マドンナの「マインド・ツリー(心の樹)」(1) - デトロイト郊外の敬虔なカトリックの家に生まれる
「夢」と「第二の夢(セカンド・ドリーム)」について
21世紀に入った現在もクイーン・オブ・ポップとして君臨し続けるマドンナ。デトロイト郊外の篤い信仰心に包まれたイタリア移民の家庭に誕生した一人の少女が、どのようにして世界を揺るがせる稀代のセックス・アイコンになったのでしょうか。草食系男子を震撼させるセンシュアル(官能的)にして、スピリチュアル(精神性)大好きといういっけん矛盾に満ちた「現代」の女性たち。その現代女性の謎を解く<コード>をマドンナがもっている(帯びている)とすれば、おおいに気になってくるのではないでしょうか。そしてマドンナ自身も、その秘密の<コード>を最初から我がものにし、音楽やステージ上であらわしていたわけではなく、自身の「心の樹」の成長にともなって、<身体表現>したものに表象されていったようです。
しかし自身の魂がもっとも深く、もっとも自由に感じえる本当の「夢」は、その最初の「夢」でなく、自身のさまざまな体験や困難から湧いたインスピレーションを通じてもたらされた「第二の夢(セカンド・ドリーム)」にあったのです。つまり「第二の夢」は、「第一の夢」がもう一つの次元へと変貌し、<エディット(編集)>された夢だったのです。
「夢」は編集できる。「第二の夢(セカンド・ドリーム)」とは、たんに少年少女期の「夢」に意固地に固執せずに「夢」を体験と「ヒラメキ」によって自由度を与えていった結果としての「夢」なのです。諦めない「夢」のもう一つのかたちともいえるかもしれません。
その興味深い例をマドンナの「マインド・ツリー」を通して、感じとってみましょう。「マインド・ツリー」の方法とは、特定の人物の成長や成功の奇跡をたんに確認するためのものでなく、あくまでも一人ひとりの<魂の成長>のための多様な方法と冒険を記した<魂の地図>なのです。
イタリア系移民チッコーネ家の3人目の子供、デトロイト郊外に誕生
マドンナ・チッコーネ(本名:マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ)は、1958年8月16日、イタリア系移民チッコーネ家の3人目の子供として(移民2世の娘)、ミシガン州デトロイトのすぐ北に位置するポンティアックという町に誕生しています。ポンティアックという町名の通り、ゴールデン・フィフティーズと呼ばれた1950年代に、まさにデトロイト自動車産業が生み出した自動車の町でした。まわりには街路樹も何もなく、ひたすら自動車が走る道路と広い畑がひろがっているばかりだったといいます。
クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」に描かれた、同じくデトロイト郊外の元自動工の主人公がきっと若い頃に暮らしていたような町だったのかもしれません。映画の中に登場する東アジアから移民できたモン族のように、チッコーネ家も2世代前にはイタリアから船でやってきた移民でした。祖父ガエターノ・チッコーネはイタリアのアブルッツォ地方の小さな村の小作農民です。苦労しながら学校に通い勉強しますがよい職をみつけられず、意を決してアメリカに渡ります(イタリア系移民は貧困層の出身が多かったといわれている)。そしてピッツバーグ郊外にある鉄鋼業の町アリキッパで、溶鉱炉の作業場の仕事を見つけ、新妻ミケリーナをイタリアから迎え入れます。生まれた6人の息子のうち5人は製鉄所で働き、後にマドンナの父となる末っ子トニーだけが大学に進んでいます。トニーは小柄でもの静かな性格だったといいます。祖父は自家製ワインを造り始めると、日々の苦労を紛らわそうと酒におぼれ、祖母とともにアルコール依存症になっています。
父は軍需メーカーのエンジニア。母はマドンナそっくりの顔のつくり
大学を卒業した父トニーはアメリカ空軍基地で兵役に就いています。その後、ペンシルヴァニア州のカトリック系のジュネーブ・カレッジの工学部に入学。卒業後、大手軍需メーカーのゼネラル・ダイナミックス社で光学や防衛技術関連のエンジニアとして働きだしました。トニーは大学の友人の結婚式でマドンナの母となるフランス系カナダ人の子孫マドンナ・フォーティンと出会います。フォーティン家は代々、農場経営と林業の事業を営み、祖父ウィラードは建設会社の幹部に。祖父の8人の子供は皆敬虔なカトリック信者でした。
顔の造作が娘マドンナとそっくりだった母マドンナ・フォーティンはレントゲン技師として働いていました。2人はトニーが大学を卒業した後に結婚。1956年に長男アンソニー、翌57年に次男マーティン、翌58年にマドンナが誕生。3人とも口数が多く喧嘩ばかりして、ものも散らかし放題だったようですが、母マドンナはしつけには甘く、怒ることもほとんどなかったといいます。後にマドンナが男性に対し負けん気な態度をみせ、時に小バカにするのは子供の頃の”兄妹3人戦争”の名残りのようです。兄妹間の対抗心は成長してもつづいていったといいます。こうしてマドンナの「マインド・ツリー(心の樹)」は、デトロイトの自動車製造のために開発されただだった広い土地に、無理やり植林され”根づけ”されたような環境の中、ウルサく喧嘩っ早い兄弟とともに育っていきます。
チッコーネ家は、母を中心に敬虔なカトリック教徒だった
しかしそのいっけん殺風景な土地ながら、心の土壌は母マドンナによって耕されていました。母はカナダのフランス語圏に浸透していたジャンセニズム(カトリシズムでありながらピューリタン的要素をもつ)の敬虔な信者でした。聖金曜日になると母マドンナは紫色の布で家中の宗教画や彫像を覆い隠したといいます。フロントジッパーがついたジーンズを履いた女性が家に来ると、イエスの聖心像を布で覆い隠すほどでした。フロントジッパー付きのジーンズは神への冒瀆だったのです。マドンナは父からのイタリアのカトリック信仰、と厳しい道徳主義を説いたフランスのジャンセニズムと両方のカトリックから影響を受けています。少なくともデトロイト郊外のチッコーネ家の心の土壌は、神聖な雰囲気で満ちていました。マドンナは母を、信仰と家族に身を捧げた「殉教者」として母を感じています。信心深い母からおおきな影響をもらっていると、マドンナは語っています。