カレル・チャペックの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)-チェコの職人たちの寒村から

ナチス、デモクラシーと自由を説いたジャーナリスト

カレル・チャペックは20世紀を代表するチェコスロバキア(当時)の作家です。チャペックといえば、年輩者には今日でも使われている「ロボット」という言葉を産み出した戯曲小説『ロボット』や『山椒魚戦争』で非情によく知られていますが、若い人にはむしろ『ダーシェンカまたは子犬の生活』をその筆頭にあげられるかもしれません。あるいは硬派な人は『マサリク(大統領)との対話』、自然に興味を持っている人は『園芸家12カ月』、紀行エッセイを好む方は『スペイン旅行記』、はたまたジャーナリストや芝居に関心のある人は、『新聞・映画・芝居をつくる』を手にとられたかもしれません。
そのどれもがチャペックです。カレル・チャペックの「マインド・ツリー(心の樹)」が、四方八方に豊かに広がり生い茂っていたことの証といえるでしょう。その知的強靭さの裏腹にチャペックの身体は、ずっと困難を抱えていました。とくに脊椎関節に問題があり(次第に背骨が曲がらなくなるたちの悪いリューマチ)、神経も過敏で、内気で青年期からは恋愛に対しては、親密過ぎる恋愛関係に恐怖(過度の求愛と拒否)すら感じていたようです。チャペックの気宇壮大な「マインド・ツリー(心の樹)」は、近くで感じれば、幹のいたる所に深く穿たれた傷跡があることがかります。
チャペックは本業が作家と思われているかもしれませんが、実際には20代半ばから亡くなるまで現実の事件を真近にするジャーナリストであり続けました。そして第一次世界大戦後のチェコ共和国の建国からファジズムが迫りくるまでデモクラシーと自由の大切さをウィットに富み辛辣な文章で深くチェコ国民に説き、また自身はつねに精神的な危機から静寂を愛する人物でした。亡くなって半世紀以上もたちますが、チャペックの小説やエッセイは常緑樹のごとく永遠に緑を保ち、その”心の樹”は東欧の山あいから海を越え山を越え、世界各地にチャペックの樹精が運ばれ続けています。

20世紀への転換期、チェコの寒村に新たな時代を説いた父

カレル・チャペックの「マインド・ツリー(心の樹)」は東欧の地でどのように育ったのかここにみてみましょう。カレル・チャペックは、チェコスロバキアのウーピツェという最初に織物工場が建設され19世紀に発展した典型的な小都市に1890年に生まれました。チャペックが物心ついた頃には職人と小規模経営の商人たちがすっかり根づき、チャペック家の近くの車大工、石工、鍛*屋、靴屋の仕事場を覗き込むのが好きだったようです。
医師だった父は、単に人々を治療するだけでなく、19世紀から20世紀への転換期での寒村での啓蒙的な役割を自ら果たそうとし、診療室で手のすいた時間があるときは講演の原稿を書いたり詩をつくっていました。家にいる時は多くの時間を本を読む時間にあて、雑誌に載っている複製画を鉛筆やチョークでおこし描くことも好きでしたし、旺盛な意欲で何をするにつけても一番になることを望んでいました。また、この地方のほとんどの森、山、泉などの名前を古風な名前で覚え、地域全体を愛する人でした。チェペックら兄弟は父を仕事だけでなく人間関係の模範とします。父は自分に課した仕事を日々の生活のいろんな問題を整然とおこない、何においても怠惰を戒め、それが兄弟たちの日常の規律になっていきました。父方の祖先は百姓だったそうです。