マーティン・スコセッシの「Mind Tree」(3)- 「リトル・イタリー3部作」はマーティン自身の「映し鏡」。記録映画『ウッドストック』を編集。両親に自分たちの幼少期のことを語らせたドキュメンタリー『イタリアン・アメリカン』


映画『タクシー・ドライバー』へとつながることになる初期映画『ミーンストリート』と合わせ鏡(一対)になるドキュメンタリー映画『イタリアン アメリカン』(1974年製作)。両親が暮らすリトル・イタリーのアパートで、両親に幼少期のことやイタリア・シシリー島の先祖のことを語る。そしてイタリアンアメリカンとしてのスコセッシ家のリアルな映像が語るもの。
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「映画は個人的であるべき」という考え

▶(2)からの続き:”映画的自由さ”の気運はさらに高まっていました。街には「自由」という感覚が溢れださんとしていました。”自由”と”解放さ”が映画でとことんあらわすことができることを知ると同時に、映像の「編集」についても鋭い意識をもつようになります。とくにアレン・レネ監督の映画『二十四時間の情事』や『去年マリエンバード』に何ものにも束縛されない「編集」の極意をみつけています。ゴダールの『女と男のいる舗道』でも伝統的なハリウッド映画の話法は崩されていましたし、ジョン・カサヴェテスの『アメリカの影』の16ミリ・カメラでの方法は新たな水準にすでに達するものでした。学生の時にマーティンは、ロバート・シーゲル監督の短篇映画『イネシータ』(フラメンコダンサーを撮影)の撮影を担当しています。この時の編集方法は、後の自身の映画『ニューヨーク・ニューヨーク』を予感させるものになっていきました。
21歳の時(1963年)に撮影した『君みたいな素敵な娘がこんな所で何してるの?』は、実質的な処女作となりましたメル・ブルックスとアーネスト・ピントフ共作の短篇アニメーション『批評家』に刺激を受け製作)。写真や動画、ライブアクションが猛スピードでモンタージュされたもので、ナレーションががんがんかぶされた映像でした。
『マレー、それは君じゃない』は、大学時代に撮られた短篇映画の2作目で、「映画は個人的であるべき」との考えを反映させたものでした。マーティンは実際に”近所で巻き起こった様々な話や出来事”を取り混ぜてシナリオを書きあげています。”近所で巻き起こった様々な話や出来事”とはつまり、リトル・イタリーのストリートで起こった出来事のことでした。『マレー、それは君じゃない』はラスキー大学連合賞を受賞することになります。マーティンは、同映画を起点に、少年時代から暮らし育ったリトル・イタリーとそこに住む青年たちの”魂の成長”を3部作にして描こうと企てます。続いて、作品『ドアをノックするのは誰だ?』(マーティンの長編映画第1作目)、そして”魂の成長”3部作を絞めるものとしてマーティンの初期映画で有名なものとなる『ミーン・ストリート』を撮影することになったのです(「ミーン・ストリート」とは、うすぎたない通りという意味。レイモンド・チャンドラーのディテクティブ小説の一文からとられたもの)。それは「リトル・イタリー3部作」とも呼ばれるようになり、マーティンの「マインド・ツリー(心の樹)」の”根っ子”としっかりと直に繋がるものとなったのです。

「リトル・イタリー3部作」は、マーティン自身の「映し鏡」

じつは「リトル・イタリー3部作」の前にすでに書かれていた台本「エルサレムエルサレム」には、マーティン自身が”投影”された「J.R」という人物が登場しています(映画ではハーヴェイ・カイテル演じる。当時彼は法廷速記者として働いていた)。台本にはマーティン自身の経験から教会と信仰の問題(キリストの受難の現代版)、セックスへのコンプレックスなど、マーティン自身の内面世界=「心の樹」そのものが映し込まれていました。それを担った「J.R」という人物が、その名前もろとも「リトル・イタリー3部作」の『ドアをノックするのは誰だ?』と『ミーン・ストリート』にも顔を出すことになるのです。「リトル・イタリー3部作」は、マーティン・スコセッシの「映し鏡」といっても過言ではないものでした(西海岸で上映された際には、映画館が勝手に『J.R』とタイトルを変更していた)
処女長編『ドアをノックするのは誰だ?』は、当初は卒業製作映画としてスタートしたものでしたが(23歳の時)、その可能性を感じ取ったニューヨーク大学のマヌーギアン教授がプロデューサーとして立ってくれました(マーティンの父が学生ローンから6000ドルを調達し制作費の一部にあててくれた)。同映画は、米国東部において、白黒35ミリで撮影されたおそらく最初の学生映画になっています。
ところが、すったもんだの結果、製作は中断の連続。なんとか製作を終え(65分に切り詰め「踊り子たちを連れて来い」という題で上映)上映会にかけてみたが、惨憺たる結果に終わります。24歳のマーティンは一文無しになり、働かずにはおられない状況になります(学生結婚していたが、帰宅恐怖症になり、結婚生活は破綻)。この頃、バグダッド出身でウェイターをしながら大学に通っていたマーディグ・マーティンと出会い(彼も妻からほとんど追い出されていた)、厳寒のニューヨークの路上、車の中に閉じこもり2人にとっては皮肉な「結婚の幸福を教えます」と題した台本を書くのでした。学生映画で幾つもの賞を獲ていたマーティンを応援する者たちのサポートを得ながら、なんとか処女長編映画の撮影を再開し、1969年のシカゴ映画祭などに出品されます(製作開始から6年たっていた。最終制作費は7万5000ドルに)

