クリストファー・ジョンソン・マッカンドレスの「Mind Tree」(2)- 祖父は<社会に適応し難い気質>の持ち主だが、森の生き物たちと触れ合う暖かい「山男」だった


映画『into the Wild』を監督したショーン・ペン
『荒野へ』の著者ジョン・クラカワーが語ります


人気ブログランキングへ

母ビリーの父ローレンは、<社会に適応し難い気質>の持ち主だった

▶(1)からの続き:映画『into the Wild(荒野へ)』では、母ビリーの父ローレン・ジョンソンのことは一言も触れられていません。しかしこの祖父ローレン・ジョンソンの存在は、クリスに深い影響を与えています。「マインド・ツリー(心の樹)」的に言えば、祖父の存在をカットしてしまうことは、クリスの大切な”根っ子”を切り取ってしまうに等しいといえるからです。
マッカンドレス家は、一家で祖父ローレン・ジョンソンに会いに、ミシガン州のアイアンマウンテンまで訪ねています。祖父ローレンは、五大湖ミシガン湖北部に大きく突き出た半島にあるアイアンマウンテンという場所に暮らしていました。そこは母ビリーの故郷で(ビリーは6人兄妹だった)、アッパー半島の森林のなかの小さな鉱山町でした。ビリーの父ローレン・ジョンソンの仕事は、トラックの運転手だったようですが、実際にはいろんな仕事に就いたもののどの仕事も長続きしなかったといいます。それは<社会に適応し難い気質>からきているようで、その祖父の気質は「息子のクリスと似ていた」と、父ウォルトは語っています。
<社会に適応し難い気質>というと、「社会的落語者」というように考えられてしまうかもしれませんが、それは社会に適応しやすいタイプの人間からの目線、「社会的強者」の論理にすぎません。あるいは「就職率何パーセントうんぬん」とか「文系就職人気企業上位100社」などメディアで流される情報に意味や価値を置きすぎたり、それを流す側の人間の思考傾向でしょう。そうした社会適合者の”ゾーン”に組している人間にとって、個々の人間(一本一本の樹々)は有益な情報を掴むためのデータにしか過ぎません。今日の企業組織や社会システムでは、データがさまざまな活動の生命線になっているため、”ゾーン”はマトリックスのようにもう一つの情報世界を形成するまでになっています。自分は”ゾーン”の側の人間ではないと思っていても、仕事場では”ゾーン”の一員だったりします。そしていつしかその”ゾーン”の人間になりはて、同僚や友人知人をしてあの人は<社会不適合者>だという烙印を押すことになります。

近隣では、祖父は山や森の生き物たちと触れ合う暖かい「山男」で知られていた

祖父ローレンは、そうした”ゾーン”に入ることを頑に拒絶していた人間だったようです。ローレンは心の暖かい山男でした。ただ高い山、有名な山に登りたい、あの絶壁を制覇したいという山男でなく、山や森の生き物たちと触れ合うことを大切にする「山男」で、アイアンマウンテン周辺では、ローレン・ジョンソンは「伝説」の男となっていたのです。ローレンは罠にかかっていた動物を見つけては家につれて帰り、ケガを負った肢(あし)にメスを入れ治療を施し治ると森に放していました。自身のトラックを運転中に子連れの母鹿をはねてしまい呆然(ぼうぜん)となり、残された子鹿を我が子のように育て森に戻したこともあったといいます。
映画でも良心の呵責と闘いながらも生きていくためにヘラジカ(鹿)を撃ち殺し、すべての肉を大切にするために保存処理する(失敗)するシーンが描かれていますが、祖父ローレンも、家族を食べさすために鹿を撃たざるをえない度に泣いていたといいます。祖父にとって狩猟ガイドほど辛い仕事はなかったようです。都会人を森へ案内し、牡(オス)鹿を一頭獲ることを請け負っていたため、都会人が自力で鹿を仕留められない場合、ローレンが代わって鹿を撃たざるをえなくなるのです。そうした仕事をしたくないために観光客相手の乗馬や養鶏、ミンクの飼育を仕事にしたことがありましたがすべてうまくいかなかったといいます。
祖父ローレンは独学のミュージシャンであり、詩人でもありました。母が、そしてクリスが幼少の頃、いつも耳元で奏でれらていたギターは、祖父ローレンから継いだものでもありました。他人からみれば、ローレンはまさに「夢追い人」で、夢ばかり追いかけていた男のように映っていたようです。自尊心が強く他人からの指図を嫌い、頑固だったところもクリスとよく似ているといいます。祖父ローレンはクリスに接しているときには孫可愛がりしていたといいます。ほんの短期間一度だけ2人は会っただけではなく、アイアンマウンテンは母の生まれ故郷だっただけに母(あるいはマッカンドレス一家)は、クリスを最低何度かは祖父に会いに連れて行っていたようです。祖父と語らううちに、森や自然に対する興味が少年クリスの「マインド・イメージ」に映し込まれていったはです。クリスも祖父ローレンを心から尊敬していました。

