ジョゼフ・コンラッドの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- ワルシャワ蜂起で土地を没収された地主貴族の父。北ロシアに流刑。「翻訳」の仕事をする父の姿。「海」や「異国」を奇想天外に”物語る”変わった少年


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はじめに:アフリカ・コンゴ、『闇の奥』に向ったコンラッドの引き裂かれた心根

コンラッドの中編小説『闇の奥—Heart of Darkness』を読んだことのない人でも、映画監督フランシス・フォード・コッポラが、映画『地獄の黙示録』の原作に用いたこと(T.S.エリオットの『荒地』やジェイムズ・フレイザーの『金枝篇』などの神話的イメージも織り込まれた)、また原作の舞台はアフリカ・コンゴの密林の奥地だったのが、時のベトナム戦争を背景にインドシナ半島の密林の奥地に設定されたこと等(ロケ地はフィリピンで、実際配備されたのはフィリピン軍ヘリコプター部隊)、よく知られていることです。
この『闇の奥』の舞台だけでなく、コンラッドの作品の舞台は、東南アジアやアフリカから、オーストラリア、カリブ諸国、南アメリカ、スペイン、イタリア、そしてポーランドと、まるで地球そのものが舞台でした。コンラッドは19年余にわって船乗りだったのです。
コンラッドの家系は、船乗りの家系だったかとえいばまったく異なり、代々ポーランドの地主貴族でした。しかしポーランドの土地は、18世紀後半から、帝政ロシアをはじめ列強の三度にわたる分割で他国の支配下におかれつづけ、コンラッドの父の代にすべての土地を没収されています。父と母は、北方ロシアの極寒の地に流刑の身となり(幼少のコンラッドも一緒だった)、病が嵩じてその後、相次いで亡くなっています。
祖国ポーランドの大地から引き抜かれたコンラッドの「マインド・ツリー(心の樹)」の”根先”は、「海」へと向い、”安息の地”として帰化(広い意味の政治的亡命)、同化を希んだイギリスでも「異人」でありつづけざるをえなかったようです。二律背反の意識を払拭できなかったコンラッドの”根先”は、アフリカの奥地の密林を生み出した生命の原始(世界)、「原始本能」がとぐろを巻く世界に向ったのです。
それでは一緒に、人間性の深淵—「闇の奥」の旅に向った「船長コンラッドコンラッドは28歳で船長試験合格し、英国国民となる)という人生の船に乗って、コンラッドの「心の樹」の水源を遡ってみましょう。

郷土の「地主貴族」だった父。ワルシャワ蜂起で土地を没収される

ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad;ジョウゼフ、ジョーゼフとも表記される:本名テオドル・ユゼフ・コンラート・コジェニョフスキ Teodor Józef Konrad Korzeniowski)は、1857年12月3日、当時ロシア領ポーランド(現・ウクライナ。当時はポーランドウクライナ地方)だったキエフ近郊の町ヴェルディチェフに生まれています。
古い貴族の末裔で、土地を持つ郷土の「地主貴族」だった父アポロ・コジェニョフスキは、ある憂えのなかに生まれ、育ち暮らしていました(土地を所有している地主層や貴族インテリがきまって政治的意識が強くなる)。それはポーランドがつねに他の国家によって支配されつづけていたことでした。アポロが生まれる以前の1795年になされた「第三次ポーランド分割」ロシア帝国プロイセン王国オーストリア帝国によって分割)から、アポロが亡くなる1868年まで、その支配が終焉したことはありません。ポーランド共和国が復活するのは、ジョゼフ・コンラッドの晩年、亡くなる6年前の1918年のことでした。
父のコジェニョフスキ家の土地は、アポロが11歳の時、「旧ポーランド・リトアニア共和国」の復活をめざし、1830年に起こった有名な「ワルシャワ(十一月)蜂起」のあおりを受けて没収され、ロシアの土地となり、成人してからは支配国の土地の管理人の仕事に追いやられていました。


ワルシャワ蜂起」の前年にワルシャワ音楽院を首席で卒業したショパンは、ウィーンで演奏会を開いていたが、反ポーランドの空気がウィーンに漂い、パリへ。その途上、ワルシャワ蜂起失敗を知り「革命のエチュード」を作曲しています。またこの「ワルシャワ蜂起」では、ポーランド貴族に生まれ、現在でも愛国少女として根強いファンが多い女性将校エミリア・プラテルが活躍しています(25歳で死去)


「お前には、土地も愛も、国も民族も存在しない、お前の母—ポーランドが死んでいる間は」と、父アポロが息子コンラッドが誕生した時の洗礼詩のなかで発しています。アポロは煮えたぎる思いを胸に、第二次ポーランド分割でロシア帝国編入されたキエフの西方に位置するジトームィル(ジトーミルとも。ロシア革命後のウクライナ内戦でキエフを逃れた人々が建てたウクライナ人民共和国の首都)に移り住みますが、その地で巻き起こった革命が、燻(くすぶ)っていたアポロを点火します。愛国心の塊となったアポロは、暴力でデモが鎮圧されたばかりのワルシャワに向ったのです(無論、容易には当時の文化・社会状況は分からない。アポロは中途退学であるが、ロシアのペテルスブルグ大学で学んでいたこともある)

