エリック・クラプトンの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- 家の中でかわされる”自分”に関する話に「秘密」を感じ、空想の友達をつくりはじめる


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はじめに:「ギターの神」と呼ばれた時、極度の薬物依存、アルコール依存だった

ルースターズのギタリストにはじまり、伝説的バンドのヤードバーズ、実験的な即興演奏を追求したクリームやブラインド・フェイス、名曲『レイラ』を生み出したデレク・アンド・ドミノス、そして無数のセッションにソロ活動。「スローハンド」から繰り出される超絶のギターサウンドエリック・クラプトンはスーパーギタリストになっただけでなく、「ギターの神」とも呼ばれるようになります。しかし「ギターの神」はあのローリング・ストーンズのメンバーもまっ青の深い薬物依存に陥り、極度のアルコール依存になり、つねに自身も、そしてすすむべき道も見失っていたのです。「エリック・クラプトン」という輝くばかりの名前と数々の名曲は、それに酔いしれる観客がクラプトン本人への関心を逸らす防波堤のようにもなっていましたが、そえゆえにドラッグとアルコール依存の懊悩は長く続いたともいえるかもしれません。
ではいったい少年エリック・クラプトンは、どのように「エリック・クラプトン」になっていったのでしょう。それとドラッグとアルコール依存とは関係あるのでしょうか。クラプトン自身、もはや「伝説」の域に達してしまい、少年の頃のエリック・クラプトンなどもはや関心の埒外でしかないかもしれません。しかし、クラプトン自身は、電気の通っていない薄暗い家で過ごした小さな頃、自分にまつわる”あの”衝撃の事実を知った時のこと、絵を描きまくりギターを初めて手にし取り憑かれたように練習した時のことを決して忘れることはないはずです。少年エリックの「マインド・ツリー(心の樹)」が、ギターサウンドと<共鳴>するようになるまでいったい何があったのか、そしてなぜ少年エリックは「音」に、そして「ギター」そのものにもそれこそフェティッシュな感覚をもつようになっていったのか、一緒にみてみましょう。「エリック・クラプトン」のギターサウンドの「源流」の小さな<心の流れ>がきっとみえてくるはずです。

昔の私立救貧院の建物が住まい。電気も風呂もなかった

エリック・クラプトン(Eric Patrick Clapton)は、1945年3月30日、イギリスのサリー州リプリー村で生まれています。リプリーはロンドンとその南方にある歴史的軍港で商業港として知られるポーツマスをつなぐ幹線道路から少し離れた所にある小さな村です。イギリスでも知名度のない小さな村ですが、あるSF小説の舞台の一つとなり一躍有名になったようです。そのSF小説は、H.G.ウェルズの『宇宙戦争(The War of the World)』(1898年出版。S.スピルバーグ監督のリメイク映画の舞台は米国のニュージャージー州)で、火星人が侵略した場所として名を馳せました。
エリックが生まれた時には、『宇宙戦争』が出版されてから約半世紀たち、20世紀初頭に火星人が侵略すると描かれて以降も、火星人はおろか英国の人からも忘れられたような地図でも小さなシミのような村のままでした。同じロンドン南東部でもケント州の田舎町ダートフォード(ローリング・ストーンズキース・リチャーズがエリックより2年前に誕生している)ならばドイツ空軍が空爆の対象にしましたが、リプリー村は爆撃する対象もまるでない小さな村だったようです。現在のサリー州は比較的豊かな中流家庭の多いロンドンの通勤圏になっていて、『ハリー・ポッター』の主人公の家もこの州内の住宅街となっています。この同じサリー州から、魔法使いの少年ハリー・ポッターとはちがう方法で、煌(きら)めくギター・サウンドで世界の人々に「魔法」をかけたのが「エリック・クラプトン」でした。
エリックが生まれたのは、村の共有地の向かい側にある昔の私立救貧院だった建物の中でした。そこがエリックの父母の住まいだったのです。父は腕のいい大工職人だったので(レンガ職人の親方でもあり自分で家を一軒立てることもできるほどだった)、建物の一部はある程度改築したのかもしれません。2階に小さな2つの寝室と1階に小さな居間と台所が設けられていました。庭のはずれにトタンで作られた侘しい小屋が立っていましたがそこがトイレでした。バスタブはなく亜鉛の盥(たらい)がありましたがエリックはその盥を使った記憶はないといいます。1週間に2度ブリキの桶に入った水で身体を拭うか、日曜に父の妹のオードリー叔母さんの家に行って入浴するのが恒例でした。家には電気はなくガス灯があるだけでしたが、家族が身を寄せ合って暮らすには第二次大戦後半期のことそれで充分でした。
父ジャックは左官の親方でした。地に足のついた労働倫理感をもつ人間で、地元の建設業者からもその誠実な人柄で信頼をおかれていました。収入は少ないながらも仕事がなくなることはなく、一家がはめをはずさず暮らすには安定した収入がありました。たまに家計が苦しくなった時には、母ローズが掃除婦として働きに出たり、村の外れにあるレモネードなどの炭酸飲料の製造工場で働くのでした。

