クリストファー・ジョンソン・マッカンドレス(『荒野へ』)の「マインド・ツリー(心の樹)」(1)- 8歳の時、航空宇宙エンジニアだった父が泊まりがけの徒歩旅行に連れ出し、登山旅行が2人の間の恒例行事になる


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はじめに:映画『荒野へ』に描かれたことと、描かれなかったこと

クリストファー・ジョンソン・マッカンドレスは、独りアラスカの荒野に身を投げ入れ、1992年に、24歳の若さで廃車のバスの中で遺体が発見されたアメリカの一人の青年です。写真集好きな人にとっては、1992年は、あのラリー・クラークが問題作『1992』を発表した年にあたります。世界的な写真集ブーム到来の影で、ひとり「荒野」や山中や島に向った若者たちが数多くいましたが、写真集にもそうした心の翳りを写し出したものが多く見られるようになっていました。マッカンドレスもまたスナップシューターよろしくコンパクトカメラの「ミノルタ」を手にしていて、荒野にファインダー向けたり映画『Into the Wild(荒野へ)』(監督ショーン・ペン:2007年製作)の最後にインサートされたようなセルフ・ポートレイトすら撮っていました。
映画『Into the Wild』では、荒野に向かい、自然と格闘しながら生きたクリストファー・ジョンソン・マッカンドレスを巧みな「編集」(アカデミー賞編集部門ノミネート)で見事に描いています。ある意味マッカンドレスもこの旅は自身の人生の「編集」でした。学資を慈善団体に寄付し、手元のキャッシュを燃やして灰にし、通信手段を遮断し、必要な書物と食料をバックパックに詰め込み、食べられる植物を調べあげ、アラスカでは地図をあえて捨て去り、自身の「マインド・イメージ」の中で人類未踏の地に立ったのです。最も最後のチャプターをどうするかは、迷いのなかにあり、次第に選択の幅を無くしていきました。最後にマッカンドレスが見たものは、アラスカの「青空」でした。

このクリストファー・ジョンソン・マッカンドレスのケースで、「マインド・ツリー(心の樹)」が、その分野で成功し、名を成した人だけでなく、世の中のすべての人に対応、適応できることがみてとれるとおもいます。じつは映画版『Into the Wild』では、ソローやジャック・ロンドントルストイらの小説の強い影響や、物質的に恵まれた生活環境、両親の諍いと偽善(さらには父はカリフォルニアで、クリストファーが生まれた時、まだ最初の家庭をもっており、二重生活者だったことーその後も二家族を扶養していた。それを知った後クリストファーの性格に大きな変化があらわれた)のことにも触れられていますが、そもそも少年クリストファーに長旅や登山を教えたのが父だったことー旅好きは父の”遺伝子”だったーそしてマッカンドレスの「マインド・ツリー」で重要になる母ビリーの父のことはまったく描かれていません。車を乗り捨て、アラスカに向ってからは、その祖父が少年クリストファーに与えた影響が大きいのです。
人が<荒野>に踏み出して行くには、さまざまな背景と環境が、複雑な樹幹と枝葉のように、心の中で深く重なり合い織りなされなくてはそう容易く踏み込めるものではありません。人は「荒野の中」に踏み込んで行ったようにみえて、じつは自分の「魂の中」に入り込んでいくことになるからです。

