デビッド・クローネンバーグの「Mind Tree」(2)- 科学を専攻した大学の1年の時、自分は<アウトサイダー>だと感じた

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両親は反宗教的。高校で初めて自身のユダヤ性を意識する

▶(1)からの続き:高校時代に初めてといっていいほど、自分がユダヤ人であることを意識したといいます。ハーボード高校は驚く程ユダヤ人が多く、ユダヤ教の祝日になると5人程しか生徒が登校しないので学校はいつも休校になったのです。デビッドは家では、ユダヤ教ハヌカ祭でなくクリスマスを両親と祝い(クリスマス・プレゼントも両親にもらった)、デビッド自身サンタクロースに手紙も書いたことがあるといいます。両親はキリスト教的というより反宗教的だったのです。あらためて両親のことをみると、父や母のようなユダヤ人はなかなかいなかったといいます。そのためデビッドは他の宗教に対しても(ユダヤ教に対しても)、嫌悪感はまったくないといいます。ともあれ周りがユダヤ色が濃かったため、デビッドは学校で初めて自身のユダヤ性を意識することになったのです。

大学では専攻した「科学」を1年でドロップアウト

デビッドはトロント大学に入学します。大学では入学前にしっかり考え抜き準備した通り「科学」を専攻しました。ところが予期せぬことがおこります。トロント大学も他の大学と同様、理工系キャンパスと文系キャンパスと場所が分かれていて、気づくとデビッドは専攻する理工系の方のキャンパスでなく、文系(芸術・文学)キャンパスばかりにいるのです。とくに長いカナダの冬の間、キャンパスで心を癒されたのは科学ではなくいつも芸術だったといいます。「科学」の講義スタイルにまったく馴染めなかったのです。教授たちは時間がくれば生徒のことはおかまいなく勝手に喋りだし黒板に数値や図形、図式を書きつらねていくばかりで、アイザック・アシモフの書籍で、興奮と発見の連続だった「科学」はそこには欠片もありませんでした。すでに定式化された事ばかりを決めきったように流れ作業ですすめるだけでした。おそらく内容は充実したものだったのでしょう。しかし、他の生徒たちとちがってデビッドにとって講義はわざわざ科学に対する喜びや興奮を閉め出すように感じたのです。
デビッドの「マインド・ツリー(心の樹)」のなかでは、「科学」も「文学」と同じく、無限の可能性に開かれているもので、講義においても興奮や発見に満ちているはずだったのです。入学して1年後、デビッドはキャンパスでの現実と向き合い科学者になることはどういうことか真剣に再考したといいます。そして結論として心の底からなろうと欲しているものではないと気づいたのでした。
ただ、科学者になろうとしなくても、もしそのまま「科学」をつづけていたら生化学に向っていただろうといいます。デビッドが関心を深めていたもの、「肉体」「植物学」「思考や想像力」のすべてが、「生化学」に関連していたのです。さらに関心が及んでいた「宇宙」や「脳」までも含め、「生化学」はそれらすべての根源にあるものだと考えていたようです。植物学のなかでもとりわけ関心があった交配と化学も、人間の思考や想像を生み出している脳の中活動も、そのすべてに生化学が関与している。
デビッドは科学への道を自ら閉ざしましたが、こうした「生化学」の関心を閉ざしたわけではありませんでした。後にこの関心は、別のかたちでデビッドの活動とつながり、しっかりと活かされることになります。

大学の1年の時、自分は<アウトサイダー>だと感じた

最初の1年間に、「科学」の講義に心をつなげることができなかっデビッドの脳の中で、ある生化学反応が生じていました。他の生徒たちとの距離がとれなくなり、キャンパスを行き交う皆がどういう目的で行動しているのか分からなくなっていたのです。宇宙からの侵入者が人間の身体を次々に乗っ取っていくという映画『ボディー・スナッチャー/恐怖の街』(監督ドン・シーゲル/)の世界がリアルにそこにあるといった感じだったようです。そこまでいけばクラスに友達と呼べるような存在ができるわけもありません。
クラスに2人しかいなかった女の子が、男子生徒と付き合っているのを見て、一体全体彼らは何を話題にしているのか、どうコミュニケートしているのか、デビッドにはまったく想像すらできなかったといいます。カップルがまるで火星人のように映りはじめ、大学の1年の時、デビッドはそれまでの自分とは縁のなかった感覚、自分は完全に<アウトサイダー>だ、という思いを抱いたといいます。それは生まれてはじめての奇妙な感覚だったといいます。透明な壁の向こうで誰かに操られているようにスローモーションのように動くクラスの者と、恐る恐る言葉を交わすような感じが1年間つづいたといいます。この状態があと1、2年続いていたらデビッドはパラノイアになっていたかもしれません。

英文学へ専攻を変え、<アウトサイダー>感覚は消える

このままでは危ないと、デビッドは決断します。科学への道は自分には用意されていないと判断し、両親にも話すと理解してくれました。デビッドは翌年、英文学専攻に切り換え、再登録します(日本の大学にも大学編入制度がありますが、生徒本意ではなく学校本意になっていて容易ではありません。また理系から文系へと2年目に再登録できるシステムなど聞いたこともありません。デビッドのように科学と文学の両方に関心をもっている生徒にとって有効な制度です)。
タイタニック』や『アバター』を監督するジェイムズ・キャメロンの場合も、カリフォルニアのカレッジで海洋生物学を専攻し、1年後に物理学に専攻を切り換え、さらに英文学へと専攻を換えています。その3つの分野はハイスクール時代にすべて関心を抱いていたものでしたが、大学でさらに勉強をするにあたって、どの専門分野が自分にしっくりくるか、実際に体験し学習していかないと分からない面もかなりあるはずです。映画の世界のみならず、多くの分野を有機的に統合したり、つなげたり、編集したりしなくてはならない分野では、結果として大学で幾つもの分野を専攻することはその後の人生に大きな影響を与えるはずです。
デビッドは科学の専攻を断った時点でも、小説なども書ける「物書き」になろうとしていました。そのため英文学専攻に切り換えてもすぐにスイッチでき、英文学と哲学、歴史を組み合わせたコースをとります。科学のクラスやキャンパスと異なり、文系のキャンパスは皆がどういう目的で行動しているかよく分かり、<アウトサイダー>感覚は完全になくなっていました。クラスの生徒たちは皆熱心でかなり本を読んでいて、ワクワクするポイントも共有でき、最高にキテいる連中もいて、デビッドにおおいに刺激を与えます。
間もなく大腸炎を患っていた父が、体内でカルシウムがつくれなくなり骨が脆くなりってしまう病(寝返りをうつだけで肋骨を折る)に罹ってしまいます。父が亡くなると、父の気配で目が醒めたり、気配を感じ振り返ったり、父が言いそうな言葉が聞こえてきたりしたといいます。父がよくやっていた格好を無意識にすることは、父の死を否定しようというデビッドの脳内の生化学反応がそうさせているかのように。父の死を体験し、デビッドは生まれ変わり(輪廻転生)や取り憑く(憑依)という概念を、人生で初めて身をもって理解したといいます。▶(3)に続く-未