家の中でかわされる”自分”に関する話に「秘密」を感じはじめる

5歳の時、エリックは、リプリー・チャーチ・オブ・イングランド・プライマリー・スクールに通いはじめます。最初に記憶しているのは、スクールの近くにある村の集会場で催される日曜学校で、たくさんの美しい賛美歌を聴いたことでした。エリックが一番好きな賛美歌は、「ジーザス・ビッズ・アス・シャイン」でした。エリックは賛美歌を聴くのも学校に通うのも楽しみを覚える純粋で、はにかみ屋の男の子でした。
ところが、6歳か7歳頃、エリックは、”火星人”の襲来の方がよっぽどよかったと思えるような事態に遭遇します。”火星人”が襲来すれば家族一致団結して逃げるか立ち向かえばいいのですが、エリックが体験したことは家族で一致団結して逃げることも立ち向かうこともできないのです。エリック一人だけ、他の惑星にでも置き去りにされてしまうような事態が起こったのです。
母ローズには6人の姉妹と2人の兄弟がいて日曜日になるとほとんど決まって何人かが家にやって来ては、父母と世間話をしていくのがつねでした。そのうちに彼らと両親やの間でいろいろ話されている話題の中で、エリックは自分に関する話題が次第に気になりはじめたのです。一つ一つの会話では何のことかわからなかったのですが会話のやりとりをつなぎ合わせると、自分に関してなにか「秘密」があるのではないかと気づくようになっていったのです。伯父がある時、自分を「ててなしご」と呼んでいたことを思い出し、それが真実であることが分かってきたのです。そして伯母が両親との会話の中で語っていた”母親”とは、自分が今いる家の中でずっと”母親”だと思っていた人とは違い、何処か外にいる別の人だということに気づかされるのです。
生まれてこのかた疑問もなく両親とおもっていた父ジャックと母ローズが、父でなく母でなかった。エリックは言葉にできないほど大きなショックを受けます。父ジャックと母ローズは、じつは自分の祖父と祖母だったのです。母は”母ローズ”が若い頃に生んだ娘のパトリシアという女性だったのです。そして父はイギリスにはいないこと、自分が生まれた時、その2人は結婚していなかったこと、つまり自分は”私生児”として生まれたことがわかったのです。実父はリプリー村近くに駐屯していたカナダ人(ケベック州モントリオール出身)の空軍兵士で、当時24歳だったエドワード・フライアという人物でした。実母となるパトリシアが若干15歳の時、ダンスパーティーでピアノを弾いていたエドワード・フライアと出会って関係をもったのです。
が、エドワードは妻帯者で、パトリシアが妊娠していることがわかった頃には、エドワードは近くにはいませんでした。子供が生まれる頃には、状況を知ってか知らずか、空軍兵士だったエドワードはカナダに帰国していたようです(エリックが誕生する2カ月前には、一時優勢にみえた西部戦線が崩れたドイツ軍は雪崩のように崩壊していた時で、ドイツに進行した米ソはついにエルベ川で握手。ヒットラーが命令した油田確保のための「春の目覚め作戦」が失敗し、ドイツの敗北を認識したのはエリック誕生の2週間前のことだった。ちなみに日本はこの頃、東京大空襲で10万人の市民が命を落とし、太平洋上では「硫黄島」の戦いの最中だった)。ドイツ空軍の襲来と戦火の恐怖が去ったにもかかわらず、ローズとジャックは身重になったパトリシアを近所の目から隠すようにして、家の2階の奥の部屋に匿(かくま)い、そしてひっそりと赤ん坊を生んだのでした。その子こそが、後の世界的ミュージシャンになる「エリック・クラプトン」でした。

「クラプトン」という姓にまつわる話。2歳の時、実母からも見放される

生まれた男の子に、パトリシアは相手の姓のフライアではなく、パトリシア自身の実の父レジナルド・セシル・クラプトンの姓「クラプトン」を、エリックにつけたのでした(ジャックはローズの2番目の夫)。パトリシアの父レジナルド・セシル・クラプトンは、パトリシアが3歳の時に肺の病が悪化し亡くなっていました。パトリシアの記憶には、実父レジナルド・セシル・クラプトンの面影はほとんどなかったことでしょう。そしてエリックはこの後、自身の本当の姓が、一緒に住んでいる”家族”の人たちとはちがっていることを知るのです。
「クラプトン」という姓、ロックシーンで燦然と輝くことになるこの名前には、こうした男と女の事情(情事)が舞台裏にあったのです。後年、自身の”家族(男女)”にまつわることには、栄冠を勝ち得た「クラプトン」にしても、悩まされつづけるのです。父を知らない「クラプトン」は、父を演じることができない自分に気づくのです。
そして私生児として生まれたエリックは、実の父からだけでなく、今度は実の母からも見放されてしまうことになります。エリックが2歳になると、母パトリシアは息子エリックを残したまま家に戻らなくなってしまったのです。ローズとジャックのもとに思いもよらぬかたちで、まさ2歳のあどけないエリックがぽつんと残されてしまったのです。パトリシアとは連絡が取れなくなり、ローズとジャックはエリックを自分たちの子供として育てることになります。

