ランボーの「Mind Tree」(2)- 14歳の時、「詩人」になる夢。


パティ・スミスランボーの誕生を祝ったステージ「Go Rimbaud」

14歳の時、「詩人」になる夢をもつ

▶(1)からの続き:ランボーが「詩人」を意識したのは、14歳の時でした。ホラティウスをテーマにしたラテン語韻文の詩作で「汝、やがて詩人たるべし」と書き入れています。詩人たちの詩を自在に、自覚的に改良しはじめ、言語を奇妙に変形させたり、鋭い言語感覚を発揮しはじめたのも頃からです。その行為の裏には、先達たちの詩世界に一度は解き放たれても、自分の内側からつっぱねてくる自我や自意識を押さえ込められず、またそれ以上に自らの研ぎすまされた「感覚」を解放したい気持ちがあったからにちがいありません。ランボーという「樹」は、「樹精=魂」が樹表にこぼれ出てしまう、そんな樹でした。そのために「言葉」という<葉>で、大急ぎでその敏感な「樹精=魂」を覆い隠そうとしたにちがいありません。

イザンバール先生に励ましをもらう。パリ文壇と接触

16歳の時(1870年)、「早生樹」ランボーがさらに知性を伸ばします。身長も一気に177cmにまで伸びています。修辞学の教師として赴任してきたイザンバール先生(当時21歳)が、危なっかしい身体の内に隠れた研ぎすまされた「知」を「発見」し、驚嘆します。イザンバール先生は放課後に文学や詩について話しあったけとおもえばランボーに蔵書を貸し与え、支え、励ましますが、すでにランボーの推進力は、イザンバール先生の手がなくとも、すでに巨きなものした(ただランボーは人生で最初の共感者に触れることで確信をもって前進していくことができたようです)。すでに『初期詩篇』で有名になる「オフェーリヤ」や「太陽と肉体(一なるものを信ず)」「感覚」「鍛治屋」「小説」などを著していて、「現代高踏派詩集」を準備していたパリ文壇と接触しようとしていました。ランボーは「ぼくは高踏派詩人になるんだ!」と自己陶酔しています。
この年「ルイ十一世に宛てたるシャルル・ドルレアン太公の書簡」などがアカデミーのコンクールでラテン語詩の一等賞になり、「遺児たちのお年玉」もラ・ルヴェ・プゥル・トゥース誌に掲載されています。「遺児たちのお年玉」では「ー羽毛もなくぬくいもりもない巣、そこでは子供たちが寒さにふるえ、眠りもならずおびえているーもうこの家には母親がいない! 父親も遠いどこかだ!ー」と書いています。それはまさにランボーの魂から流れでた純粋な叫び、言葉でした。詩「感覚」では「ーぼくは行くんだ、うんと遠くへ、ジプシーみたいに、自然のなかを、ー心楽しく、まるで女といっしょのように」と、自身の近い未来を予感させます。

パリ・コミューン前夜。革命的情熱に溢れる。『初期詩篇

その年、ランボーの「マインド・ツリー(心の樹)」は、まるで天空から「啓示」を受けたように、無限の世界の気配を感じ、永劫の声に共振したかのように、大作「太陽と肉体(一なるものを信ず)」を書き上げます。それはゆっくりとした成長ではなく、稲妻が何度も落ち、蒼穹が一気に開け放たれたような、”魂の成長”だったようです。ランボーの詩には、ボードレールやバンヴィルから、ルクレチウス、デュベレー、ロンサール、アンドレ・シュニエ、ロコント・ド・リールらの影響がみられますが、それらすら自身の詩的ヴィジョンー「感覚」の無限の愛を推進するための燃料でした。
パリ・コミューン前夜の嵐の空気を、ランボーも呼吸しはじめ、ランボー自身も”嵐”と化してゆきます。ミシュレの「フランス革命史」に夢中になったかとおもえば、「ラ・ランテルメ」や「マルセイエーズ」新聞を読みだしました。政治的反抗心と宗教的反抗心が合体したのがこの時でした。革命的情熱はランボーの魂を激しく揺さぶります。
そして一篇の「詩」が放たれます。「鍛治屋」は搾取される者の自由と平等を求める魂をうたったものでした(『パルナッス』誌に誌の掲載を願うが適わず。ユゴーの影響が残る詩)。また「諸世紀の伝説」や「懲罰詩集」を通し歴史を深く見はじめます。自由な人間は暴君を倒すためには銃を手に街にくりだす。それは人類の進歩、人類の未来への信仰なのだ、とランボーの魂は純粋でいながら、沸き上がるエネルギーをおさえきれないでいます。
そして後に『初期詩篇』と纏(まと)められる一連の詩を書いたのもこの頃(1871年5月。16歳半の時)でした。この頃の詩にも、依然ユゴーボードレールルコント・ド・リール、バンヴィルらの影響があると言われていますが、詩のスピリットはすでにランボー独自のものになっています。こうしたことが、16歳の一年間に、すべて起こったのです。

スパイと間違われ、逮捕される

イザンバール先生が学校から去ることになります。ランボーは家出をしコンクールの賞でもらった本を売り列車に乗りパリへ。普仏戦争のあおりでパリ北駅でスパイと間違われ、逮捕され収容所に入れられてしまいます。牢獄のランボーを救ったのもイザンバール先生でした。釈放されシャルルヴィルに戻ると再び退屈な日常がはじまります。詩を書いては友人のエルネスト・ドゥラエに読んで聞かせます。そして2度目の家出。
この頃、性格が爆発するように激変しはじめています。厳しく躾けられた行儀作法を無視するようになり、髪を伸ばし煙草をふかし不良少年のようにベンチに横たわる姿が何度も目撃されるようになります。リベラルで無神論者の歴史家エドガ・キネや社会主義者ピエル・ルルーを読んでいた頃です。そしてこの時期、ランボーの「心の樹」は、新たな「芽吹き」に、樹全体が様相を変じはじめます。この勢いのある新たな幹は、じょじょにそれまでの中心の「詩」の幹をも覆いはじめるほどのもので、4年余後にはランボーの「心の樹」の樹冠になっていきます。

「科学」への関心、そして「商い」に対する興味の発芽

ランボーをは文学や革命的情熱とは別にあることを探求しはじめていました。それは「科学」でした。天文学や医術、錬金術や数学など分断された分野を総合しうるような科学であって、それはかつてのアヴィセンナやイブン・アラビといった<アラビアの知の探求の方法>をつかみとろうとするものだったのです。実際、ヴェルレーヌランボーに「フイロマット=科学好き」という渾名をつけていました。さらに興味深いことに、妹イザベルはこの頃、兄ランボーが「詩」や「芸術」、そして「科学」だけでなく、「商い」についても物知り顔で語っていた姿を記憶しているのです。▶(3)に続く

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