父は航空宇宙エンジニアで、NASAのプロジェクト・マネージャーをしていた

クリストファー・ジョンソン・マッカンドレス(Christopher Johnson McCandlessー通称クリス)は、1968年2月12日にカリフォルニアに生まれています。映画『Into the Wild』では、アメリカ東部ヴァージニア州中流上層階級の家族に育ったことからはじめていますが、それは6歳からのことで、アラスカに旅立つ前のアメリカ西部への旅は、記憶の無い生まれ故郷の空の下への旅だったのです。
父サミュエル・ウォルター・マッカンドレス・ジュニア(通称ウォルト)は、クリストファーが誕生した時は、航空宇宙業界ではよく知られた航空宇宙エンジニアでした。1960年代から1978年にかけてアメリカ航空宇宙局NASA)とヒューズ航空機に勤め、合成開口レーダー(SAR)という先端テクノロジーの分野で名が知られていただけでなく、スペースシャトルの新型レーダーシステムなど最先端の技術計画を立案してきた人物でした。人工衛星「シーサット」が打ち上げられる1978年には(クリスが10歳の頃)、遠隔探査装置と人工衛星システムの設計面におけるNASAのプロジェクト・マネージャーだったのです。実際、ウォルトの履歴は、アメリカ国防総省に勤務中の職務に関してはそれ以上のことはトップシークレットとなっているようです。
プロジェクト・マネージャーになるだけに、技術者としては珍しいタイプで、統括し采配をふるう手腕もあり、ばりばり「仕切る」能力がありました。ウォルトが何か言えば、皆が自然と、意識的に耳を傾けるのです。優秀な同僚たちからも俄然一目おかれる存在でした。
NASAで重要なミッションを任された人物であるならば、いっけん家系も優秀な技術者一族だったのではないかと推測してしまいますが、実際には、北側に接するワイオミングとの州境に近いコロラド州グリーリーという標高1500メートル程の大草原にひろがる農業の町に生まれています(現在人口は7万7000人程)。ウォルトは農村の貧乏な家の出でした。ウォルト少年は、頭がよくて負けん気が強く、一途に努力する性格だったといいます。いわゆる苦学をしてコロラド州立大学への奨学金を受け、入学後も勉強の合間をぬうように数多くのアルバイトをして生活費の足しにしていました。屍体置場のアルバイトもやったことがあったといいます。音楽が大好きでピアノなど楽器の演奏も得意だったこともあり、人気のジャズ・カルテットであるチャーリー・ノヴァックのバンドにピアノのプレイヤーとして参加し、巡業にもついてまわっていたこともありました。それはプロのミュージシャンとしての活動でもあったので、他のアルバイトよりも一番稼ぐことができたようです。

8歳の時、父が泊まりがけの徒歩旅行に連れ出し、登山旅行が2人の間の恒例行事になる

コロラド州立大学を卒業したウォルトはすぐに結婚しています。(前)妻になるマルシアは妊娠していました。ウィルトはヒューズ航空機に就職すると、会社から派遣されるかたちでアリゾナ大学で「円錐ヘリックスの分析」と題した論文を書きあげアンテナ理論で修士号を取得しています。時代は1950年代後半で、ソビエトスプートニク計画がアメリカを震撼させていた時代でした。ウォルトは国から莫大な予算がつぎ込まれた航空宇宙産業の真っただ中に乗り出していくことになったのです。ヒューズ航空機の本社のあるカリフォルニアで、ウォルトは平屋の小さな家を購入し家族と暮らしはじめます。ウォルトは若くして月面着陸の探査機サーベイヤー1号の打ち上げテストの責任者となり、また家庭では4人の子供に恵まれまれ順風万歩の人生の滑りだしをみせたのですが、そんななかマルシアとの結婚生活は破綻をきたしていました。マルシアと離婚したウォルトが付き合いだしたのが、クリスの母になる女性ウィルヘルミナ・ジョンソン(通称ビリー)で、ヒューズ社の秘書をしていた22歳の女性でした。ビリーが男の子を授かったのは、ウォルトが離婚し2年程たった頃でした。その2年後にクリスの妹のカリーンが生まれています。
有能なウォルトがNASAに引き抜かれるかたちで転職し、ヴァージニア州に転居したのは、クリスが6歳の時でした。カリフォルニア時代とちがって綺麗な庭付きの立派な家でした。多忙を極めていた父ウォルトが初めてクリスを泊まりがけの徒歩旅行に連れて行ったのはクリス8歳の時でした。2人だけで渓谷を3日間歩いて山頂に向ったのでしたが、負けず嫌いな性格はすでにこの頃クリスにはっきりあらわれています。最後まで自分のバックパックは自分で背負い、3日間歩いても泣き言一つ吐きませんでした。強烈なエネルギーを秘めた体質も父ウォルトから継いだもののようでした。こうして登山旅行は、マッカンドレス家のなかで、父と息子だけの恒例行事になっていきました。

