エリック・クラプトンの「Mind Tree」(2)- 少年の頃、「音楽」は「治療薬」だった。実の母が突然あらわれる。「釣り竿」が「道具」中毒への入口だった。


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エリックが最初に弾けるようになった楽器は、育ての”母”が演奏していたリコーダー

▶(1)からの続き:誰しも大人になってから子供の頃を思い返すと、よくもあんなに一度にいろんな遊びをやることができたか不思議でしょうがなくなる時があるのではないでしょうか。小さな子供にとって1時間もあれば、永遠の空想の世界に遊ぶことができるのです。エリックの場合も、部屋で「絵」を描いていたと思ったら、今度は階段に出て歌い手になりきって「歌」いだすのでした。2階に通じる階段の途中がよく声が響くのでエリックのお気に入りの場所でした。とく歌っていたのは、ジョセフ・ロックというシンガーの曲や当時のヒット曲でした。興味深いことに、その多くは「バラード曲」だったといいます(『ワンダフル・トゥナイト』『オールド・ラブ』『ティアーズ・イン・ヘブン』などエリックは数多くの「バラード曲」を生み出していく)。
エリックの音楽好き、歌好きは、幼い頃は、育ての”母(祖母)”ローズからの影響が、もう少し大きくなってからは、彼女の実際の父ジャック・ミッチェルから音楽的影響を受けているようです。幼少の頃、育ての母ローズが居間に置いてあるリードオルガンハーモニウム)をよく弾いていました。リコーダーはエリックが最初に弾けるようになった楽器でした。リードオルガンが後に小さなピアノになってからも、ローズは演奏を楽しんでいました。演奏するだけでなく、グレイシー・フィールズというグループのヒット曲をよく歌っていました。「ギターの神様」エリック・クラプトンが、ギターの演奏だけでなく、歌うのも、”根っ子”には、育ての母の歌声が影響しているにちがいありません。

曾祖父はストリート・ミュージシャン。家にいた”兄(実は伯父)”は、車オタクでファッション好き

また彼女の父ジャック・ミッチェルは、地元ではちょっと知られたストリート・ミュージシャンたちとトラディショナルな音楽を演奏するのが趣味で、アコーディオンやヴァイオリンを弾くことができました。エリックが家にあったリコーダー以外で、「楽器」を弾いてみたいと思うようになったのは、ジャックがヴァイオリンを弾いている姿を見た時だったといいます。10歳の時、エリックの気持ちを察した”両親”が、古いヴァイオリンを買い与えてくれたのですが、リコーダーとはあまりにも仕組みが違い、弾きこなせるまでの根気はありませんでした。結局ジャックから受け継いだのは、エリックにとって後にちょっと厄介なことになる”遺伝子”でした。大の酒好きと女好きの”遺伝子”でした。
エリックの音楽好きは、家に一緒に住んでいた”もう一人の家族”からもたっぷり影響を受けています。ずっと”兄”(本当は母ローズの兄だったので伯父だった)だとおもっていたエイドリアンは、ジルバが好きでクロマティック・ハーモニカを吹き、部屋にあるレコード・プレイヤーでベニー・グッドマンやスタン・ケントンらのジャズをエリックに聴かせました。エイドリアンは音楽以外にも、カート・ヴォネガットアイザック・アシモフらSFのファンだっただけでなく、車オタク、ファッション好きでもありました。車はパーツをいじったり性能をヴァージョンアップさせたり、車内には毛皮(それに豹柄のフェイク敷物)を敷き、何台ものフォード・コルティナを乗り換えては、スピードにのめり込んでいました。そして中学時代からのエリックのファッション好きも、エイドリアン兄の影響が大きかったようです。

「釣り竿」が、その後の「道具」中毒への入口だった

エリックには、「絵」や「歌」の他に、空想の羽根を広げられる世界がありました。それは現実の外の世界で、放課後、近所の友達と連れ立って森の中に入って「カウボーイとインディアンごっこ」や「ドイツ人とイギリス人ごっこ」をするか、自転車に乗って川まで繰り出して遊ぶのでした。そして川辺での遊びの中で、エリックが自分のある性質に「気づく」ようになったことがあります。それは「道具」への中毒(本人の言葉)で、最初の対象が、「釣り竿」だったのです。最初に手にした釣り竿は、コルクの握りとリールが最低限ついている安物でしたが、緑色に塗られた釣り竿は、釣りをしていなくても、ただ眺めているだけで幸せな気分になったといいます。実際に、筋金入りの釣り師の傍で釣りをし、コイ科の小魚や中型魚を釣りあげていましたが、たとえ川で釣りをしなくても、釣り竿さえあればいくらでも遊べたのです。それは目に見えないもの=別世界(釣りの場合は水中の魚)を感知しキャッチするための、どこか「聖具」にも似たツールだったのかも知れません。
この「釣り竿」という道具へのオブセッションが、後に音を出すことさえできる「ギター」そのものへのオブセッションとなっていくのです。そして「ギター」もまた、「見ることのできない音の世界」を生み出す「魔法のツール」であり、別世界との通信をおこなうことができる「聖具」なのです。その「聖具」が響けば響くほど、エリックの「心の樹」を、丸ごと震わせ刺激を与えていくことになっていきます。