12歳で4000メートル級の高山に登る体験をしていた

クリス12歳の時、父ウォルトはビリーと先妻の子供たちも一緒に連れだってロッキー山脈にある4000メートル級の山ロングス・ピーク(Longs Peak 標高4344メートル)に連れて行っています。頂上まで登攀しようとしたクリスを説き伏せ、危険を察知した父は皆を下山させています。どんな局面でもクリスは自分にはできないことはないと信じる、頑固者で、大胆さがここでもみられます。映画『into the Wild』にも知り合った老人を、世界がちがって見えるからと、小高い山の頂にまで登ってこさせるシーンがあります。クリスにとって「荒野」と同時に、<精神の頂き>に登り詰めることこそ、物質にまみれた米国社会や家庭環境、そして己(おのれ)を克服する目的でもあったのです。それはセックスに取り憑かれた米国社会から自らを断ち切る行為をも含め込んでいたようです。実際クリスは性的に純潔でした(映画でも言い寄ってくる少女に手を出そうとしない場面が描かれています)。愛読書の一冊デヴィッド・ソローの『ウォールデン』には「より高い法則」として性的禁欲のことも書かれてあり、クリスはそこに記しを付けていました。父ウォルトは2つの家庭にそれぞれに子供をもうけていたので、クリスにはそれが倫理的問題であり性的放埒と映っていたはずです。

ジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』を繰り返し読み込む。愛犬の名前は『荒野の呼び声』に登場する犬と同じ

クリスは地理的にはアラスカに向ったのですが、<精神の地形>の到達点の一つとして、またシンボルに、”北米最高峰の山マッキンリー”(Mount McKinley 6194メートル)があったにちがいありません。クリスが分け入った「荒野」は、クリスが少年の頃から愛読してきたジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』に描かれたアラスカでした(クリスはロンドンの他の作品『白い牙』や『極地のオデッセイ』『焚火』『ポルポルツュクの知恵』も繰り返し読んでいた)。家で飼っていた愛犬の名前に「Buck(バック)」とつけたのもクリスで、その名前は『荒野の呼び声』に登場する犬の名前でした。
クリスは(最後になる)旅に、愛犬「Buck」を連れて行きたいと両親に話しましたが断られています。もし連れて行ったならば、「Buck」を飼い犬からアラスカの大自然に戻し、獣性を取り戻させようとしたかもしれません。ちなみに小説『荒野の呼び声』の主人公は、「Buck」というカリフォルニアで育てられていた犬で、思わぬことからアラスカに売り飛ばされ犬橇(そり)用の犬としてこき使われ、最後に「荒野の呼び声」に呼び覚まされて本来の獣性を取り戻すまでを描いています。「Buck(バック)」には、源流に遡っていくという意味が込められていますが、「Buck」と同じようにカリフォルニアで生まれたクリスは、「Buck」のように源流に遡っていこうとしたのでしょう。クリスは愛犬「Buck」の身代わりとなるかのように、自身が『荒野の呼び声』に入り込んでいくことになります。
ただ、クリスの旅は、『荒野の呼び声』を地でなぞるような旅ではありませんでした。およそ『荒野の呼び声』はフィクションで(ジャック・ロンドンはアラスカには一度滞在はしている)。描かれているアラスカを横断しカナダにまで渡るユーコン川にはクリスは行っていません。地図も途中で破棄してしまったようです。クリスにとって本質的に必要なのは、現実的地図ではなく、”精神的な”地図だったのです。

小遣いがあれば、ハンバーガーを買ってホームレスに配ってまわった

「荒野=Wilderness」は、あるタイプのアメリカ人を深く魅了し続けてきました。それこそアンセル・アダムスやエリオット・ポーターら米国きっての写真家たちも、アメリカ西部に広がる「荒野=Wilderness」に分け入って(立ち寄って)素晴らしい写真を生み出してきたのです。最も写真家にとってはそうした光景に感銘を受けると同時に、見事な作品を制作するという目的意識がしっかりあったわけです。もしクリスの伯父さんが「荒野=Wilderness」を撮る写真家だったならば、クリスはアンセル・アダムスやエリオット・ポーターの美的遺伝子を引き継ぐ写真家になっていたかもしれません。が、クリスは「荒野」にカメラ(ミノルタ・カメラ)は持っていったもののそれはかつての偉大な写真家が用いていたようなものではありませんでした。クリスの青年期にあたる1980年代半ば以降、周囲の「世界」の内側に接するようなスナップショットが価値をあげていった時期です。最後に撮った一枚は、廃車のバスを背に力なく凭(もた)れかかり温和な笑みでレンズに視線を向け座っている「セルフ・ポートレイト」でした。
実際のクリスも心優しく、陽気で、多くの人に愛される感じのいい青年で、大いに社交的な性格だったといいます。ハイスクール時代には、人種差別や貧困問題に憂えていて自分でできることをすぐに実行していました。路上でホームレスの男を車にのせて自宅に連れてゆきトレイラーのなかで食べ物を与えて食べさせたり、週末に友人たちがパーティーで飲んだくれている時にも(クリスもよく顔をだしてはいたが)、クリスは貧しい場所に向ってホームレスや娼婦と話ししたり、ハンバーガーを勝って路上で寝ている人たちに配ってまわっていたといいます。クリスに友人たちにとってクリスほどとらえにくい性格の者はいなかったようです。
クリスはエモリー大学を優秀な成績で卒業しまたそのことが世間を震撼させる材料となったわけですが、クリスが大学の卒業に人生で重きを置いていないことはすでにハイスクール卒業時にあらわれています。クリスは大学へ進学することはもはや無意味で、その意志がないこと、社会での「出世」は現在ではもはや「虚構」であることを、両親に告げています。両親はクリスに恵まれない人々を本当に助けたいのだったら実力をつけ法学士の学位をとって影響力をもつことが賢い方法だと諭したのでした。▶(3)に続く-未