カート・コバーンの「Mind Tree」(2)- 叔父と叔母さんから「音楽」を注がれる

感覚的な早熟さ。「絵」もうまかったカート

▶(1)からの続き:カートの早熟さは、感覚的な早熟と、心の感じやすさにあらわれています。音楽的な早熟さだけでなく、「絵画」にも同じレベルで才能を示しています。7歳の時(小学校2年生)、高学年の生徒の作品が表紙に載る学校の広報誌の表紙を飾っています。親類たちはカートの絵画の才能に感心しカートに絵の道具をたくさんプレゼントします。
この時カートは、まるでサリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』のデビッド・カッパーフィールドのような”心眼”で相手の心を見透かしてしまい、絵を描くことにすっかり嫌気をさしてしまうのです。学校側にもよく出来たと全然おもっていない絵を無断で学校の広報誌に載せ、自分に恥をかかせたとして学校を非難しだすのです。こうしたことが積み重なって学校や大人に対するカートの態度が変わってしまったのです。10代後半のデビッド・カッパーフィールドと比べてもいかにカートが年少時から、年齢不相応な感じやすい気質だったかがよくわかるかとおもいます。

カートが最初に手にしたレコード:コバーン一族のスター、叔父さんのレコード

「絵画」をすっぱり辞めたカートですが、「音楽」には嫌気がさしませんでした。おそらく「音」は胎児の頃からたえずカートを<魂振り>していたものであり、カートの「マインド・ツリー(心の樹)」をかたちづくる素材にすらなっていたにちがいありません(「音」がカートの<夢の素材>となったように)。
カートが最初に手にしたレコードは、一族のスター、叔父のデルバート・フランデンバーグのレコードでした。メアリー叔母さんがカートに贈ったものでした。とにかくカートにとってメアリー叔母さんの家は、魔法と神秘の世界に触れえる場所でした。カートの魂をぞくぞくさせたのは、ターンテーブルの上でくるくる回転するレコードから、メアリー叔母さんの歌う声が聴こえてくることでした。カートは頻繁にメアリー叔母さんの家を訪れレコードを眺めたり聴いていたそうです。こうした体験はカートの「心の樹」に決定的な影響を与えました。

最初にギターを教えたメアリー叔母さん

メアリー叔母さんはカートの幼少期の「心の樹」のあちこちに登場します。カートに最初にギターを教えたのもメアリー叔母さんでした。ただ教則本に則ってギターを習うことは、カートの我慢の限界を超えたものだったようです。教則本の通りに教えるとカートは落ち着きがなくなるのです。ほっておくとカートはずっと弾いていたといいます。この頃のカートの宝物は、小型のプラスチック・ギターでした。つづいてカートが目をつけたのがドラムでした。もともと騒々しい「音」が大好きだったカートにとってドラムは”鬼に金棒”のようなもので、カートの天賦の才能を引き出す大音量装置とでもいえるものでした。
カートにバス・ドラムを買い与えたのもメアリー叔母さんでした。
ドラムはコバーン家を震え上がらせました。かつてドラマーになる夢をもっていた母ウェンディは、大音量を我慢しカートをほめて励まします。小学校3年生になるとカートはドラムのレッスンを受けるようになります。放課後にレッスン、家に帰っても一人練習です。譜面は読めなかったのですが、音の記憶と模倣の才能が飛び抜けていたようです。レッスンのクラスの子が叩いた曲を直後にすぐコピーし、しかもうまく叩くのです。

