C.S.ルイスの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)-夢中になった「服を着た動物」と「甲冑を着た騎士」のイメージ


映画『ナルニア国物語』は、プリンス・カスピアンの物語へとつづく

C.S.ルイスの魂が必要とした『ナルニア国物語

C.S.ルイスをご存知でしょうか。ひょっとして名前には記憶がなくても「ナルニア国」という不思議な国の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。どこでその名前を聞いたのでしょう。映画という方も多いでしょう。本を読まれた方もいらっしゃるでしょう。でも、『ナルニア国物語』以外は、著者C.S.ルイスのことも、それ以外の本も全然知らないな、という感じじゃないでしょうか(『指輪物語』なら読んだよ、という方がおられる方がいるかもしれませんが、そちらは同じ英国の作家トールキンです。けれども2人は大の親友で、『ナルニア国物語』も『指輪物語』も発表する前にオックスフォードの文芸クラブでお互い読み聞かせていました)。そんな方に、ぜひC.S.ルイスの「マインド・ツリー(心の樹)」を少しのぞいてもらえればと思います。全7巻ものファンタジー大作『ナルニア国物語』の誕生は、ファンタジーの内容と同じように興味深いものがあります。なぜならナルニア国」とは、C.S.ルイスの”魂”が必要とした”もう一つの国づくり”だったからです。 C.S.ルイスの人生に、なにがあったのでしょうか。それを知ったら、もう一度『ナルニア国物語』を読みたくなるにちがいありません。

アイルランドで仕事を探した祖父に遡って

C.S.ルイス(Clive Staples Lewis)は、1898年11月29日、アイルランドベルファストに誕生しました。父アルバート・ルイスは法律事務所で成功し、ジャック(C.S.ルイス:4歳の時、兄ウォーニーにそう呼んで欲しいと希望し、以降定着した呼び名です。ここでも青年期までその呼び名で記します)が物心つく頃には、アイルランドブルジョアたちが住む高級住宅街に住んでいました。ジャックを育んだ”土壌”は、一般的には不足なく申し分ないものだったようです。じつはその土壌は父ではなく、祖父リチャード・ルイスが苦労してつくりあげたものだったのです。ウェールズの農家に生まれた祖父リチャードは仕事を求めアイルランドに移住します。よい仕事を探して転々とした後、ベルファストの造船会社の共同経営者になります。折しも大英帝国が繁栄の一途をたどっていた時代(1870年代)で、造船需要が追いつかない程、祖父の会社の賭けは大当たりします。その結果、ベルファスト郊外の高級住宅街に家を持つまでになったのでした。エンジニアとして成功した祖父は、一方で神学的な文章をしたためたり、SFの創始者ジュール・ヴェルヌのように月世界に行く物語を書いては孫のジャックたちに読み聞かせていたそうです。

数学が得意な母は、父のプロポーズを8年も断りつづけた

アルバートはといえば、祖父とは異なる道にすすみました。父は少年・青年期には秀才として校長からも一目置かれ、性格的にも陽気でほら話が大好きな好人物でした。ダブリンに出て法律の勉強と研鑽をつみ、ベルファストに戻り法律事務所を開設しています。自信家で演説めいた口調で話す癖があった父には、政治的野心があったようで法律の仕事も政界にはいるためのものと考えていたようです。ディナーに友人を招いてはアイルランド自治に反対する立場で熱くなり、ありあまるエネルギーを芝居がかった演説で発散させていました(それを聞かされていた兄弟は政治に嫌悪を抱くようになったといいます)。ただ、それも政界に入れなかった挫折の裏返しだったようです。結局、父は検事の役割を兼ねた事務弁護士として務めあげています。
母フローレンスは当時の女性には珍しくベルファストのクィーン・カレッジで5年間にわたって数学を専攻し、論理学と数学で優等学位を得たほどの知的な女性でした。母は父のプロポーズを8年間断りつづけた果てに、結ばれています。父の法律事務所は運気が上昇し、最も羽振りがよい法律事務所の一つにまでなります。

