エドガー・アラン・ポーの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- 大鴉が運んできた運命


動画「The Raven -大鴉」/画:ギュスターブ・ドレ/解釈:クリストファー・ウォーケン

「幻視」するしかないポーの「マインド・ツリー」

19世紀半ばから20世紀にかけて深まっていった人類の闇の世界に大きな影響と「知」の窓を開けたエドガー・アラン・ポー。ポーの「マインド・ツリー(心の樹)」は、夜の側に独り立っています。その樹の枝には、聖鳥の大鴉(カラス)が止まり、「ネヴァーモア」と啼き、冥界とコレスポンデンス(心霊的交感)しているにちがいありません。魂の高揚をめざし、どうしてポーの「心の樹」に、大鴉が止まるようになったのでしょう。その「心の樹」は、<生命の樹>ではなく、「アッシャー館の崩壊」の如く、あえなく滅び、しかし「再生した樹」なのです。あるいは「幻視する樹」といってもいいかもしれません。
なぜに「樹」は再生されなくてはならなかったか。「ユリイカ!」 ポーは、何かが「わかった!」のです。それを詩と物語の中に映しだしました。闇の中、それらが私たちのうちに浸透してくる時、絶望の淵から霊魂(アニマ)が高揚し、天体の音楽が流れるなか、宇宙の無限の中に回帰していくポーの姿が「幻視」されます。
ここに書かれたポーの「マインド・ツリー(心の樹)」も、それぞれのがそれぞれの魂の内で、「幻視」するしかないでしょう。しかしポーの現実生活での苦悩と心の闇を知りえたればこそ、ポーの作品のなかに「幻視」しえるものが浮き上がってくるはずです。ポーの「マインド・ツリー」を読んだ後に、必ずなにか一篇の作品を読んでみて下さい。間違いなく、あなたはの魂は、微かであっても「ユリイカ(わかった!」と発しているはずです。
血統すぐれた

アメリカ独立戦争で活躍した「ポー将軍」

ポーの先祖はかなりしっかり歴史に記録されています。スコットランド系のアイルランド人だった曾祖父デイヴィッド・ポーは土地に根を張った小作農民でしたが、その子供たちが先祖伝来の土地を離れ、まだ独立戦争もしていない新天地アメリカに希望をたくしてやってきました。最初は次男が、続いて子供があった長男ジョンも牧師の娘の妻とともに渡米します(1750年頃)。その時の子供デイヴィッド・ポーが、エドガー・アラン・ポーの祖父にあたる「ポー将軍」となります。アメリカ独立戦争時に歩兵隊から少佐、そしてボルチモアの副主計総監補と一気に成り上がっていきます。革命軍の食料を私財を投じて調達したため、兵士たちから「ポー将軍」と呼ばれ、歴史上の人物になっています。妻エリザベスも皆と力をあわせ兵士たちのために500着もの軍服を縫い軍に寄付するなど、夫婦ともに私心を超えたスピリットの持ち主だったようです。

演劇の道にはいった父。人気絶頂の舞台女優の母。母の死

その「ポー将軍」の4男(長男から3男までは早逝)が父の名を継ぎデイヴィッド二世を名乗り、法律を志しますが、思い直し魂のおもむくまま演劇の道にすすみます。ボルチモアの素人劇団で活躍していた頃に、「新劇場」で人気を博していたチャールズ・ホプキンズとエリザベス・アーノルドのステージに出演するチャンスを得ます。ところが看板俳優の2人が離婚、デイヴィッドが巡業に同行するようになり、22歳の時、人気絶頂の舞台女優エリザベス(当時24歳頃)と結婚します。
1809年1月19日、その2人の次男としてエドガー・アラン・ポーが誕生します(長男ウィリアムは大酒飲みで19歳で死去)。ボストン劇場、ニューヨーク、リッチモンドなどへ巡業しなくてはならない両親は、子供のポーをボルチモアに暮らす祖父の「ポー将軍」夫妻にあずけます。ところがあろうことかある日、父のデイヴィッドが失踪してしまうのです(他の女性と駆け落ちしたようですが確かな理由は不明)。折しも母エリザベスは再び妊娠していたため公演は出演できず、収入も途絶え、婦人帽を商う夫人が部屋を無料で提供します。娘ロザリーを産んだ後すぐに舞台復帰しますが、産後の肥立ちが悪く病に倒れます。そして20代半ばで、母エリザベスは夭折します。
ポー、3歳目前の時でした。ポーの「マインド・ツリー(心の樹)」は、わずか3歳の時、”メエルシュトレエムの渦”に飲み込まれていきます。しかし、予期しえない”運命の渦”は、ポーを未知の岸辺に打ち上げます。

養子となったポー。英国での5年間のスピリチャルな影響

裕福な貿易商(タバコやコーヒー、ブドウ酒を扱う)ジョン・アラン夫妻がポーを引き取ったのです。妹ロザリーはアランの友人が引き取りました。当時リッチモンドにはスコットランド系でつながる交際があってポーのことを知ったのです。アラン夫妻に子供ができず、また妻フランセスが同じスコットランドの血をもつ子を養子にしたいという思いがポーとつながったのです。ポー6歳の時(1815年)、アランはロンドン支店を開設しようと渡英し、生まれ故郷のスコットランド・アーヴィンに向かいます。ポーは、その地でグラマースクールに通っています。2年後にはロンドン郊外の学校に転校。この学校の中世的な雰囲気は後に「ウィリアム・ウィルソン」の中に映し込まれます。「アッシャー館の崩壊」の中に出てくる幻想的なイメージの源泉もここにあるといわれます。11歳の時、5年ぶりに帰米します。アランのロンドン支店開設が失敗に終わったのです。
この少年時代の5年間(6歳から11歳のちょうど小学生の多感な時期にあたる)にわたる英国体験は、若い芽が迸り出ていたポーの「心の樹」、そして「心の目」に決定的な影響を与えました。スコットランドの自然、古城や神秘的な湖、深い霧、暗い墓地の幻想的な風景ーそのどれもが後にエドガー・アラン・ポーの作品に鏡のように映し込まれていくのですから。▶(2)につづく-近日up