こうした一連の事実を知った時、少年エリックは足元の大地が揺らぐような大きな精神的ショックを受けます。エリックの心の中の地形がすっかり変わってしまい、心の”根っ子”が大地から、そして”家族”からすべてが引き抜かれたような感覚になったようです。エリックは自分が”家族”にとって、厄介者なのだと感じだします。”家族”といながら、気まずさを感じざるをえなくなってしまいました。エリックの「マインド・ツリー(心の樹)」は、この時にもはや何ものも埋め合わせることのできない、深くて大きな傷を負うことになったのです。自分の生い立ちを初めて知ることで、突然に、そこそこ楽しんでいた日々の生活に興味がなくなり、つまらなくなったといいます。これは<つながっていた>とおもっていた心が、じつは偽りのかたちだったことを知り、そのつながりが切れたために生じてくる感覚です。暮らしていた環境や大地、”家族”とのつながりが、”根”が突然、断ち切れた時、子供たちはどう反応したらよいというのでしょう。そしてこの感覚は当然のように学校生活にも波及します。楽しみが多かった学校生活は、反転するかのように、”学校嫌い”になってしまいます。自分の名前が出て少しでも注目を浴びることを避けるようになっていったといいます。他の子たちと競うことはなんでも苦痛になり、そうした行事にも参加しなくなり、とにかく学校生活のすべてが疎(うと)ましく大嫌いになってしまったのです。
いわゆる落ちこぼれ生徒はそれぞれの事情を背景にこうしてまた一人生まれてきますが、生徒は生徒で心がねじ曲げられながらも前にすすんでいくものです。エリックの場合、伯父や母の影響から音楽の才能が無意識のうちに培われていたようで、「グリーンスリーヴス」をリコーダーで演奏した時に欲しくもない賞をもらったり、美術の授業は自然な気持ちで受けることがきでたようです。小学校のとき好きだった科目は、「美術」だけだったといいます。

空想の友達をつくりはじめる。漫画本をネタに絵を描きだす

エリックが空想の友達(イマジナリー・フレンド)をつくりだしたのはちょうどこの頃のことです。空想の友達の名前は、”ジョニー・マリンゴ”という名前で、邪魔をしてくる者は誰でもかまわず薙(な)ぎ倒していく腕白な少年でした。けれども本当は優しい少年で、エリックは”家族”のなかでふたたび動揺が激しくなり耐え切れなくなると、優しい”ジョニー・マリンゴ”に会いに行くのでした。エリックは現実の世界から空想の世界に逃げ込むのでした。空想の世界に生きはじめることが、<自分の殻>に閉じこもる、という心理的状態となっていきます。<自分の殻>とは、自分を守る保護膜です。それは”心理的”に、もう一度生まれ変わるための「心理的な殻」です。小学生の低学年では、”家”を出て自分ひとりで暮らしていくことは孤児院に入るのでなければほとんどできません。生きていく手段も方法もないのです。エリックは、空想の世界の中に、何処にでも一緒にいく”ブッシュブランチ”という名の小さな馬の友達もつくりだしました。空想の世界ならば、”家”を出て何処にでも行くことが叶います。空想の友達”ジョニー・マリンゴ”は、エリックの代わりにカウボーイになって、”ブッシュブランチ”の背に乗って走り去って行くのです。
そしてこの頃、エリックは「絵」を描きはじめています。最初にひっきりなしに描いていたのは、ほかほかのパイでした。家の向かいにある村の共有地に焼きたての熱いパイを積んだ手押し車でやって来ていました。エリックは”母”がつくる美味しいパイが大好きだったので、手押し車にのせられたあったかいパイと手押し車を引いて来る男も気になっていたようです。エリックは、パイとパイ売り男の絵を何百枚も取り憑かれたように次から次へと描いていたのです。パイを描き終わるとエリックは、漫画本をネタに模写するようになっていきました。描いていたのはカウボーイやインディアン、騎士やローマ人で、学校の教科書は絵で埋め尽くされてしまっていました。大工の”父ジャック”はそんなエリックに木を巧みに削って剣や楯をつくり、友達に羨ましがられたこともありました。また”母”ローズは、エリックの欲しいという漫画本『ビーノ』や『トッパー』『ザ・ダンティ』など何でも買い与えていたといいます。私生児ということで逆に甘やかされすぎたということがあったかもしれないと後にクラプトンは語っています。とはいってもローズからすれば孫ですし、ローズの2番目の夫ジャックからしてみても直接血のつながりはないものの可愛い家族の一員ではあったのですから。▶(2)に続く