「スタントマン」の怖さ知らずにしびれる

この頃、カートはテレビで見たイーヴェル・クニーヴェルという「スタントマン」にしびれています。バイクに乗って足をひろげて飛び出し、カートの嫌いなスクールバスや自動車などあらゆるものの上を飛び越える、怖さ知らずの姿に自分を重ね合わせます。カートは森の中に障害物のあるコースをつくり、どんな傷を負っても走り抜くことに挑戦したりしています。2階の自分の部屋から布団を落とし、その上に飛び降りたり、爆竹を体に貼り付け爆発させたりしています。それらは恐れに対して自分を試すことでもあったのです。
「音」と「怖さ知らず」、この2つは後にニルヴァーナのステージで、カートが繰りひろげるものとなります。ロック・サウンドやそのステージングは、カートの少年の頃の純粋な「心の樹」を映しだすのに最適の場所になっていきます。しかしその眩しいステージは、照明が消えればすぐに闇につつまれてしまう場所でもあったのです。カートの魂が、自身の「心の樹」を映しだす場所を探しあてるまでに、まだ10年余の時が必要でした。
そして間もなく「心の樹」は大きな試練を迎えます。

8歳の時、両親の離婚。自分のせいだと悩む

お調子者のカートが胸にぶらさげた太鼓を叩きながら、大声でビートルズモンキーズの歌を唄って練り歩く姿が近所で評判になっていた頃、コバーン家に亀裂が入りはじめていました。母ウェンディが父ドンに対する不満が押さえられなくなってきたのです。仕事以外、疲れて寝てるかスポーツだけしかしない(野球のスポーツチームのコーチをしていた)ドンとの距離は埋められないものになっていました。
結局カートが8歳の時(小学校3年)、両親は離婚します。その時、カートの心の中の灯がぽっかり消えてしまいました。8歳の子供にとり両親の突然の別れはまったく理解のおよばないものでした。カートは自分がいけなかったのだと思いつめます。音楽ばっかりやっているので父が家を出てしまったのだとか、父の好きな野球に興味がなく、しかも当時は有利だと思われた右利きでバッターボックスに立たせようとした父の指導に応えられず、自分が左利きのせいで父を困らせたんだと、ひとり思い悩みます。実際、父ドンはカートを「できそこない」と言って頭をこずいたりしかっていた時があったのです。

両親の離婚をきっかけに、陰気になり乱暴になっていく

親の離婚をきっかけに、明るく元気だったカートは、口数も少なくなり陰気で、気に障ることがあれば暴れるようになっていきます。依然のような衝動的なものではなく、カートの自我と対立するものへの怒りの爆発でした。母ウェンディに愛人ができ、家に招くようになると、カートは愛人に感情を剥き出しにしました。
悩みながらも母はカートを父ドンの元に送りました。父ドンは移動住居のためのキャンプ場トレーラー・パーク(水道・電気設備がある)で寝泊まりしていました。父はやさしくカートを迎えます。カートが欲しがるものは買い与え、いろんな所に一緒に出かけました。一つのエピソードに、カートの生き物に対するやさしさがあらわれています。父ドンがカートを狩りに連れ出し森に入った時のこと、カートは動物を殺すことは娯楽ではないのでやりたくないと父に告げたことがあったといいます。しばらくすると父ドンは材木会社の在庫係として働くようになりました。父の勤務中、カートは倉庫の中で積み上げられた材木の上でいつも一人遊びをしていたといいます。

「夢」をもったカート。「ロック・スター」になる

こうした状況の中でもカートの「心根」は、むくむくと立ち上がろうとしていました。カートは「夢」をもちはじめました。最初の夢は「ロック・スター」でした。大統領選に出馬することも考えたようですが、なんといっても「ロック・スター」でした。次第に「ロック・スター」の夢は、「パンク・ロック・スター」に絞り込まれていきました。父のすすめでベーブ・ルース・チームという野球チームに加わりましたが、父を喜ばすために入っただけなので、カートにとってやはりベースボールは退屈にしか思えません。カートの猛(たけ)る魂と身体のエネルギーは、ベースボールのそつのない動きと神経戦には不向きでした。
チームメイトのルーキンと友達になりキッスやチープ・トリックの話で盛り上がりました。彼はバンドを組んでザ・フージミ・ヘンドリックスを過激にした曲をやっていたのです。そのバンドは後にカートに決定的な衝撃と影響を与えるだけでなく、カートの「心の樹」に成長を促す”落雷”を落とすことになります。バンドの名前は「メルヴィンズ」でした。▶(3)に続く