サン-テグジュペリの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)-機械いじりが好きな、のろまな劣等生。

第二次大戦中に出版された『星の王子様』

キラキラとわたしたちの心の星空に瞬いているイメージの中に『星の王子様』のそれがある人はかなり多いのではないでしょうか。第二次大戦中の1944年に地中海上空でサン-テグジュペリの操縦する戦闘機が撃墜されてから、ゆうに半世紀以上たちますが、肉体の死後もサン-テグジュペリは「星空の詩人」として心の中に生きているようです。『星の王子様(原題は「かわいい王子:Le Petit Prince)』が出版されたのは死の前年の1943年ですが、日本では10年後の1953年に邦訳が刊行されています。高度成長期が始まる前ですから、今わたしたちがなにげにイメージしているよりも随分前のことだと皆さんも思われるのではないでしょうか。あらためて『星の王子様』がどの時代からも超然としている本であることに気づかされます。第二次大戦以前にすでに日本でも『夜間飛行』などが、堀口大学の邦訳で紹介されていて、サン-テグジュペリの名前は文学好きの間にはカミュサルトルの名前とともに語られていたようです。皮肉にも『星の王子様』の存在があまりにも強く、それ以外の著作が影に隠れてしまっているほどです。同時に、サン-テグジュペリ本人もまた、『星の王子様』の作者としての側面だけがクローズ・アップされる傾向があるようです。もちろん『星の王子様』は、サン-テグジュペリが、イラストも自分で何度も書き直し、精魂込めて著した書物です。ではいったいサン-テグジュペリ本人はどんな人だったのでしょうか。「心で見なければ、物事はちゃんと見えてこない。大切なものは目には見えない」というサン-テグジュペリの有名な信念は何に根ざしているのでしょう。

11世紀からつづく貴族の家系に生まれて

アントワーヌ・ド=サン-テグジュペリは、1900年6月29日に南仏リヨンに長男(第3子)として誕生しました。20世紀と同じ年づつ年をとっていくサン=テグジュペリの人生には、20世紀文明の変化が反映されることになります。3年後の1903年は、ライト兄弟が世界で初めて動力機つき飛行機による飛行に成功。サン-テグジュペリの故郷に飛行場ができ、そこでフランスの飛行機乗りウロブレスキー兄弟が発明した飛行機を飛ばすのをサン-テグジュペリは目撃することになるだけでなく、12歳の少年にしてその飛行機に搭乗することになるのです。わからずやばかりの地上の大人の世界を脱出できる空の世界にサン-テグジュペリは終世、虜になり、自身のスピリットを大人社会に幽閉させることはありませんでした。
サン・テグジュペリの「マインド・ツリー」をつくるにあたって、まずサン-テグジュペリ家のことを調べておきましょう。サン-テグジュペリ家は百年戦争よりも遡る11世紀にまで遡ることができる名門で爵位を名乗れる家柄だったようです。アントワーヌ・ド=サン-テグジュペリの名前の中に付いている前置詞”ド(=de)の存在はその証であり、つまり貴族を意味し、”ドの後にその貴族ゆかりの土地の名称がつくことになっています。サン-テグジュペリとは、代々続く「土地」の名前なのです。またサン-テグジュペリの祖先にはアメリカ独立戦争を事実上終結させた「ヨークタウンの戦い」(1781年)に参戦しアメリカ軍とともに戦った祖先がいます。しかしそのすぐ8年後に「フランス革命」(1789年)が勃発し、王様・貴族といった特権階級社会がひっくり返り、貴族階級も経済的基盤の領地を失うことになります。その後、ナポレオン三世第二帝政)のゆり戻しがあり、祖父フェルナンはそのナポレオン三世時代に知事に近い要職に付いていました。サン-テグジュペリの父ジャン=ド=サン-テグジュペリも当然伯爵(貴族)で、軍隊に身をおいた後、祖父が晩年身を置いた一流の保険会社ル=ソレイユにコネで入社しています。現在にいたるまで保険業は貴族階級出身者が多く従事している職業です(頭をペコペコ下げなくてすむかららしい)。

絵、ピアノ、詩。まるで母の影響からはじまる

父は保険の監察官をしながら社交の場であるサロンに出入りしていました。そのサロンの主催者こそ、後にサン-テグジュペリが多感な少年期に暮らすサン-モーリスの古城も持ち主トリコー伯爵夫人でした。そこで父は伯爵夫人が実の娘のように可愛がっていたマリーと出会ったのです。マリーは南仏の貴族を父に、その母はローヌ河畔に土地を所有する旧家出の娘でした。当時は一流の保険会社といえどそれほどの高給ではなく結婚後の新居は質素なマンションの4階でした。サン-テグジュペリもそこで生まれています。
4歳の時、父が脳梗塞で死去してしまいます。すでに5人の子供の母となっていたマリーは突然の運命の暗転を天性の気丈さで受け入れるなか、トリコー伯爵夫人が全員を自宅に引き取りました。間もなくして5人はリヨンの北方にある伯爵夫人の亡夫が残していたサン-モーリスの領地に移り住むことになります。それは広大な庭がある3階建ての18世紀風の古城でした。