秘密国家委員会の首謀者だった父、流刑人となり、極寒の地に追われる

アポロ・コジェニョフスキが、美しく穏やかな女性だった母エヴァリーナ(通称:エヴァと結婚したのは、1856年のことでした。エヴァは革命戦士アポロを、とっぴな行動にかまけてばかりいる無責任さに呆れ、彼女の両親の心配事でもあり、その杞憂は当たり結婚当時のエヴァのかなりの持参金もすべて政治活動に費やされてしまいます。もっともアポロの祖父と妻エヴァの祖父の弟(大叔父)は、ナポレオンのモスクワ遠征1812年の時の戦友でありポーランドから9万5000人の兵士が遠征軍に加わる。遠征軍総勢約77万人)ポーランド陸軍においても同僚の将校で親友でした。後に流刑の身となったアポロについて極寒の地まで行ったのは、エヴァの両親はいざしらず)両家の間にある鉾があってのことに相違ありません(裁判でエヴァも有罪判決を受けていたという説もあります。『亡命者ジョウゼフ・コンラッドの世界』吉岡栄一著 南雲堂フェニックス)
アポロがエヴァを残しワルシャワに向ったため、エヴァはまだ4歳だったコンラッドとともにウクライナの祖母の家に留っていました。しかしアポロの安否を気づかいエヴァは幼な子コンラッドを引き連れ、危険を冒してまでアポロの許へ行っています。アポロはワルシャワで、極めて危険な活動に入り込んでいました。ロシア化するポーランドを憂え、政治秘密結社「赤党」—秘密国家委員会とも—を組織しますコンラッド自身、革命戦士だった父の顔は無論知っていたが、秘密国家委員会の首謀者—あるいは有力メンバーだったことは晩年になってはじめて知ることになる)ワルシャワのアポロの小さな家で秘密地下組織の会合がもたれていたのです。
じつは父方のコジェニョフスキ家は、祖父テオドールも”浪漫的”気質の強い愛国的行動の志士で、多く授かった子供の内、父アポロを含め3人の子供(内、一人女性)が革命工作に深くかかわっていたと、コンラッドは『自伝—個人的記録:A Personal Record』のなかで語っています(一人は戦死、一人はシベリア流刑)。”根”っからの愛国志士であり、祖父と同様、夢想家タイプだったアポロの人生において選択の余地はなく、その行為そのものが存在理由だったにちがいありません。
結果、エヴァと4歳のコンラッドが父アポロに合流して間もなくのこと、真夜中に警察が家に入り込み父アポロを逮捕、連行。そして7カ月にわたるワルシャワの城塞への投獄(この間にポーランドの反乱はロシア人によって鎮圧される)。獄舎からの釈放されたら、今度は「流罪」宣告。流刑人となったアポロは、モスクワから北方500キロにある、白海に流れ込むヴォログダ川の流域に広がるヴォログダに追放されてしまいます。エヴァコンラッドを連れ、アポロの許へ。3人で丸太でつくられた質素な家に暮らすことになります、しかし心も体も凍結する極寒の地で、エヴァコンラッドも次第に健康を害し、数ヶ月後、恩赦を受けるかたちで一家はウクライナのチェルニコフ(チェルニヒウとも。キエフの北北東120キロ程)へ移されます(チェルニコフは、後に原発事故を起こしゴーストタウンと化したチェルノブイリ原子力発電所—現ウクライナ領土内—からチェルニコフから東方へ80キロ程の所。チェルノブイリは当時、世界地図に存在しない機密都市だった)
そこからエヴァコンラッドだけは、祖母や祖父、従姉妹たちも住んでいた暖かな地ボブロフスキキエフの南西120キロ程)に一時的に移っています。エヴァの病は長引き(肺結核だった)コンラッドも幼年期を通じ、度重なる移住と寒さから神経の病に冒され、身体も弱ったままでした。コンラッドの「心の樹」の”根っ子”は、成長したくても、長距離の移動と凍えるばかりで伸びようもない状況にあったのです。そして2人は再びチェルニコフへと戻されます。