ビアトリスク・ポターの『リスのナトキン』の絵本からはじまる

ジャックは7歳になるまではまだ小さな家に住んでいて、家自体の記憶はほとんどなく、読んだ本や聞かされた話しか記憶に残っていないそうです。最も記憶に残っているのは、兄が唐突に見せたポップアップ・ブックの昆虫と、小鬼(ゴブリン)の話だといいます。どちらも晩年になってもまざまざと思いだすことができたそうです。また、ジャックの記憶では、最初に自分で読んだ本は、ビアトリスク・ポターの『リスのナトキン』の絵本だったそうです。じつは、後にジャックがのめりこむように描くようになる人間のように服を着た動物のイメージの原点がここにありました。もっともそれだけでは壮大な「ナルニア国」に成長するわけではありません。引っ越してからしばらくするとそのイメージに別の新たなイメージが加わっていくのです。
7歳の時(1905年)、ダブリンの町や造船所が見渡せるリトル・リーに引っ越します。新しい家は父の設計によるもので、後のジャックの小説に登場する古くて大きな家はこのリトル・リーの家がイメージの源泉になっています。

父が設計した「本の家」、しかし.....

さて、ジャックの「マイド・ツリー(心の樹)」は、その体躯のように、大きなリトル・リーの家がすっぽり入るほど大きな樹です。千年をも超える楠の樹のように幹回りは太く、太い枝が何本も分かれているような大樹です。その大樹は、太い”根っ子”を通じて「古の中世の深い森」へと繋がっています。ジャックは、どのように”根”を張り、成長していったのでしょう。
父設計の新しい家は「本の家」でした。というのも父は本好きで、天井まで本がうずたかく積み上げられ、あちこちの戸棚からも本がはみ出て、廊下にある書棚には二重に本が詰め込まれていました。本を捨てるものではないと考える父のつけでした。ただこれだけ本があったにもかかわらず、ジャックが愛読するような本はあまりありませんでした。なぜならそれらの大半は、政治関係の本(政治小説など)だったのです。両親のお気に入りのディケンズアントニー・トロロープの小説だけはありましたが。
それでもこの頃には兄弟とも読書好きになっていて、ルイス家に雇われていた若い子守りリジーは兄弟たちに沢山の本を読んで聞かせました。アイルランドの怖い伝説やら年老いた小妖精のレプラコーン、それに人食い鬼や巨人が登場する物語でした。

「服を着た動物」を夢中になって描きはじめる

面白いもので、同じ本を読み聞かせても、兄ウォーニーとジャックの好みや関心に違いがでてきます。兄は複雑な機械や道具やその仕組みに興味を示すようになり、男の子っぽく船や銃、戦闘シーンに夢中になってきました。

ジャックの方は、どういうわけか「甲冑を着た騎士」と「服を着た動物」に夢中になっていきました。ジャックはそれらの絵を描きナレーションをつけて遊ぶようになります。ある日、夢中になっている2つのものを一つにしたらどうだろうと、ジャックはひらめいたといいます。「甲冑を着た騎士」と「服を着た動物」が組み合わされアップグレードされた世界は、ジャックをさらに<想像の世界>に没入させていきます。その<想像の世界>で生まれたのが、人間のような性格をもっている動物が住む国を舞台にしたファンタジー「動物の国」でした。「動物の国」はするするとジャックのなかで成長していきました。そして「ボクセン国」が誕生したのです。

10歳になる頃までには、「ボクセン国」の地理・言語・文化・歴史の詳細が描かれるようになります。ただ「ボクセン国」にはまだ物語がありませんでした。仲良しの兄弟は、お互いの興味ある絵を「突き当たりの小部屋」の壁に描いて楽しむのが日課だったようです。ジャックが「物語」の面白さに目覚めるのに、そんなに時間はかからなかったようです。気づけば、マーク・トウェインの『アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』や、E.ネスビットの『砂の妖精』に『火と鳥の魔法の絨毯』、さらには「ストランド・マガジン」に連載されていたコナン・ドイルの冒険物語に夢中になっていました。ただ「ボクセン国」は当面はまだ以前の「ボクセン国」のままだったようです。「ボクセン国」が物語られるようになるまでに、ジャックは辛い数年を過ごすことになります。

