カート・コバーンの「Mind Tree」(3)- 映画『時計仕掛けのオレンジ』に衝撃を受ける。図書館に通いだす


「Mind Tree」(3)と(4)が逆になっております(すいません)
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父と大人に対する不信感。<凶暴なモンスター>に

▶(2)からの続き:カートの「心の樹」は両親へのわだかまり、そして離婚に対する「罪の意識」でふくれあがっていました。父はカートに離婚の経緯と男女の恋愛について語り聞かせます。カートの「罪の意識」はゆっくりと消えていきました。ところがその2年後、二度と結婚しないと約束していた父が、2人の連れ子のある女性と再婚してしまうのです。カートのなかで父と大人に対する不信感が吹き荒れました。継母は自分の子とカートを平等に扱おうと家事手伝いをするよう言いつけましたが、カートは地下の自分の部屋に閉じこもってしまうばかりでした。登校しなくなったカートに父はレストランのテーブル拭きのバイトを見つけてきましたが、カートは無視するばかり。父は体力を消耗させようとカートを学校のレスリング部に入れこみますが、それも無駄でした。カートはアバディーンの母の元に帰ろうとしますが、母も愛人と住んでいました。父は実の兄をカートの法律上の保護者にしましたが、カートには火に油を注ぐばかり。気づけばカートは<凶暴なモンスター>になっていました。コバーン家の親類は、変わりはてたモンスター・カートを腫れ物にさわるように、たらい回しして泊まらせています。この時期が以降3年間続きます。

パンク・ロッカーを「発見」。音楽雑誌の「クリーム」誌を貪るように読む

何処にも居場所がない宙ぶらりんの心根、裸のまま彷徨う魂、それがカートを<凶暴なモンスター>にしてしまっていました。しかも生地アバディーンも、カートをいらつかせるだけの土地で、「心の樹」が根づく様子は微塵もありませんでした。ところが、カート10歳の頃、彷徨う魂を釘付けにする、あるものを「発見」します。音楽雑誌の「クリーム」誌でした。パンク・ロック勃興期の1977年頃(カート10歳)、小さな町にはレコード屋もまだなく、ニュース・スタンドも狩猟か銃か野球の雑誌ばかりでした。が、そうした雑誌の中、カートは「ローリングストーン」誌と「クリーム」誌を見つけたのです。そして気にいった「クリーム」誌を貪るように読むようになり、穴のあくまでシド・ヴィシャスジョニー・ロットンや、イギー・ポップの悪魔的なパンク・ロックの写真を見つめました。
この頃、カートの一番好きなアルバムは「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」が入っているクイーンの『ニュース・オブ・ザ・ワールド』で、レッド・ツェッペリンブラック・サバスなどを聞きだしていた頃だったので、パンク・ロッカーたちの存在はまさにカートにとって「発見」だったのです。カートがパンク・ロッカーの存在を知ったちょうど1977年、パンク・ロックが西海岸の片田舎アバディーンにまで上陸していました。ニューヨークのバンドのラモーンズアバディーンで演奏していたのです。カートはそれを見逃して悔しがっています。