マッカンドレス家は、皆が遠出の旅好きだった。ミシガン湖畔の半島に暮らす祖父

マッカンドレス家は、家族でも旅行を楽しみました。ヴァージニア・ビーチやカロライナ海岸へ行ったり、五大湖(母ビリーの出身地近く)や東部アパラチア山脈の南東に位置するブルーリッジ山脈まで遠出したり、時にコロラドに暮らす先妻マルシアの子供たちを訪れることもありました。エアストリームの大型トレイラーを買うまでは、シボレーのワゴンの後部をキャンプ地にして寝泊まりしたのです。クリスは車の中であっても戸外で寝泊まりする旅行や登山旅行が大好きになっていきました。マッカンドレス家の家族は皆、旅が大好きだったのです。そして旅行は長ければ長いほど皆それを楽しみにおもったのです。青年になったクリスが長い旅に出はじめても、それはマッカンドレス家にとっては連絡がある限りは決して驚くようなことではありませんでした。若い頃から旅好きだった父ウォルトは、息子のクリスが旅好きの<遺伝子>を受け継いでいたことは、かなり早い段階でわかっていたからです。
しかし息子のクリスの旅好きの<遺伝子>は、もう一人別の親族からも受け継いでいて、その2つの<遺伝子>がクリスの「マインド・ツリー(心の樹)」のなかで合体し、折り重なり合わなかったならば、父が立案していた新型レーダーシステムを搭載したスペースシャトルのように、クリスも「荒野」への旅から無事”帰還”していた可能性があるのです。もう一人別の親族とは誰か。それは母ビリーの父ローレン・ジョンソンでした。祖父ローレン・ジョンソンは、”新型のレーダーシステム”を生み出すような父ウォルトとはまったく別世界に生きている”原始的”な感覚に生きた人だったのです。祖父は五大湖ミシガン湖北部に突き出た半島にあるアイアンマウンテンに暮らしていました。そこに少年クリスは両親と一緒に訪ねて行ったのでした。

スポーツの基本的テクニックを学ぶことに抵抗したクリス。ランニングには取り憑かれる

さて父ウォルトは、自分とは違う息子クリスの性格を何度も気づかされることになります。それはとくに一緒にスポーツをする時に感じられたものでした。バカンスで家族でコロラドにスキー旅行に行った時、クリスはターンしようとせずに、クラウチングスタイルで斜面を滑降することしかしませんでした。ゴルフの時も、父が教えようとしたスウィング・フォームを絶対に受け入れようとしませんでした。最初にテクニックを体得し、それを磨けば上達することがわかっていても、クリスは基本的なことを吸収することに必ず難色を示すのです。指図にも逆らうといってもいいほどの頑さでした。そのため基礎的な技術がなくても意志で乗り越えられるランニングとなると(ランニング以外のスポーツは、ほとんど途中で止めてしまった)、クリスは一気に優れた結果を打ち出すのです。10歳の時、10キロの大きなロードレース大会にエントリーしたクリスは、1000人以上の大人のランナーより先にゴールし(全体で69位だった)、それ以来走ることに憑(つ)かれていったのです。走ることは、あるところまでは原始的な方法だけで突き進むことができ、クリスの持ち前の(ストイックにして)極めてストレートなエネルギー代謝のリズムに合ったスポーツだったにちがいありません。ハイスクール時代、クリスは地域ではレベルの高いクロスカントリー部に所属しキャプテンにまでなっています。そこでクリスは訓練のランニングを厳しい精神修養に位置づけ、可能な限り遠くへ、農地から森の中へ、そして未知の領域へ皆を走らせた。「世の中のあらゆる悪、あらゆる憎しみついて考えてくれ.....ベストな走りをさまたげる悪の壁、その邪悪な力に逆らって自分たちは走っているのだと想像してくれ」とチームメイトにいつも語りかけていたといいます。(『荒野へ』ジョン・クラカワーより)

幼少時、母が泣くクリスをあやすために弾いていたギターのこと

クリスはスポーツよりは音楽に才があったようです。クリスはギターとピアノとフレンチホルンを得意にしていました。音楽も基礎的テクニックが必要なわけですが、胎内にいるときから父や母から聞かされてきたおかげなのか、才が技術の習得をそれほど苦にしなかったようです。クリスはロニー・ベネットのファンで、父がピアノの伴奏するとクリスがベネットの歌をよく歌って楽しんでいます。幼少の頃、泣くクリスをいつもあやしたのは、母ビリーがジャニーニ製のギターで弾いた子守歌でした。そのギターは音楽好きな父ウォルトがビリーに買い与えたもので、最後にそのギターが発見されたのはクリスが最後の旅の途中、ラスベガス南東50キロ地点のミード湖畔で乗り捨てざるをえなくなった愛車の黄色のダットサン(ハイスクール3年の時に購入した中古車)のなかでした。つまりクリスは幼少の頃に耳元でいつも鳴っていたー「心の樹」に木霊(こだま)していたーオンボロになったそのギターをそれまで大切に旅の友としていたのです。かけがえのない心の友だったそのギターに別れを告げた時、クリスの旅はいつもの学校の休暇中にとってきた旅とは、異質の別次元の長旅となることが運命づけられたのかもしれません。▶(2)に続く


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