ケイト・モスの「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- 13歳の時、幸せな家庭は崩壊する


1990年代半ばから10余年にわたって、モデル・ファッション業界にセンセーションを巻き起こしたケイト・モス。ヘロイン・シック(痩せてげっそりした容貌)、スーパー・ウェイブ(浮浪児)という呼び名は、ケイト以前の華やかでゴージャスなスーパーモデルのイメージとは、まったくかけ離れたものでした。当初はギャラも出なかった10代の痩せ細ったモデルが、どのようにリッチなスーパー・モデルを押しのけるほどの「時代のイコン(ミューズ)」になっていったのか。同じロンドンに生まれたシド・ヴィシャスのように、たんに時代との<シンクロ>だけとはいいきれないものが、ケイト・モスにもあります。サウス・ロンドンに育った引っ込み思案で目立たなかったひとりの少女がスーパーモデルのイメージを変換するまでに、いったい何があったのでしょう。ケイト・モスの「マインド・ツリー(心の樹)」を通して、ケイトの言葉と行為の裏側にあるものが、エコーのように聴こえてきます。ファッション界のロリータ、美少女の精霊(ニンフ)、パーティー・ジャンキー、ジョニー・デップピート・ドハーティの恋人、時代のミューズ、コカイン中毒。ケイト・モスにつけられたこれらの形容の向こう側のケイト・モスを、一緒に探してみましょう。

労働者階級出身で、ファッション好きな母

ケイト・モス(Kate Moss)は、1974年にサウス・ロンドンに誕生しています。母リンダはファッション好きな女の子でした。16歳で学校を卒業すると、さっそく洋服屋で働きだはじめています。そしてより専門的に、ニット製品のデザイナーのアシスタントとして働くようになります。母リンダは生粋の労働者階級出身で、両親はロンドン南部にある八百屋を営んでいました。労働者階級出身者としてごくごくふつうの暮らしぶりだったといいます。60年代のスウィンギング・ロンドンの匂いや、モッズ・スタイル、ビートルズローリング・ストーンズグラム・ロックサウンドが目と鼻の先にありましたが、そうした匂い立つような時代の空気をほとんど吸い込むことなく暮らしていたといいます。
1971年、リンダはロンドンのサットン地区チームの出身で、航空会社の事務員として働くピーター・モスと出会い、結婚します。ピーターは後に旅行業界に転身しますが、航空会社への就職も、もとは旅行への関心からだったかもしれません。2年後に弟ニックが生まれています。母リンダは、ファッションの仕事を辞め、専業主婦になり2人の子供たちを育てます。

「クロイドン・スタイル」と言われる町に育つ

ケイトが生まれ育った町は、ロンドンの中心街から南方に約15キロにあるクロイドンです。このクロイドンは、ケイトのもって生まれた資質や性格をおしひろげただけでなく、まちがいなく感性や日常的言語やファッション・センスに影響を与えています。スチュアリー英語と呼ばれるロンドン南部の不明瞭なアクセントとしまりのない話し方は有名らしく、口を開いた途端すぐにお里が知れる土地柄だといわれています。また典型的なチャヴ(低所得者層に育ち、学歴も低く素行に問題があり、独特のファッションに身をつつむ10〜20代の若者)が多く住むとして知られています。真冬でもストッキング無しのマイクロミニで町にくりだし、スティレットヒールという踵(かかと)が尖ったハイヒールを履いて練り歩く姿は、「クロイドン・スタイル」とすら言われています。

一癖二癖あるロンドン郊外の町

遡る18世紀後半には、イギリス随一のリゾートタウンになったブライトンへの中継地として、世界最初の馬が引く鉄道の発祥地として知られ、労働者階級の人口が急増し、ヴィクトリア朝時代には中流階級の町として重要なマーケット・タウンとして発展しました。探偵小説「シャーロック・ホームズ」で知られるコナン・ドイル卿が家を持ち、小説『チャタレイ夫人の恋人』のD.H.ロレンスやフランスの小説家エミール・ゾラ(『居酒屋』や『ナナ』の作者)が滞在したクィーンズ・ホテルがある場所としても知られています。この一癖二癖あるロンドン郊外の町でケイトは成長しています。

引っ込み思案で、目立ちたがり屋でなかった少女期

素行に問題があるチャヴがストリートをうろつくこともおそらく知らないまま、ケイトは学校に登校し、バレエのレッスンに通っていたはずです。よく紹介されてる、花模様の刺繍が首の下にほどこされたお洒落な衣装を着てはにかみながらニッコリしている幼いケイトのポートレイト写真は、まさにお嬢ちゃんで、お転婆タイプではなければ、しゃしゃりでて何かやるのでなく、他の子供たちの後ろの方にすっと入ってしまうタイプだったという話を裏書きしています。「男の子にとっては友達にはなりたいけど、ガールフレンドにしたいという女の子ではなかった。そのため長い間、ボーイフレンドはいませんでした」という他人の記憶にも通じるような話ですが、お洒落上手すぎて恋愛下手のイギリスの男の子が近寄りがたかったのかもしれません。お嬢様ルックをかなぐり捨て、素行が乱れた13歳以降は、よくないボーイフレンドたちといつもしけこむようになります。

絵にえがいたような円満家庭

ケイトは子供の頃からお洒落をするのが好きでした。それはファッション好きだった母リンダの影響であると同時に、「クロイドン・スタイル」の環境的影響もあったはずです。母の個人的影響は、持続的な環境的影響によって強まります。そしてケイトのモデルになってからの勝手気侭な姿は、母のそれでもありました。母リンダも決して最初からそうだったわけではありません。ケイトが少女期に引っ込み思案で、はにかみ屋で、目立ちたがり屋ではなかったように、母も結婚に際しては自分を犠牲にし、したいことは二の次にして夫婦の結びつきと家庭生活を大切にしていました。夫ピーターは心優しく、誠実な人柄で知られていました。ある日、娘ケイトにそっくりの高い頬骨に離れた目をした妻リンダが反乱しはじめた時にも、ピーターは妻には何も起こらないだろう、気分転換が必要なのだろうと、妻を信頼し一時的な別居も受け入れています。ところがピーターが思う以上に、ケイトと同様、リンダも危険な匂いの男を惹き付ける不思議な魅力をたたえていたのです。2人の子供に恵まれ経済的にも問題のない夫婦円満の家庭だとおもっていたのは、鈍感な夫ピーターだけだったのかもしれません。

ケイト13歳の時、人生に不満をもった母が家を出、不倫に走る

ケイトが13歳の時(1987年)、人生の不満を感じていたリンダはパブで働きはじめました。ピーターとの結婚生活は無難すぎ人生がいたずらに過ぎていくという思いから発したこの行動は、必然的にピーターとは異なる男性との出会いとドラマを希むものでした。そしてハンサムでポルシェに乗り、タトゥーをいれた遊び人の実業家ジェフの登場は、すでにリンダの描く物語に書き込まれていたといっても過言ではありません。そして主人公リンダもそれは洗濯女だったジェルヴェーズが死にものぐるいで働いて自分の店と安定を手にいれた後に、やがて酒におぼれ、破滅してゆく様を描いたエミール・ゾラの『居酒屋』の物語の、1980年代中産階級版ともいえるものでした。妻リンダの不倫に、生真面目だった夫ピーターは激しい衝撃を受け、ひどい諍いになりました。そしてリンダはケイトを連れて、不倫相手のもとへ。弟ニックは父ピーターのもとにのこりました。▶(2)に続く