シャルル・ボードレールの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- 母への異様な愛、義父への嫉妬

エドガー・アラン・ポーの翻訳家として

シャルル・ボードレールといえば詩集『悪の華』。当時のパリっ子を震撼させたその詩、その顔つき、悪態つきの奇矯な行動の数々。今となっては若い頃に、一度は読んでみた『悪の華』も遠く翳(かす)んでしまっていましたが、今またここに、「マインド・ツリー(心の樹)」の対象として、圧倒的な興味深い人物として、蘇ってきました。あらためて思えば、ボードレールは、自身の詩が世に知られる前に、米国の作家エドガー・アラン・ポーの翻訳家として名を知られるようになっていました。
なぜエドガー・アラン・ポーだったのか。そしてアラン・ポーの世界が、じつはボードレールの世界と隣接(ボードレールは一体化しようとした)していたことを知るにつけ、ボードレールの「マインド・ツリー(心の樹)」の様相は、大きな樹冠がつくりだす影を濃くします。そしてユゴーやラマルチーヌ、ゴーティエら当代きっての詩人と肩を並べる詩人になることを強く願望したボードレール。役者になることを夢みた少年が、壮年になって思わぬかたちでその夢を叶えたボードレール。化粧をし、髪を染めていたと噂されたボードレール。そのための方法として、また自己そのものを悪魔的で驚愕の存在と化すことによってでしか、もはや偉大な詩人になることは叶わないと考えたボードレール。スキャンダラスなボードレール。パリの誰もがその忌まわしい名を知ることがあっても、ついぞ詩集『悪の華』をもってして判断されることはなかったボードレール
ボードレールの<魂の成長>のある意味、必然として詩集『悪の華』が誕生する過程は、極めて興味深いはずです。そしてそれを認識する私たちに向かって、毒々しくも天使的な『悪の華』は、パリのパサージュのウィンドウのように<鏡>に乱反射し、私たちの魂を貫きはじめます。

62歳の時の子供 ー 6歳で亡くなった実父

シャルル・ボードレール(Charles Pierre Baudelaire)は、1821年4月9日、パリで誕生します。ボードレールは少年期から成年期まで長い期間にわたって、異様な程の天上の愛の対象であった母と、陸軍少佐からパリ管轄・第一師団の参謀長(そして帝国元老院議員)に大出世していった義父との桎梏に苦しみますが、まずはその家庭環境になるまでのボードレール家をみておきます。「悪の華」と「パリの憂鬱」を生み出すことになるボードレールの魂が、どのようにして引き裂かれていったか私たちは知ることになります。
まずボードレールが6歳の時亡くなった実父フランソワについて確認しておきます。ボードレールが生まれる前、実父はパリ大学で哲学と神学を修めて後に司祭となり、フランス革命直後に聖職を辞しています(フランス革命爵位を奪われ投獄されたプララン公爵への尽力が、新しい共和国政府とは相容れなかった。父は公爵の子息の家庭教師でもあった)。顔のひろかった父は元老院の事務局長として勤めるようになり、リュクサンブール宮にある住居で暮らすようになります。その間にロザリーと結婚、アルフォンスをもうけています(アルフォンスはシャルル・ボードレールの義理の兄になる。後にボードレールが生まれた時、すでに大学生になっていて法学を学んでいた)。
ところがロザリーは夭折、父フランソワは精神的に落ち込み絵画に没頭するようになります。ところが隠遁生活の身だった父を奮い立たせる若い女性があらわれます。学生時代の友人の家に養女として暮らしていたカロリーヌでした。34歳も年下であり、自身の年齢のこともあり気持ちを押さえていたましたが一世一代の行動にでます。そして友人夫妻と若いカロリーヌにその申し出が受け入れられ、2人は結婚します。カロリーヌは25歳、父フランソワ59歳でした。3年後に子供ができます。シャルル・ボードレールです(以降、成人するまでシャルルと表記)。

落ち着きがなく、多感で、ささいなことで怒り出す子供だった

「三つ子の魂、百歳まで」。シャルル・ボードレールは46歳で亡くなりますが、まさに3歳から46歳まで、まさに彼の魂のあらわれが変わることはありませんでした。「早熟なのだけれども、落ち着きがなく、多感で、ささいなことで怒り出す」。これがシャルル・ボードレールの「三つ子の魂」でした。父フランソワは多感なシャルルを芸術に触れさせようとリュクサンブール公園に連れ出しては、彫像の美しさを教えています。ところがシャルルにとって彫像の美しさよりも年老いて皺の寄り骨ばった父の手にリュクサンブール公園の古木との類似を感じ取っていたようです。が、シャルルにとって最も気がかりなのは、やわらかくて優しい大好きな母のことばかりだったようです。早熟さは、奇妙にも母への独占欲としてあらわれでたのです。古の事を息子に話しきった古木としての父は急速に老け込み、シャルルが6歳の時、亡くなります。

