アンデルセンの「マインド・ツリー(心の樹)」(2)-自費出版、落ち続ける評判、絶望


オーデンセにあるアンデルセンミュージアム

自意識過剰か、純粋か。10代半ばの異常な行動力で、失敗を繰り返す

▶(1)の続き:父を亡くした後、母は再婚し、川沿いの義理の父の家に引っ越します。この引っ越しがアンデルセンに一つの転機をもたらすことになります。環境も変わり川の畔で、アンデルセンは自慢の歌声で好きな歌を気兼ねなく歌っていました。向こうの屋敷の人から「オーデンセの小さいウグイス」とあだ名をつけられるほど歌をうたうのが好きだったようです。ある時、その屋敷にフューン島の師団長グルベア大佐がやって来て、ハンスの歌声に惹かれます。大佐はハンスの芸術的天分をのばしてやりたいと手助け、時のクリスチアン王子にハンスを会わせますが、子供ながらに見栄っ張りと虚栄心の強さが禍いしてしまいます。しかし面白いもので、その自意識過剰さがハンスに次のチャンスを与えます。
まだまだしっかりした”根っ子”が伸びていないにもかかわらず、上へ上へとまだ見ぬ頂をめざしてゆきます。アンデルセンという”樹”の意識は、北欧の森の針葉樹のように天の方角に向かうしかないかのように。そうしなくては自身の育ちや身分から光はいつまでたってもあたらないとどこかで知っているかのように。

声をつぶし舞台歌手を諦め、劇作にとりくむ

14歳頃には紹介状を手にコペンハーゲンに出ます。舞台歌手になろうと王立劇場になんとかもぐりこもうと持ち前の人見知りしない行動力で手当たり次第に関係者に会いにいきます。14歳といえば日本では中学3年生(19世紀のことですから14歳でもある程度は大人びてはいたでしょうが)、そこまでやるのかという決死の行動力です。しかし裏返せば、そこまでやらなければ貧しいハンスにはチャンスは永遠に訪れないと感じ取っていたからでもあるようで、途中、もうこれでダメなら死のうとさえ考えたこともあったようです。
一時期、王立音楽学校のシボーニに援助されドイツ語を学びながら歌の練習に励みますが半年で自慢の声をつぶし舞台歌手の道をあきらめざるをえなくなります。10代半ばにしてアンデルセンの「樹」は、ざっくり切られたように方向性を失います。が、別の場所から一気に”芽”ぶいてきます。立ち直りの早さもハンスならではのようです。粘り腰があるといってもいいでしょう。「俳優か詩人なら声が悪くてもなれるぞ!」と。グルベア大佐の弟が語学の指導を引き受け、有名な俳優の指導も受けられるようにサポートまでしてくれます。しかしハンスは本ばかり読んで、ラテン語をみっちり学ぶ根気がなく途中で見切られてしまいます。ところがハンスはいつの間にやら王立劇場のバレエ部(後に声楽合唱部にも)にもぐりこんで見習いで籍を置いていたり、再び子供ながら尋常ではない瞬発力と行動力で自分の居場所を見つけだしていました。さらには、王室時計師の老未亡人から劇作家の話を聞くにつけ、それまでに読んだ小説をもとに一気に劇を書いたりしています。それを読んだ老未亡人に北欧の詩王と仰がれたエーレンシュレーガーに匹敵する詩人になれると励まされ、16歳の時、ティーレやシラーの作品を下敷きに作劇し王立劇場に年齢を偽りこっそり別名で提出までします。王立劇場バレエ部から完全に見切られると、ようやく劇作家一本にしぼろうと決心します。この頃にシェイクスピアの訳者にも会いに行き頼まれもしないのにいきなり自作を読んだり、世界的科学者エールステッドにも会いに行っています。

”痩せ細った庭”から、”王室の庭”へ。

こうした無鉄砲とも純粋で率直ともいえる彼の行動と性格はじつは相手を惹き付けることになり、実際多くの人が後援者になっていきます。とりわけ王立劇場の経営委員で、王室顧問官のヨナス・コリンは国王に掛け合い、アンデルセンを見込みラテン語学校に通わせ自ら父親がわりとなり自宅に住まわせました。町では王様からお金を出してもらっている少年として、良きにつけ悪しきにつけ噂される存在になります。
この10代半ばから数年間、アンデルセンの”苗木”は、土壌も痩せ根が不十分だった分、容易にあちこちに運ばれ植木されました。土くれも無いような場所から、王様の庭に持ってこられ植え直された”苗木”でした。ところがその若い木は新しい土に合わず(学校の授業に合わず知識のむらも指摘され)、次第に窮屈さを感じていきます。自身の天分の自覚と学校での実際の状態に苦しみますが校長の計らいでなんとか卒業します。

自費出版と、落ち続ける評判。絶望

1828年デンマークで唯一の大学コペンハーゲン大学に入学します。一年の時、奇抜な着想でいっぱいの奇妙な滑稽本『ホルメン運河からアマゲル島東端までの徒歩旅行』を書き500部を自費出版。評判もよく出版社が権利を買うほどになります。24歳の時、一幕もののボードビル『ニコライ塔上の恋-あるいは平土間のご意見拝聴』を書き上げ、今度は王立劇場で採用され上演されます。デンマーク文壇に強い影響力を持ち出したハイベア(デンマーク・ボードビルの創始者)が浪漫主義的空気を一変させていた事情も功を奏しました。その年に陽気な機知に富んだ最初の『詩集』も出版しましたが、作家として立つ自信を感じることができず勉学を続けどこかの仕事に就くべきかと悩みます。少年の頃の自身過剰さは角がとれたようになっていました。相談を受けたコリンに詩人が天職だと諭され勇気をもらいますが、新進作家としてデビューした後、性急に発表し続けたうえ文法上の誤りが多く評判は落ちる一方で、デンマーク文壇にセンセーションを巻き起こしたヘンリク・ヘルツ『霊界からの手紙』でも嘲笑の的にされてしまいます。負の連鎖に落ち込みます。自身満々だっただけに絶望は深かったようです。アンデルセンの気質は、褒められれば有頂天になり嘲笑されると病的なまでに絶望し、時に挑戦的に思い上がった言葉を投げつけるタイプだったと言われています。少年の頃からの習慣的行動でやたらと友人や知人を訪ね自作の詩を読んできかせ、時に「最も虚栄心の強い男」だとか「根は善良な子供にすぎない」と噂されていたのをアンデルセンは知ることもありませんでした。

アンデルセンの「Mind Tree」に通じれば、アンデルセンの童話がとても近くに感じられるようになったのではないでしょうか。ぜひこの機会に1冊読まれることをおすすめします>

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