電車内の窓ガラスを叩き割り、座席をナイフで切り刻んだ

エリックは強い刺激をいつも欲しがるようになっていきます。小さい頃は、通りを走り抜ける車を眺めそれがアストン・マーチンだったりスポーツカーだったりすると興奮していましたが、そんな刺激はとっくに卒業していました。エリックは果樹園でリンゴを盗んだり、さらにはハンカチやネクタイを店から万引きするようになります。リンゴやハンカチが欲しいからというよりは、「刺激」が欲しかったのです。もっと大きな「刺激」は、とんでもないものでした。空想の腕白少年”ジョニー・マリンゴ”が乗り移ったかのように、電車に乗った時、お客が一人もいないときを見計らって電車内のすべての窓ガラスを叩き割り、ナイフで座席から荷物棚まですべて切り刻むのです。見つかれば感化院送りになったそうですが、運良く見つかりませんでした。
その一方、喧嘩はからっきしダメで、自分の肉体が痛めつけられることを極度に恐れていました。それは学校で転校して来た女の子にセックスが好きか俗語で話しかけたのが仇(あだ)となり、校長室に呼び出されお尻を酷く叩かれたことがトラウマとなっていたのです(また、ある授業で先生を睨みつけたら、傲慢だと鞭で叩かれてもいる)。体罰とセックスはエリックのなかでその後も大きなトラウマになります。

「音楽」は、「治療薬」だった。実の母が突然、あらわれる

外の世界で暴れても、また家に戻ればそこには「音楽」がありました。ラジオがつけっぱなしになっていて家の中は、「音楽」で溢れていました。大戦後のドイツに駐留していたイギリス兵士のために流していた番組「トゥ・ウェイ・ファミリー・フェイバリッツ」は家族全員の聞き物だったようです。ポップ、フォークソング、ジャズ、ロックン・ロール以外にも、エリックはクラシックからオペラまで何でも聴いて楽しんでいます。エリックは、プッチーニ「アリア」ヘンデルの「水の上の音楽(ウォーター・ミュージック)」が大好きでした。
じつはエリックにとって「音楽」は、「治療薬」でもあったのです。多様な音楽を聞き流すように楽しんでいたエリックは、ある時、<全身全霊>で好きな「音楽」を聴くと、払いのけることができなかった家族の中での自分の不安定な立場や不安感をその時だけは忘れることができることに気づいたのです。エリックは自ら「音楽治療」を実践していたことになります。
ところが、9歳の時(1954年)、せっかくの「音楽治療」を吹き飛ばす事件が起きたのです。実の母パットが突然あらわれたのです。しかも新たなカナダ人の兵士の夫とそのあいだにできた子供2人を連れて(その時、夫は朝鮮戦争で韓国に駐屯中)。エリックは、マザー、と呼んでいいか直接聞くと、母は「一番いいのはずっと育ててくれたローズをお母さんと呼ぶのがいいのよ」と応えたのです。エリックは極度のショックを受け、心の中で憎しみと怒りがまじりあい落ち込み、性格に変化があらわれだします。ジャックの妹のオードリー伯母さんを除いては、誰とあってもつっけんどんになり、引っ込み思案になっていきます。エリックにとって周囲はすべて”敵”になり、これまでふつうに接してきたローズやジャックの愛情も拒否しはじめたのです。実の母パットが現れないまでの、”家族”との生活がどれほど穏やかだったか骨身に染みるほどわかったといいます。

11歳、「服」と「レコード」に夢中に。学校では「ルーニーズ(狂人)」と呼ばれる

イリギスでは11歳の時に、成績上位の者が行く「グラマー・スクール」か、それ以外の者が行く「セカンダリー・スクール」かを決する試験を受けさせられます。エリックは試験当日、不安感から上の空になってしまい、結局、隣村のセント・ビーズ・セカンダリー・モダン・スクールに行くことになります。落胆する”家族”はよそに、エリックは新たなスクールを契機に、「水」を得たような「発見」をするのです。まず、学校で裕福な中産階級出身のジョン・コンスタンチンと出会い友達になります。ともかくどんな進学でも自分と同種の人間、関心を同じくする者、なんらかの影響を与える者と運命のように不思議な出会いをするものです。
セカンダリー・スクールの生徒の多くは、サッカーやクリケットに熱をあげるのがふつうですが、エリックとジョンが夢中になったのは、「服」と「レコード」でした。そのため他の連中からは、2人とも「ルーニーズ(狂人)」と物笑いの種にされるのです。集団生活とはつねにこうしたもので、皆と同じことをやらない者は「ルーニーズ(狂人)」なのです。ジョンの家にはラジオグラム(ラジオと蓄音機が一体となった機器)があり、学校生活一年目の夏はエリックにとって決定的な夏になります。ジョンはエルヴィス・プレスリーのナンバーワン・ヒット曲「ハウンド・ドッグ」のレコードをもっていました。2人は部屋の中で「ハウンド・ドッグ」を何度も何度も聴いたのです。「ハウンド・ドッグ」の強烈なサウンドとリズムは、塞(ふさ)ぎ込んでいたエリックの「心の樹」をがんがんと打ち、響かせました。▶(3)に続く(未)