8歳の時、母エヴァ、死去。翻訳する父の姿をいつも見ていた

少年コンラッド8歳の時、母エヴァは肺結核をこじらせ息を引き取ります。母の死は、父アポロの”根幹”を激しく揺るがせ、苦悩で押しつぶされんばかりになります。父は机を売って教科書を購入する費用をつくり、息子コンラッドに教育を受けさせます。父と少年コンラッドは、深い悲しみのなか文学と勉強に没頭します。父はこの頃、翻訳の仕事で収入を得るようになっていました。コンラッドが小さな喪服を着たまま父の椅子に上って見ていたのは、父がシェイクスピアの『ヴェローナの二紳士』ヴェローナとはイタリアの町。シェイクスピア作品中、最古のものの一つ)を翻訳している様子でした。ヴィクトル・ユーゴーの『海の労働者(海に働く人々)—Les Travailleurs de la Mer』(1866年刊。名作『レ・ミゼラブル』の4年後の著作。ちなみに『レ・ミゼラブル』のすぐ後に著したのは『ウィリアム・シェイクスピア』だった)も父が翻訳したものでした。また17歳で自殺した、18世紀英国の詩人トーマス・チャタートンを描いたアルフレッド・ド・ヴィニーの戯曲『チャタートン』を名翻訳し序文を寄せています(チャタートンは自殺する前に船に乗り込んで航海しようとしていた)。父はコンラッドにいつも父が翻訳した文学を「音読」させています。
少年コンラッドの「マインド・ツリー(心の樹)」は、「海の男」と「作家」という二つの運命が、「海の男」は数年後に意識的に、「作家」は無意識の裡に潜在しつつも、まるで2本の樹幹となって、二重螺旋のように立ち上がりはじめた契機は、母亡き後、父と一緒に過ごしたこの時期だったのです。
少年コンラッドは、この間、健康もすぐれなかったこともあり、誰にも会うこともないまま本ばかり読んでいたようです(フランス語に通じるようになる)。再び父と離され、祖母や祖父のいるボブロフスキに行き、キエフでは専門の医師に診てもらい、再びチェルニコフへ向っています。

「海」や「船」、「遠い異国」のことを奇想天外に”物語る”変わった少年

再び父と再開できたのは10歳の時でしたオーストリアポーランドの首都リヴォフにて)。父アポロは精神的にも肉体的にも崩れかけ鬱状態(父も肺結核に罹る)。父にとってコンラッドは、この地上に引き留めてくれる唯一の支えでした。少年コンラッドは、この地方で学校の入学が許可されなかったことが、すでに入り込んでいた「文学」にいっそう向わせることになります。数人の友達に、いつも「変わった物語」を話していたといいます。それは「海」や「船」、そして「遠い異国」が必ず登場する奇想天外な話だったといいます。どうも口伝えに「物語」る力が、少年コンラッドにあったようで、友達に実際に起こったことのように感じさせるものだったといいます。ある女友達は、コンラッドが、祖国ポーランドの革命家が敵国ロシア人に闘いを挑むちょとした芝居の演出をしたとも語っています。とにかく少年コンラッドは、友達の間では、奇妙な「物語」を”語る”少年だったのです。
ポーランドも含め東欧には、「口承文学」の伝統がありました。人から人へと語り継がれる伝統の力は、権力に対する抑止力になったり、国民文学・民族の現語の貯蔵庫としての役割をはたらいたり、民族独立の地下水脈となったりしていたのです。父アポロが、ポーランド独立運動に身を投げ出す者であると同時に、文学に造詣が深かった(つまり愛国文士)のは、こうした東欧の文化的環境があったからでもありました。

アフリカの地図上の空白の場所を見つけ、『大人になったら絶対そこに行くんだ』と考えた

この頃、少年コンラッドは、アフリカの地図をじっと眺めることがあったといいます。『自伝—個人的記録』では次のように書かれています。


「当時のアフリカの地図を眺め、その大陸のいまだ未解決の謎を示す空白に指を置きながら、わたしは自信満々、あきれるくらい大胆不敵に考えた—『大人になったら絶対そこに行くんだ』」(こう回想した年は1868年、9歳位の時のこととあるが、1868年ならば11歳だが、コンラッドは12月生まれなのでちょうど10歳位の時だろう。コンラッドの記憶違いはよくあること)


そしてこの文とそっくりそのままの文章が『闇の奥』の冒頭近くに描かれています。
「ところで、子供の頃、僕は大変な地図好きだった。何時間も飽きずに南米とかアフリカとかオーストラリアとかの地図に見入りながら、数々の探検隊の栄光にわれを忘れ、夢中になったものだった。あの頃はまだこの地球上に空白の場所がいくらもあった。そのなかでも特に気をそそられる所が地図にあると、僕はその上に指先を置いては、大人になったらきっとそこに行ってやるぞ、と呟いたものだった」『闇の奥』藤永茂三交社


コンラッドの他の作品『海の鏡』や『黄金の矢』にも伝記的要素が多々描かれるように、少年コンラッドの「心の樹」の樹液が、たっぷりと文学的作品へと染み込んでいたのです。そしてセルバンテスの『ドン・キホーテ』やフランス最初期の文士ル・サージュの『ジル・ブラース物語』から、ディケンズ、フェニモア・クーパーを少年期に次々に読み込んでいったコンラッドが、最も心躍らせたのがキャプテン・マリアットの海洋物語や、航海記の類でした。
▶(2)に続く-未
・『自伝—個人的記録:A Personal Record』(鳥影社 1994刊)/図説『ジョゼフ・コンラッド—シリーズ作家の生涯』(大英図書館ミュージアム図書 2002刊)/『コンラッド—人と文学』(武田ちあき著 勉誠出版 2005刊)/『コンラッド』20世紀英米文学案内 研究社出版 1975刊

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