記録映画『ウッドストック』を編集。ロジャー・コーマンから監督を依頼される

処女長編はさらにニューヨークのカーネギー・ホール・シネマでも劇場公開されることになります。同1969年、27歳になっていたマーティンはニューヨーク大学の映画学科の助講師に推され、映画の基礎技術や映画批評を、さらには学生が製作する3分映画の指導教官も任されることになります(マーティンが製作監督をつとめ、学生たちが中心になって製作されたインドシナ戦争に関する政治色の濃い映画製作に、ベトナム空挺部隊に所属し除隊して入学してきた若きオリヴァー・ストーンも加わっていた。後に『プラトーン』や『7月4日に生まれて』を監督するオリヴァー・ストーンマーティン・スコセッシに師事。2010年には、オリヴァー・ストーン版「ミーンストリート」の『ウォール・ストリート』を監督)
またマーティンは、1969年に開催され時代を象徴するロングラン・ロック・フェスティバルとなった「ウッドストック」の記録映画『ウッドストック』の編集にも携わっています。『ウッドストック』の購入を決定したワーナー・ブラザーズの副社長は、すでに撮影済みの別のロック・フェスの編集を依頼、マーティンはロサンゼルスに向かいます。その地でマーティンはエージェンシーからB級映画の帝王ロジャー・コーマンに引き合わわれています(1971年)。そしてコーマンから、『血まみれギャング・ママ』の続編『明日に処刑を…』(大ヒット映画『俺たちに明日はない』のパロディーもの)の監督を依頼されます(仕事が開始するまで所持金が底をつきジョン・カサヴェテスに泣きついている)。マーティンはかつて監督を降ろされた経験から、『明日に処刑を…』の全シーンの絵コンテを描き、コーマンの信頼を勝ち得ています。
が、ジョン・カサヴェテスは『明日に処刑を…』をまったく評価せず、マーティンは再び、自身の”根っ子”を張っていたリトル・イタリーへと視線を移します。原点回帰から生まれたのが『ミーン・ストリート』でした。撮影スタッフは、『明日に処刑を…』で一緒に働いたコーマンの撮影クルーでした(ストリートはリトル・イタリーだが、屋内シーンはすべてロスで撮影)。マーティンの才能を買い、コーマンは『ミーン・ストリート』の西海岸への配給を引き受け、マーティンも同映画中にコーマンの映画『黒猫の棲む館』のシーンを挿入、オマージュを捧げています。

両親に自分たちの幼少期のことを語らせたドキュメンタリー『イタリアン・アメリカン』

コーマンと会った1971年のクリスマスで、運命の扉が開かれます。作家ジェイ・コックスが催したクリスマス・パーティで、同じような匂いを放つ「心の樹」をもった人物、ロバート・デ・ニーロと時を超えて出会うことになったのです。デ・ニーロは、俳優への道を走りだしていました。デ・ニーロは偶然にも、ロジャー・コーマンの『血まみれギャング・ママ』(マーティンが監督した『明日に処刑を…』の前篇)に出演していただけでなく、マーティンの『ドアをノックするのは誰だ?』を観ていました(デ・ニーロの伝記本『ロバート・デ・ニーロ—挑戦こそわが人生』—ジョン・パーカー著・メディアックス—には、デ・ニーロはマーティンが映画監督になっていたことも知らず、マーティンの映画も観たことはなかったとなっている。記憶の確かさはマーティンの方に分がある)
そしてマーティンはリトル・イタリーにあるスコセッシ家である撮影をはじめています(撮影資金は建国二百年記念奨学金。それは『イタリアン・アメリカン』(1974年製作)と題されたドキュメンタリーで、マーティンの両親に自分たちの幼少期のことやシシリーに暮らしていた祖先のことを語ってもらったものでした(デ・ニーロもマーティンと再開した3年程前に、先祖が暮らしたアイルランドとイタリアをひとり旅している)。マーティンはこのドキュメンタリー『イタリアン・アメリカン』は、『ミーン・ストリート』と合わせ鏡(一対である)になっていると語っています。つまり『ミーン・ストリート』は、マーティン自身の「マインド・ツリー」と響き合い、スコセッシ家代々の「マインド・ツリー(心の樹)」と木霊(こだま)するものであるかを告げるものだったのです。そのスピリットは、壊れはじめたニューヨークのストリートを目撃する、『タクシー・ドライバー』の主人公トラヴィス・ビックルに通底いくのです。
・参照書籍『スコセッチ・オン・スコセッシ—私はキャメラの横で死ぬだろう』編者/デイヴィッド・トンプソン、イアン・クリスティ フィルムアート社