パティ・スミスの「Mind Tree」(4)- 詩と音楽と魂とのシンクロニシティ

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詩と音楽の双方の出会い。それぞれに大きな刺激を受ける

▶(3)からの続き:パティがロック・アルバム『ホーシーズ』を生み出すまであと5年余り。24歳のパティは詩人になるという思いを抱きながら依然スクリブナーズ書店で働いていました。昼休みになるとゴーサム・ブック・マートに通いはじめ、気になる絶版の詩集や小説を読んだり、アートブックをのぞいたりしていました。その頃チェルシー・ホテルの居住者のひとりジム・キャロル(後に『マンハッタン少年日記』でピュリッツァー賞受賞)という若い詩人と出会い、絶え間なく書き続けるジム・キャロルの姿はパティを焚きつけます。いい意味で刺激を受けやすいパティは、詩作にさらにのめり込んでいきます。2人の絆が深くなった頃(1970年後半)、メイプルソープとパティのスタジオにジム・キャロルも移り住んできました。
パティの「マインド・ツリー(心の樹)」は、縦横無尽にその枝葉を激しくたくましく伸ばしていきます。また別の「心の樹」の枝では、別の刺激的な人物と交差します。その一人が、レニー・ケイで、グリニッジ・ヴィレッジのレコード屋「ヴィレッジ・オールディーズ」で働きながら音楽評論も書いている人物でした。彼の音楽に関する専門知識とロックへの情熱はパティを圧倒しました。パティは毎土曜の夜を「ヴィレッジ・オールディーズ」でレコードを聴きながら際限なくお喋りして過ごすようになります。そしてレニー・ケイはエレキ・ギターを弾けました。いろいろ夢想しながらパティの内で何かが”弾け”ました。数年後、セント・マークス教会での激しくポエトリー・リーディングするパティの隣にいたのは、このレニー・ケイでした。

劇作家サム・シェパードとの共作。脚に稲妻のタトゥーを入れる

これだけでも満ちる刺激でオーバーヒートしてしまいかねませんが、さらに同じ頃、チェルシー・ホテルの住人だった劇作家サム・シェパードと出会い、なんと戯曲の共同執筆を申し出されます。自分の才能にいまだ確信をもてないでいたパティにとって、劇作家サム・シェパードとのセッションのような共作体験は、書くことに実弾を込めるような熱い作業でした。大きな「ターニング・ポイント」だったと後年パティは語っています。パティの「マインド・ツリー(心の樹)」に、消えることのないシンボルが刻み込まれました。パティはこの時に受けた電光石火のような刺激を身体に記憶させるため、実際、自らの脚に稲妻のタトゥー(刺青)をいれました。

詩人ジェラルド・マランガの前座に出演する。ブルー・オイスター・カルトの初期の曲を「作詩」

そしてその稲妻がメイプルソープの魂をも貫きとおします。メイプルソープは、アンディ・ウォーホルの仲間の詩人ジェラルド・マランガにパティの作品の価値を伝えると、その稲妻はマランガをも貫き、マランガの朗読会の前座に出演することになります。セント・マークス教会での詩の定期朗読会は、この時期、注目される絶好の機会でした。すでに何かが降臨でもしたかのようなパティは、すでに直感し胚胎していた「マインド・イメージ」を繰り出します。ここに伝説的なレニー・ケイによるエレキ・ギターのサウンドを入れたパティ・スミスのポエトリー・リーディングが出現したのです。
幕開けは劇作家ブレヒトの「マック・ザ・ナイフ」のカヴァー、ポエトリー・リーディングはジェン・ジュネに捧げられました。エレクトリック・サウンドにのせたパティのスーパーナチュラルなリーディングを目撃した会場は、ざわめきたったと語られています。
セント・マークス教会での朗読会を偶然みた、ミュージシャンのマネージャーだったスティーブ・ポールが、パティにある重要なことを「気づかせ」ました。それは「レコード」でした。レコードをつくれば新たな境地が一気に開かれると。スティーブ・ポールは、当初はロックン・ロールをやれば成功すると話しを持ちかけたようですが、パティはミュージシャンになりたいわけではなかったので、その話しは断っています。
パティはまたふつうに書店で働きながら、音楽評論を「クリーム」誌に載せたり、アングラ劇で端役で出演したりしています。そしてもう一本の劇作『カウボーイ・マウス』をサム・シェパードと共作します。『カウボーイ・マウス』はオフ・オフ・ブロードウェイで上演されました。そして同時に出版に向け、「詩」の推敲を重ねてもいました。様々なベクトルが同期して動いていきます。
ブルー・オイスター・カルトのアラン・レニアーと知り合い、ロマンチックな関係に発展し、ブルー・オイスター・カルトの初期の曲を作詩するようになったのもこの頃のことです。再び、「詩」のすぐ近くに、それ以上に楽曲そのものの「詩」を書くことになっていきます。それは自分の作品のためでなく、恋人の楽曲のためでした。パティが何度も推敲し、磨きあげていた自作の詩に、サウンドをのせるようになるまではもうすぐの距離でした。

◉参考文献:『パティ・スミス:愛と創造の旅路』ニック・ジョンストン著/鳥井賀句訳/筑摩書房