母マリーはこの古城で貴族女性のDNAを全開させます。庭園を心ゆくまで散策したかとおもせば、絵を描き、小鳥を相手に詩をつくり、バイオリンを奏でピアノを日長ひくのでした。自然にアントワーヌ(・ド=サン-テグジュペリ;以下、成人するまでアントワーヌと記述)も、絵を好んで描き、ピアノを習い、詩をつくりました。その姿は母そのものでした。6歳頃になると詩ができると母に朗読して聞かせるようになりました。長いものは2時間もかけて朗読するような詩だったそうです。何十回と聞いた聖人の物語やお伽話を聞かせるように母にせがんで離れないのは母の愛情を一人じめしたいからでした。
古城では菜園の一隅に、貴族の務めのごとく子供たち一人づつに小さな畑があてがわれていました。アントワーヌたちは召使いに手伝ってもらいながら種を撒き野菜を育てるのでした。後の著作の中に描かれた「大地の感覚」は、この少年期の体験と記憶に”根ざして”いるようです。

のろまで、劣等生。機械いじりが好きに

サン-モーリスの古城に住んでいた頃は、アントワーヌの「マインド・ツリー(心の樹)」は、畑の野菜のようにすくすく大きくなっていったようでしたが、どうも内弁慶で(家ではアントワーヌが遊びを考えついて皆をしたがえ遊んだが悪さばかりしていた)だったようです。ところが学校となると、アントワーヌはのろまで運動神経も悪く質問にもとんちんかんな受け答えしかできない劣等生だったのです。成績は下から数えた方が早い方でした。
9歳の時、再び生活が一変します。亡き父が育ち、祖父がまだ暮らしていたル=マンへの引っ越しです。お城の生活とはおさらばです。アントワーヌは狭い部屋で暮らしはじめます。教育や躾に口うるさい祖父フェルナンをよそに、アントワーヌは機械いじりにはまりこんでいきます。箱を使って電話機をつくったり蒸気機関を改造したり原動機の設計図も書いたりしています。なかなかのオタク・エンジニアぶりです。古シーツを張った柳の枝の骨組みを自転車に結んで、ダダダッーと疾駆し飛びあがろうと試みていたのもこの時期でした。

12歳の時、初めて大空を飛ぶ

1908年、米国のライト兄弟の兄が愛機とともに偶然にもル=マンにやって来てデモンストレーション飛行をしました。それを見たアントワーヌは胸を高ぶらせました。夏休みになるとかつて住んだサン-モーリスに新たにできた飛行場にさっそく行き、フランスのウロブレスキー兄弟が発明した飛行機を飛ばすのを何度も見物します。ウロブレスキー兄弟を質問責めにした挙げ句、乗せて欲しいと頼み込んだりしています。アントワーヌは母の許可を取り付け、ウロブレスキー兄弟が操縦する飛行機に乗せてもらいます。12歳の時でした。初めて大空を飛んだ経験はアントワーヌに何ものにも代え難い体験をもたらし、その後の人生の航路を決定づけました。もっとも自分の力で空を飛ぶようになるまでにはまだまだ助走期間がたっぷり必要でした。アントワーヌの小さな”根と幹”は、再び内側にめり込むように少しづつ成長していきます。
第一次世界大戦のあおりを受け、ル=マンの赤十字で働いていた母が野戦病院(リヨンの北東40キロ)の看護婦長になりアントワーヌも転校することになりました。ここもイエズス会が経営する学校でアントワーヌはその規律の厳しさにまたも違和感を覚えるばかりでした。1915年(15歳)、今度は中立国のスイスにあるマリア会が経営する聖ヨハネ寄宿校に転校します。比較的良い学校でしたがアントワーヌは学校生活にからっきし馴染めない体質になっていました。成績は作文以外はすべてペケでした。
◉同じ1900年生まれには『風とともに去りぬ』を書いたマーガレット・ミッチェルがいます。彼女が『風とともに去りぬ』を書きはじめたのは1926年。その年、サン=テグジュペリもトラック販売会社を退社し、書きあげた小説の抜粋「飛行機乗り」を文芸誌に発表している。40代の時、20世紀とともに歩んだ2人はとも20世紀文明を象徴するマシンによって悲劇的な死を迎えます。方や自動車、方や飛行機によって。1900年生まれには、他に映画監督のルイス・ブニュエル、日本では稲垣足穂中谷宇吉郎三好達治らがいます。

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