ボードレールの「Mind Tree」(2)- 黒い衣装、エナメルのブーツ、規範への冒瀆


1900年「パリ万博」-パリ・オペラ座前の通り

詩に、砂漠の「泉」を”発見”

▶(1)からの続き:パリのルイ・グラン中学(哲学学級)では、シャルルは落第をようやく免れるくらいの低空飛行の成績になります。シャルルには哲学が駄弁におもえ、友人エミール・デシャネルが学校に持ち込んで来る小説や戯曲や詩への関心を隠すことはできなくなっていた。砂漠の「泉」を”発見”したシャルルにとって、ユゴー、サント・ブーヴ、ラマルティーヌ、ミュッセ、ヴィニーの詩を読んでいると自分の心臓の鼓動を感じ、魂を世界に解き放っているように感じられるのだ。本当の家族とともにいるような気になるのだった。授業中もこっそり即興で詩作したものをデシャネルにまわし楽しんでいたようです。
その一方この頃、シャルルのなかで、冷淡で皮肉で辛辣な人間になりたい気持ちがむくむくと沸き上がってきていました。義父とのこと、学校での軋轢が、無意識にもシャルルの魂を圧迫し続けていた結果だったにちがいありません。魂は芸術やギリシア語をもっと吸収したいと願っていたようです。シャルルはそれらを教えてくれる個人教師をつけて欲しいと義父に嘆願しています。成績がふるわないシャルルの願いを義父は却下します。砂漠の「泉」は干上がり寸前に。授業中に書いていた詩が先生に見つかり、それを飲み込む愚挙に学校から放校させられてしまったのです。怒る義父、泣くばかりの母。シャルルは別の中学に転入。家を離れ個人教授宅で下宿して勉強することに。

両親と将来の方向性で衝突

市庁舎占拠したバルベスとブランキが煽動した暴動が起きた1839年。下宿の身のシャルルは義父ばかりにつくす母を薄情だとおもうように。勉強にも身が入らず、陰鬱になり、泣いたり、気持ちは塞ぐぎ込むばかり。しかし、この状況から脱しようと意を決して大学入学試験に望むため短期間、猛勉強。優秀なラテン語ギリシア語が目にとまって合格。義父も昇進し少将に。シャルルが合格しても母は義父の下から戻って来ず精神の均衡がたもてないシャルル。周囲を狼狽させる奇矯な行動があらわれはじめます。牢獄と思った高校を終えると、今度は目前に広がる無限の空間に怯えるシャルル。
義父はシャルルに外交官か軍人の道に進むよう勧め、母も外交官になって欲しいと思い描いていました。義父やボードレール家の人脈をもってすればその話も夢ではないとおもわれたのです。物書きになると言いシャルルに対して、物書きは真の職業などではなく、ごろつきのような夢想家ばかりだと言い立てる両親。対立は決定的に。異母兄アルフォンスがシャルルを諭します。文学好きなら法科だ。後にいろんな職業に就けるぞとー。

醜悪でおぞましい女への欲望、規範への冒瀆

シャルルは異母兄を頼りにします。娼婦にうつされた淋病のことも打ち明け、異母兄はつてをとどって最良の薬と治療を受けさせたりしています。シャルルは母とは真逆な醜悪でおぞましい女に欲望があることを感じはじめていました。それは美の規範を冒瀆することで、官能と陶酔感がもたらされる後のシャルルを予感させるものでした。醜女は霊感さえ吹き込む女神であり、堕落や後悔から身を守れるのだと皮肉屋のシャルルは考えるのです。義父の助言は、シャルルの反抗的な気質を増幅させ、あらゆる規律にそむこうと暴力や腐敗、醜悪なものに惹き寄せられていきました

皮肉屋、放蕩者、ダンディー気取り、浪費家

シャルルは詩を追求する決意を隠し両親の心配を和らげる口実に表向き法科にすすみます。大学ではシャルルは「好奇心旺盛な放蕩者で、風変わりで感情を抑えた、皮肉屋で陰鬱で、いつも身ぎれいにしていてダンディー風で(当時の若者は好んでだらしない身なりをしていた)、苦行僧のようにやつれていて、反逆ゆえに不信心で、言葉を選んで話す」と仲間うちに映っていました。寮でシャルルは「ノルマンディー派」というの文学グループを結成。見栄を切るシャルルはいっぱしの浪費家になり、高額な外套やチョッキを次々に購入しまくります。洋服屋靴屋、帽子屋への借金は膨大に嵩んでいきました。将来計画を放棄したシャルルに母は落胆し、あまりの無分別に義父は怒り、シャルルを叩き直すためにインド洋の航海に送り出ししました。

インドへの航海と「内面の旅」

シャルル20歳の時(1841年)、義父オーピック参謀長はシャルルを鍛え直すために、アフリカ南端の喜望峰を周りインド・カルカッタに向かう「南洋号」にシャルルを乗船させます。この商船には少数の商人と植民地駐在の士官が乗船していました。不思議とブルジョワの世界よりも水夫たちといるほうが心地よさを感じています。海上の光景はボードレールを魅了し、後に『悪の華』にも謳われます。航行は暴風雨にさらされまさに死と隣合わせになり、アメリカ船に救助されモーリシャス島へ。体力的にも衰弱しシャルルは憂鬱になり、美しい光景にも無感動になっていきます。
シャルルにとって唯一の旅は「内面への旅」だったのです。シャルルはそのことに気づきます。砂漠の中に見つけた「泉」は、内面にある泉で、決してインド洋の大海などではなかったのです。シャルルは自身の霊感がやってくる先が、内面の苦悩、病的な神秘感覚、呪詛や恐怖、反逆にあることを認識しました。「南洋号」の目的地カルカッタを目前に、シャルルを預かっていた船長は彼をフランスに戻すことを決断します。 

混血女性ジャンヌとのつきあい

パリに戻ったシャルルは、混血女性ジャンヌと付き合いはじめています。南洋の旅で魅力的な植民地生まれ(クレオール)の夫人に憧れた後だっただけに、褐色の肌に色気を感じとったのかもしれません。ジャンヌはサント・ドミンゴ生まれで舞台でルメール嬢として多くの端役を演じていた女性(写真家のナダールと関係があった)で、彼女の獣のようにうねるような体と陽に焼けたような褐色の肌、匂い立つ豊かな髪の虜になったのです。シャルルは母にみた天使とは逆に、ジャンヌに獣性を帯びた「悪魔」をみたのです。実際、軽蔑をこめてボードレールの顔に唾を吐きかけたかとおもうと、獣のような腰つきでボードレールを挑発する、不吉なジャンヌ。異なる人種の女と交わることは、義父の価値観、ブルジョワの世界観を葬る快感もあありました。ボードレールはこのジャンヌを歌いつづけます。

黒い衣装、エナメルのブーツに、明るい色の手袋

ボードレールはいつも黒い衣装に、エナメルのブーツに、明るい色の手袋、ダンディーな帽子を被りはじめます。部屋の壁と天井に赤と黒の壁紙を貼り、エミール・ドロワの肖像画「アルジェの女」を掛け、異国的で悪魔的な世界を演出します。五感に変調をきたすものなら何でも試し、極めるべし、自己を破壊せよ、という考えからだったようです。▶(3)につづく

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