母との<忘我の境地>を邪魔する者

悲しみに暮れる母に対し、シャルルの魂は奇妙な幸福感を抱きます。これで大好きな母を独り占めにできる、と。シャルルは母のものならなんでも、装身具から衣装、下着のすべてを知り尽くしていて箪笥を開けては母の匂いを嗅いでいました。シャルルの魂が、<忘我の境地>になるのは、母からのおやすみの接吻でした。ところが<忘我の境地>に一年もしないうちに邪魔者が入りはじます。母は出掛けるためにシャルルを女中にまかせるようになります。猜疑心と嫉妬が頭をもたげます。オーピックという陸軍少佐(39歳)が家に来るようになります。シャルルは嫉妬から不満をあらわにします。が、一段と美しくなり幸せな母の姿を見ると、現実を受け入れざるをえなくなっていきます。
オーピック少佐はフランスのために戦死したアイルランド人将校の息子で、勲章をちりばめた軍服は、シャルルの母をひとりの美しい女性カロリーヌにしてしまいました。またカロリーヌの父はフランス革命中にロンドンに亡命していた士官だったことも、カロリーヌ軍服を身に纏った男らしいオーピック少佐に父性的なものを感じさせたにちがいありません。偶然といえば偶然、シャルルが折しも7歳のいま、カロリーヌ自身も7歳の時に両親を亡くしていたのです。シャルルはあくまでカロリーヌの可愛い子供であって、父の面影すら漂わせるオーピック少佐に適いようもありません。しかも女としてのカロリーヌは、芸術を愛する男性よりも、軍服を着た晴れがましい男性を好んだようです。

義父の存在が母の匂いを消し去っていく

父が亡くなってから1年半後、母は再婚します。オーピック少佐はアフリカ・アルジェリア遠征の参謀となって現地に向かったかとおもうと、威風堂々の陸軍中佐となって戻ってきます。母はいっそうカロリーヌになり軍服に服従します。母の匂いは消えシャルルの魂は煩悶します。リヨンでの軍務(絹織物工「カヌート」が労働条件の過酷さに反乱を起こす)で義父は母子を呼び寄せます。シャルルはリヨンの王立中学に寄宿生として送り込まれます。ラテン語の詩を書いたり、芝居を演じたり、美しい自然や街や娘たちを見て過ごしますがシャルルは退屈さを感じるようになり、勉強も散漫になり学校生活を監獄のように感じだします。休み時間になるとユゴーやラマルティーヌの詩を朗唱するパリっ子シャルルを、同級生たちは気取りやで打ち解けることができない奴だと感じていたようです。義父は「カヌート」の暴動を鎮圧し功を認められ陸軍大佐に昇進、つづいてパリ管轄・第一師団の参謀長へと躍進します。

気まぐれでむらっ気が多い性格が「読書」に目覚める

シャルル15歳の時、パリで職務に就く義父とともに再びパリへ。シャルルは新しい学校でラテン語と英語で一等賞、6つの優秀賞を取っています。この頃、シャルルは気まぐれでむらっ気が多く、軽はずみで欠点を直そうとしない性格だと、教師に指摘されています。まさに「三つ子の魂」の少年期のあらわれです。それでも優秀な生徒だけで競う全国試験にも選抜されラテン詩で2等賞を得っています。エノー大統領の『フランス史』やユゴーの『死刑囚最後の日』を熟読しては、また勉強。幸福感はすぐに転じて陰鬱に、他人にも自分にもうんざりし、愛する母に何度も手紙を書き送っています。担任先生とは文学や芸術について語りあい気があったようです。この頃シャルルにとって唯一の慰めは、「読書」でした。しかし1冊まるごと気にいったのはユゴーの詩と戯曲、サント・ブーヴの『逸楽』だけで、他の本は楽しくなく、同時に文学が嫌いにもなっていきます。もう読書はしない、母こそ<永遠の本>なのだと手紙に書き送っているほどです。

自然と湧き出る詩。不思議な感情をはじめて覚える

17歳、シャルルはルイ・グラン中学の哲学学級に進みます。優秀な学業の褒美に一家でフランス中を旅します。最も美しいとシャルルが語るバニェール、バレージュ、ボルドーロシュフォール、ナント、ロワール川、ブロワ、オルレアンを回っています。旅のなかで見たバレージュにあるエスクブ湖に詩想を得て、十二音綴詩句でラマルティーヌ風の詩を初めてつくったシャルルは、不思議な感情をはじめて覚えます。その感情とは、砂漠の中で「泉」を”発見”したようなものだったようです。それは「早熟なのだけれども、落ち着きがなく、多感で、ささいなことで怒り出す」として地上界にあらわれでる「三つ子の魂」の”水源”だったにちがいありません。教科書とノート、ラテン語の演説集しかない環境なのにもかかわらず、”詠(うた)いたい欲求”が自然と生じてきたというのは、その”水源”に暗渠のように見えない回路でつながったからでしょう。ボードレールが吸収していたラテン語ユゴーやサント・ブーヴの詩が、その魂のエネルギーに”言の葉”としてかたちを与えました。亡くなった父が詩作を楽しんでいたことに、シャルルは気づいていなかったかもしれません。▶(2)につづく

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