ダライ・ラマ14世の「Mind Tree」(2)- 寂しい記憶が多い幼年期。読み書きを習うだけでなく、<知的能力>の向上がめざされるチベットの少年教育

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寺院に預けられる。寂しい記憶が多い幼少時

ダライ・ラマの「転生者」が発見されたというメッセージを、首都ラサに届けるために往復半年ほど費やされました。中国の電信を使えば、その地のすべての権限を要求する青海省の省長や中国政府がどう対応してくるか火を見るよりもあきらかでした。「転生者」が発見という状況に煙幕を張ったものの、青海省の省長は莫大な袖の下を要求してきたことも、さらにラサへの出発が遅れた原因になり、半年後からラモ少年は寺院に置かれ、育てられていました。ラモの長男も三番目の兄、叔父もその寺院で修業していました。もともと父は、ラモを僧侶にしたいという希望もあったので、寺院に長く留め置かれている状況に不安はありませんでした。
寺院での1年半が、ラモの幼少時の記憶となります。後に振り返ると、寂しい記憶が多いといいます。そのころ兄サムテンは学課の勉強をはじめていたので、遊び相手がいないため教室の外まで行って、兄をずっと待っていた記憶が強く残っているといいます。ダライ・ラマ自叙伝(『チベットわが祖国』)に、「兄の注意を引くため出入り口のカーテン越しに、じっと目を凝らして見つめていた」と語っているように、はしゃぎ回ったり、泣き叫んで気を引いたりするのではなく、寂しがり屋さんで、誰か遊び相手がいないとつくねんと待っているだけで、どちらかといえば女の子のようだったかもしれません。最も先に記したようにラモ・ドンドゥプという名前は、「願いを叶えてくれる女神」という意味であってみれば頷くしかありません。そんな小さな”女神”も、兄サムテンの指導教師が時おり僧衣でくるんで膝の上にのせてくれ、乾燥果物をくれた時だけ、寂しさが消え去ったようです。
ところがもう少し大きくなると、ラモは次第に悪戯をしはじめます。兄サムテンと一緒に、短気で怒りっぽいくせに相応以上の数珠をつけている叔父を困らせようとしたのです。叔父の閉じてない教典があると、順番をバラバラにして逃げて隠れたりしていました。それでなければよく「旅行遊び」をしていたそうです。小さな荷物を幾つもつくり木馬にくくりつけそれに股がって出発するというものです。ボブ・ディランキース・リチャーズのみならず、欧米や西欧文明化した日本の当時の幼い男の子が興じていた自動車や電車ごっこの代わりが、木馬に荷物を積んだ「旅行遊び」なのかもしれません。となれば自動車や電車といった産業革命が生んだ「移動」する機械に対する思いには、もとをたどれば<此処>から未だ見ぬ<何処か>へおもむこうという「旅」への衝動が潜んでいるかもしれません。ラモの「旅行遊び」は、まもなく現実のものとなります。1939年にようやくラサに向けて出発することになるのです。3カ月以上にわたって大キャラバンが組まれたのでした。1頭の木馬だった「旅行遊び」は、250頭もの馬やラバを伴う大旅行となり、チベット領土に入ると金箔塗りの輿(こし)で運ばれました。

三つの<宇宙の象徴>と<大地の象徴=草の根>が捧げられる

ラモ少年が、第十四世「ダライ・ラマ」として正式に承認されたのは、4歳半の時でした。ポタラ宮殿でとりおこなわれた壮麗な儀式は、国がかかえる星占い師が占った良き日に催されました。盛大な三つの象徴的な捧げ物(釈尊の仏像、教典、伝統的なパゴダの小型模型)からなるメンデル・テンスムが献じられました。それは<宇宙の象徴>でした。宗教界と世俗界のそれぞれの権力の象徴である金色の法輪と白いほら貝が贈呈されます。ついで繁栄と幸福の八吉祥と忠誠をあらわす七つの象徴が贈呈されます。政府に役人に対する祝福につづき外国代表者たちに絹の聖なるスカーフが贈呈された後に、ドォマという甘い香りのする「草の根」が皿に盛られ捧げられるのです。それはチベットの大地に生える植物の<象徴>にちがいありません。パントマイム劇や古代インドの仮面劇、チベットの歴史と宗教的な物語が吟唱され、僧侶による詩(ダライ・ラマの長寿と、あらゆる生きとし生けるものの繁栄と平和を祈願)の朗読が最後になされます。
少年「ダライ・ラマ」は承認され皆から祝福されるだけで日長のんびりと椅子に座っているわけではありません。他の少年たちと同様に6歳の時から教育がはじまるのです。それは何世紀も前に確立したチベット伝統の教育方法によるものです。少年「ダライ・ラマ」も、他の子供たちと同じように、勉強に気がすすまず反抗すら覚えたといいます。自らすすんでというのではなく、すでに読むことを前提にした書物が机の前にあり、教師がいるなか狭い空間に、教師と書物にしばりつけられるのは少年「ダライ・ラマ」にして、息苦しいものだっようです。