幸せで安定したルイス家が、崩壊していく... 母の死、さらに

10歳までは、ジャックもルイス家も、すこぶる安定し幸福な日々がつづいていました。ルイス家に2つ変化があらわれました。一つは、仲良しの兄が家を離れイングランドの寄宿学校に行ってしまったことと、二つ目は、祖母が亡くなり祖父がリトル・リーの家で同居するようになったことでした。ユーモアがある祖父はジャックにほら話を聞かせたり、科学の本や家族アルバムを一緒に見たようです。ただいつも一緒に遊んだ兄はいません。ジャックはひとり<内なる想像の世界>で国づくりを少しづつ続けるようになりました。家にある本を読む楽しみを覚えたのも、家で一人になる時間が多くなってからのことだったようです。
後にルイスは、「あまりに幸せだったので防備が手薄だった」と語っています。あまりにも安定したルイス家の生活がハリケーンに襲われたような早さで崩壊しはじめます。まず母が重い病気にかかり絶対安静状態になったのです。最初は何の病気か分かりませんでしたが、癌でした。その間に療養所に入った祖父が、移って2週間後に脳卒中で亡くなってしまいます。父はその罪の意識と妻の病状の不安に苛まされ、ひどく落ち込んでいってしまいます。母は46歳で、その年に死去します。母の死の2週間後に、あろうことか父の兄も急死してしまいます。あまりの不幸続きに、父は子供たちを思いやるゆとりもなく感情を抑制できず心が崩壊していきます。深酒におぼれるようになり、無闇にジャックを怒鳴りつけるようになってしまいました。あれほど幸福だったリトル・リーの大きな家で、ジャックはすっかり独りきりになってしまったのです。

廃校寸前の学校においやられる。現実を忘れるための「物語」づくり

会話もなくなった父はジャックを兄が通っているイギリスのウィニヤード・ハウス・スクールという小じんまりした私立学校にやらせます(実際には家から追いやった感じのようです)。そこの校長は牧師でもありますが、なんとも評判が悪く、生徒数も20人程になり校舎も老朽化し、まさに廃校寸前の学校でした(事実1年後に廃校)。ジャックはこの学校のことを後にベルゼン(ナチの強制収容所ベルゲン・ベルゼン)と呼んでいます。カリキュラムもまるでなく牧師が好きな数学しか教えず、文学や歴史、地理、理科の授業もなく、体罰ばかりの学校だったといいます。ところが面白いもので、学ぶものがない学校は、子供には別の効果を与えることがあります。ジャックは友だちとクラブを結成し、「ストランド・マガジン」などの少年雑誌を大量に買い、コナン・ドイルH.G.ウェルズ、ライダー・ハガードの本を皆で夢中になって読んでいきました。子供たちは皆、現実を忘れ、非日常的の世界に遊んだのです。ジャックが再び「ボクセン国」づくりに着手したのはこの辛い時期でした。「アジマイワニアン戦争」という題名の小説らしきものを初めて書きだしたのもこの時期でした。
もう一点の予想外の効果は、牧師だった校長が日曜日になると生徒たちを強引に地域の教会に連れていったことで、ジャックははじめて礼典や儀式を重んじるアングロ・カトリシズムに触れています。ひざまずいて歌う賛美歌、意味の判然としない説教は、意外にもジャックに聖書を読むきっかけとなったのです。

自身の心の核が「歓び(joy)」にあることを知る

13歳の時、ジャックはすっかり「北欧熱」にかかりました。当時流行っていたワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」や、アーサー・ラッカムが見事な挿絵を描いた『ジークフリートと神々の黄昏』という書物にジャックは虜になりました。同じく「北欧熱」にかかっていた故郷リトリ・リーに住むアーサー・グリーブスとはこの頃から生涯にわたる友人になります。知的なことから手淫の罪悪感のことまで、手紙でなんでも心を通わせる仲になっていきました。そしてこのアーサーがジャックにある重要なことを気づかせたのです。それはジャックの”心の核”にあるものが、「歓び(joy)」という言葉であらわされるものであることでした。さらに、アーサーそれについて何か書いてはどうかとジャックを誘ったのです。後の『ナルニア国物語』の核心にあるのは、この時に2人の間で交わされた「歓び」の感情であったといいます。
C.S.ルイスの「マインドツリー(心の樹)」は、この「 歓び」の”種”から成長した樹木だったのです。 ▶(2)へつづく

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