ルイス・キャロルの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)-自然に囲まれた牧師館に生まれる

不思議の国のアリス』の不思議

世界に遍く知れわたっている『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』の作者ルイス・キャロル(本名:チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)について、本を読まれたこと以外にも、皆さんも何処かで見聞きしていることとおもいます。英国のオックスフォード大学に学んだこと。そしてその大学の先生になったこと。数学者であったこと。生涯吃りだったこと。交際嫌いで恥ずかしがり屋だったこと、本当の名前は違うこと、子供好きだったこと。美少女たちの「写真」を撮っていたこと、などでしょうか。
では、『不思議の国のアリス』は、いつ、どのように、どんな理由から書かれたのでしょう。少女たちに読み聞かせるために書いた。否。実際にはそれは本末転倒な話です。ドジソンは子供たち相手(ほとんどが可愛らしい少女)にお話をするのは大好きでしたが、いつもその場かぎりの、語っては消えてしまうイマジネーションの産物でした。『不思議の国のアリス』の原型となった「アリスの地下の冒険」のお話も最初は語られただけで、いつものように少女たちを楽しませ、その場で聞いた端から永遠に消えてしまうようなものの一つだったのです。それなら知ってるわ、という方も多いでしょう。
それでは、なぜそのお話に限って、そのお話を聴いたリデル三姉妹の一人アリス・リデルは、初めて「ドジソンさん、私のためにアリスの冒険を書いてほしいわ」と、強く懇願したのでしょうか。その時、何が起こったというのでしょうか。事実、その時、アリス・リデルは他の姉妹とともに、ドジソンさんのお話とともに、「あるもの」を見てすっかり興奮していたのです。その「あるもの」は、しっかり『不思議の国のアリス』に描かれています。
その「あるもの」も少女たちを楽しませるお話も、すべてチャールズ・ドジソン氏(ルイス・キャロル)の「マインド・ツリー(心の樹)」にかかわってきます。それらは根幹として、しなやかな枝葉としてドジソン氏の人生を豊かに彩ります。ドジソン氏の”心の成長”を通じて、そして幾つかのシンクロニシティの果てに、腐朽の名作『不思議の国のアリス』がこの世に生まれ落ちました。
それでは、一緒に、『不思議の国のアリス』誕生までの、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン氏、またの名をルイス・キャロルの「マインド・ツリー(心の樹)」の心の旅に出てみましょう。

村人143人の牧師館。10人兄弟姉妹の長男

ルイス・キャロル(本名:チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン/この一文ではルイス・キャロルではなくチャールズと表記します)は、1832年1月27日、草原の真ん中にひっそりと建つチェシャー地方のデアズベリー村の静かな牧師館に長男として誕生しています(2人の姉、5人の妹、3人の弟の10人兄弟姉妹)。父チャールズ・ドジソンは、英国国教会に属する副司祭で(オックスフォード大学クライスト・チャーチ学寮から副司祭の職を授けられた)、遡る祖父ドジソンはイングランド北部が故郷で、州の名家で貴族階級に属していました。祖父ドジソンも含め祖先の多くは聖職者ですが(なかには陸軍大尉や弁護士もいた)、特段の才をあらわした人物はいなかったようです。そして父ドジソンの時代になると、もはや貴族としての地位も相続した財産・土地もすっかり目減りし、自助努力で生き抜かなくてはならない状況になっていました。
英国国教会に属する副司祭といっても、チェシャー地方のデアズベリー村の聖職などまったく無名の一支部で、デアズベリー村には当時143人の村人しか住んでいません。しかも牧師館は村からさらに2キロ離れた聖職領耕地の中にポツンと建っていて、人よりも動植物に囲まれていたようなところです。チャールズが幼少の頃は下の妹や弟が遊び相手になるまでは、ヒキガエルやカタルムリやミミズが遊び友達だったというのは本当の話で、人間を見かける方が珍しい場所だったようです。チャールズの「マインド・ミラー」には、牧師館の周りの庭の花、畑や納屋がしっかりと映されることになります。木登りした樹木やチェシャーの原野、それに古い泥灰土採取場で泥いじりして遊んだことも忘れるわけにはいきません。それらは後年『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』の中にアリスや白ウサギたちとともに生き生きと描かれます。

厳格な父、愛情豊かで素朴な信仰に生きた母

やわらかな空気に包まれた自然環境と一転し、牧師館での家庭環境はつねに厳かな空気に包まれていました。チャールズには父ドジソンの敬虔な心と内面をみつめる重々しい気質はさながら牧師館を体現しているように感じられたようですが、教区の貧しい人々への慈善活動では機知とユーモアが皆を和ませていたそうです。運河で働く人たちのために屋形船の簡易礼拝堂を自ら考案してつくるアイデアマンでもあったかとおもえば、毎年のごとくカトリックに関する短な論文を書いていました。そんな姿を幼いチャールズも見ていたにちがいありません。厳しい決まり事をつくり子供たちには厳格な父でしたが、チャールズは父を尊敬し心から好きでした。
一方、母は思いやりのある愛情豊かな女性で、素朴な信仰に生きた人でした。出会った人は誰もが好きになったといわれています。教区の仕事を終えれば今度は10人もの子供の養育(当時の慣習でとくに女児は家で教育された)が待ってました。後年子供たちは生涯にわたって母が愚痴一つこぼすのを聞いたことがなかったといっています。母自身、後年、叶えられていないような望みはひとつもないというほどの”地上の幸福の恵み”を受けていたと語っています。
教育に関しては、両親の判断で当時としては早い時期からはじめたようです。読み書きにはじまり算数などさまざまな分野を両親は教えました。皆に同じように教えていたにもかかわらずチャールズだけは数学が大好きになっていきました。まだ難しい数学の問題など幼い子供が理解できないはずなのに、なぜかチャールズは数学の本を手に「これを説明して」と父に何度もせがんでいきます。チャールズの「マインド」の独自の芽吹きがすでにあらわれはじめます。

チャールズ10歳の時、建具屋さんの手を少し借りながらも、ほとんど自力で小さいけれどもしっかりした操り人形専用の劇場をつくっています。幾つもの木製の人形もチャールズの手作りでした。チャールズの手にかかると人形に命が吹き込まれたように動きだしたといいます。この人形劇場で、チャールズはシェイクスピアの劇を真似た「ジョン王の悲劇」と題した人形芝居や、当時有名な「ブラッドショウの鉄道案内」をもじった「ブラッジア案内」という三幕もののパロディー・オペラもを上演したほどです。父ドジソンは芝居づいてきたチャールズが悪場所の劇場に行かないよう諭す一方、その代わり大目にみたのが人形劇でした。しかし子供ながらにその念の入れようには驚いたにちがいありません。▶(2)につづく

「不思議の国のアリス」の誕生—ルイス・キャロルとその生涯 (「知の再発見」双書)
「不思議の国のアリス」の誕生—ルイス・キャロルとその生涯 (「知の再発見」双書)笠井 勝子

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不思議の国のアリス (新潮文庫)
不思議の国のアリス (新潮文庫)金子 国義

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