションの根源は、自然からくるものが多く、汎神論的な神の住処が描き込まれたといってもいいほどです。それでも、そこにはルイス自身の宗教的回心(無神論者→キリスト教へ)の心象風景が映されていて、ある方面からはキリスト教潜在的に教えこむものだと揶揄されたりしましたが、逆にキリスト教者のトールキンからはいろんな神話を無意味に投げ込みすぎているとダメをおされていました。

<自身の分身>を描いていた前作『悪魔の手紙』

ナルニア国物語』で自身の分身を躍動させる前に、ルイスは『悪魔の手紙』(1940)で<自身の分身>を描いてみせていたのです。『悪魔の手紙』は、大悪魔から甥の小悪魔に宛てた31通の手紙で構成されるユニークな諷刺文学スタイルで、C.S.ルイスの名前を英国中にひろめたヒット作品となりました。そこでルイスは青年時代のもっとも内密な自身の宗教的回心について語ったのです。親しみやすい語りで綴ったこの本の成功は、BBCラジオ放送の放送講演の依頼につながり、アカデミックな狭い世界ではなくもっと多くの人々に語りかけるC.S.ルイスならではのスタイルを生み出すことになりました。
面白いもので、演劇・映画・現代芸術だけでなく、ジャズやディズニーなどの大衆文化に反感をもつほどのがちがちのエリート主義者C.S.ルイスが、逆にオックスフォードの同僚からは大衆伝道家のようにみられはじめていたのです。C.S.ルイスはアカデミックなキャンパスで自己イメージを取り繕ったりするよりは、無意識のうちにも自身の「マインド・イメージ」を大切にしていたのです。

米国からやってきた女性ジョイの存在

C.S.ルイスの「マインド・ツリー」は、アメリカからやって来た離婚歴があり2人の子供をもつジョイとともに成長していきました。ジョイはかてつ25歳の時、小説を出版していて才知に富んだ女性でした。この頃、C.S.ルイスは数多くのファンレターが舞い込むようになっていて、ジョイの手紙もそのうちの一通でした(ルイス50歳の時、ジョイからの最初のファンレターを受け取っていた)。ところが文通は2年間もの間、海をへだてて継続されたのです。そしてジョイは遥々英国までルイスに会いにやって来ました。ルイスは敬虔なカトリックに回心していたことや様々な事情で、ジョイとは距離を置いて交流を続けていましたが、ルイスは彼女への自身の気持ちを確かなものだと感じるようになっていきました。次第にルイスの友人たちやトールキンの妻、兄ウォーニーもジョイの存在を好ましくおもうようになります。1956年(ルイス58歳)、2人は籍を入れますが、半年後、ジョイが癌に冒されていたことが発覚します。闘病のなか、一時的にも病状は軽くなり2人でギリシア旅行を楽しみますが、癌は悪化、亡くなります(1960年)。
ルイスは母の死以来の大きな衝撃を受けます。決して感情を吐露することがなかったルイスでしたが、しばしば取り乱し感情をあらわにするようになりました。我を忘れ涙するばかり。最愛のジョイが亡くなってから3年後、C.S.ルイスも追うようにして生涯を終えました。

ここで思い出された方がいるかも知れません。青年時代の旧友アーサーに指摘されたジャック(C.S.ルイス)の”心の核”にあるものが、「歓び(joy)」という言葉であらわされるものだったこと。『ナルニア国物語』の核心にあるのは、その「歓び」の感情であったこと。そして、米国から遥々やって来た女性の名前が「ジョイ」だったことを。<偶然の一致>といえばそれまでですが、C.S.ルイスの「マインドツリー(心の樹)」は、この「 歓び」の”種”から成長し、もう一人の「 歓び」の樹と出会ったこと、これは間違いのないことです。


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