読み書きを習うだけでなく、同時に<知的能力>の向上がめざされるチベットの少年教育

最初はウ・チェンという活字体文字(チベット文字の4種類の筆記体のうちの一つ)の読み書きのすべてが教師の”真似”をすることからはじまりました。2年間はこの活字体だけで読むことを習い、並行して毎日、教典の一節を暗記していくのです。空いた時間にはさらに教典を読みます。日々、教典を少しづつ暗記していくことは、じつは<知的能力>の向上につながるのです。そうすると何が起こるか。少年「ダライ・ラマ」もそうでしたが、多くの子供たちも、気が重く嫌々ながらだった勉強に不思議と身が入るようになってくるのです。学識だけを詰め込むように子供たちに与えようとすると必ず反発を招くか、身も入らず気のりしないまま機械的に覚えて点数を取ることだけに喜びを感じるだけの子供になっていきます。なぜそうなってしまうのか。それは<知的能力>を向上させないまま、一途に学識の詰め込みと点数至上主義に陥ってしまっているからです。
(優秀な子供でも、学校の勉強は嫌だったと思っているケースがほとんどです。ちなみに私自身=Art Bird Books : Katoも、体育と美術以外はまったく気が重かった記憶しかかりません。知的能力をあげる手だてがなされないまま教科書を読まされ、ひっきりなしに試験がなされるのは、それぞれの才能を無視した知能破壊教育としかいいようがありません。心ある教師も疲れ、生徒も不登校になるわけです。このMind Treeを継続的にあらわしている理由も、少年少女たちはこうした世の中で、自分なりにどんな生き方を夢の見方を「発見」していったのか、どこにそうした可能性が潜在していたのか、自身と周囲の環境はどう作用・影響し合っていたのか、根本的に何と”繋がっていた”のか、それは後の人生にどれほどの意味や価値をもたらすのか、また実際もたらしたのかを気づき、”再発見”するためのものでもあるのです。それはまた私自身へのまたすでに青年となり、大人になった者でも、今日の大きな戸惑いと不安のなか、今一度自己を振り返り自己〈少年少女期の記憶の中の”自己”も含め〉と対話するいい契機になるとおもうのです。この「ダライ・ラマ」のMind Treeでは、俗界を超えたところにも、私たちの想像しえない時を超えた「魂の樹」とでもいうべきがあり、その魂が再びこの世で「鏡」のように磨かれ、研鑽されてゆく。そうしたことがリアルにあることにあらためて気づかされ、そうした魂もまたこの世で理にかなった学習を重ねていくことを知るのです)。
<知的能力>がおいつかないまま厳しい学習コースに突入すると、まず子供たちはついていけなくなります。少年「ダライ・ラマ」は、厳しい学習コースにはいって間もなくすると、学習が異常な早さでのびはじめたのです。これには教師たちも驚かざるをえなかったといいます。チベットでは文字の学習は、紙でなく、まずは木の板の上でおこなわれます。板の上に文字をなぞって書いたり、先生が書いた文字の下に書き映していくのです(通常8カ月間続く)。貴重な紙に書くことは、その後でなくては許されません。8歳になると、ウ・メというチベット文字の通常の筆記体を習いだし、その後に文法となります。チベット文字の習得は、日常的に朝・夕の教典の学習をおこないながら、だいたい5年間かかるといわれます。

12歳からはじまった<討論>には、強い抵抗感を覚えた。「論理学」を学習する

チベットでは、12歳(日本だと中学1年より)になると宗教教育がはじまりますが、それは弁証法的な<討論>というかたちをとります。<知的能力>に優れた伸長をみせた少年「ダライ・ラマ」にとっても、この<討論>というかたちによる教育ははじめてのもので、教師について書物や教典を読む以上に、強い抵抗感を覚えたといいます(日本の義務教育期間におこなわれても同じ現象がおきるのは間違いありません)。それはまだ「論理学」を学んでいないせいでした。子供たちは弁証法的な議論の技術を獲得するためにまずは初歩的な論理学を学習するのです。「論理学」を学習しだすと、書物を読みだした時と同じく、今度も心の内から<討論>への気の重くなるような抵抗感はきれいさっぱり消え去っていったというのです。しかも、<討論>が逆に最も楽しい授業にすらなったというのです。これはまちがいなく少年「ダライ・ラマ」個人の能力・資質ではなく、「論理学」の学習も含め、<知的能力>の向上の方策がなされていた結果でした。
少年「ダライ・ラマ」は、30巻以上の解説書のある「知恵の完成(プラジナパラミタ)」に関する書物を研究したり(基本原理を学び解説書から2巻を選んで学んでいった)、それに関する討論に参加し、時々は、学識のある学者たちと討論していくことになるのです。そして13歳になった時、正式にレプンとセラの二大寺院に入ることが認められたのです。
そこで少年「ダライ・ラマ」は、「機械」への強い関心をもつようになるのです。飛行機や自動車などの玩具でひととおり遊ぶと、それらは必ず少年「ダライ・ラマ」によって<分解>される運命にありました。そしてその過程で「電気」の存在を知るのです。▶(3)に続く-(未)