叔父から誕生日プレゼントされたエレキ・ギター

14歳の頃、カートは元ロックンローラーの叔父の家に住むようになります。愛人と別れた母に収入がなく叔父に相談したのでした。叔父は誕生日プレゼントにカートにシアーズのエレキ・ギターを贈りました。カートはガレージ・パンクの讃歌「ルイ・ルイ」(曲リチャード・ベリー)やクイーンやカーズの曲をどんどんマスターしていきました。サタデー・ナイト・ライブで見たB52sのヴォーカルの白黒のチェック・デザインの靴をみてカッこいいと感じ、少しでも同化しようと自分のスニーカーを同じ様に塗っています。
カートは港の荷揚げ労働者と再婚した母の元で再び暮らしはじめます。大酒飲みで、酔っぱらっての朝返りする再婚相手にカートは我慢ならず、階下に降りるのは冷蔵庫に用がある時だけで2階の部屋に閉じこもるようにギターを弾いていました。タバコも酒も、マリファナもやらずに音楽にのめりこんでいました。仲間たちはドラッグがなくてはアバディーンにいることに我慢できないと、みな手をそめていましたが、カートは慢性気管支炎の持病と原因不明の胃痛と酷い背中の痛みで、体内に入れるものには用心深くなっていた時でした
(後に持病の苦痛と共存するしかないと諦めてからは、逆にドラッグを過剰に摂取するようになる)。それよりも手に入れた新しいアンプからでる爆音のような音はカートにとって最高の「麻薬」のようなもので、カートはその「音」さえあれば夢心地だったのです。なにせパンク・ロックを「発見」した後でした。その爆音は母も近隣も限界を超えるもので、義父が一方的にギターを壊してカートを強制的に黙らせます。再びカートの魂はあてどなく漂い、学校の裏にある小屋でタバコの紫煙にまぎれこませます。
カートは家の外で音楽と接触するようになります。親しくなっていたメルヴィンズのライブの際に機材を運んだりし手伝いはじめています。招待者リストで彼らのライブを見れればカートは満足でした。ある時、メルヴィンズがオーディションを催すことになり、カートも勇んで参加しますが緊張から歌もコードも忘れてしまい立ち尽くすばかり。

映画『時計仕掛けのオレンジ』に衝撃を受ける。図書館に通いだす

高校卒業時、単位不足だったため、思いあまった美術教師が絵がうまかったカートに奨学金受給に応募するよう諭しています。実際ことがうまく運びそうになりますが、乗り気でなかったカートはあちこちぶらつくばかり。家では母との口論がさめず、友達の家にころがり込み、ついで父の家へ。父の後妻がカートを受け入れ、父もカートが好きなだけ家に住んでよいと言った。ただし音楽をやめるという条件があった。ギターを質屋に売ったカートは、海軍の入隊試験を受けます。そして合格。すぐに海軍のリクルーターが家に来て話がすすみましたが、最後に入隊を断ったカートは家を後にしました。
行き場所を失ったカートが見つけたのがアバディーンの公立図書館でした。カートは日中、図書館で眠ったり本を読んだりするようになります。時にノートに曲を書きつけていきました。夜にはメンバー3人集まって曲の練習です。カートはドラマーのグレッグ・ホカンソンの家に居候します。ある日、グレッグが映画『時計仕掛けのオレンジ』(スタンリー・キューブリック監督)をレンタルビデオで借りてきたのを一緒に観ます。衝撃がカートを襲います。カートは翌日、図書館に突撃し、原作(アンソニー・バージェス作)を読み、さらに2回読み返しました。そしてアンソニー・バージェスの全著作を読破しました。ちなみにセックス・ピストルズのドラマーのポール・クックは当時2冊しか読んだことのない本のうちの1冊が、『時計仕掛けのオレンジ』でしたし、60年代半ばには、ローリング・ストーンズがメンバー全員非行少年役で出演し(当然、ミック・ジャガーが主人公アレックス役)映画化する企画もあがったことがありました。アバディーンの公立図書館でカートお気に入りの作家がもう2人ランクインしました。ブコウスキーと劇作家ベケットでした。A.バージェスを含め、短期間にカートはこの3人の作家の全作品を読破しています。
カートの最初のバンド「フィーカル・マター(カス、糞の意味)」は数度のギグで解散しますが、最初のデモ・テープを制作しています。すでにこの時にニルヴァーナのデビュー・アルバムとなる『ブリーチ』の中の曲「ダウナー」が録音されています。次のバンドは、デイルとバズ・オズボーンで組んだ「ブラウン・タオル」というバンドでした。そのデモ・テープを聴いたクリス・ノヴォゼリックが連絡をよこしてきました。ちょうどこの頃、カートは自身がイメージする音楽を自身でつくりだせない焦燥感にあえいでいたので絶好のタイミングでした。
▶(4)に続く